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2015-05-12

漫画界では伝説の「つのだじろうの巻紙」、ちばてつや氏ももらって叱られてたそうな。

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twitterでのやりとりをそのまんま。

モトの話、そんなやりとりだったのか(笑)

https://twitter.com/gryphonjapan/status/597885613212246017

原田 実 @gishigaku 19 時間19 時間

「男性の描くランジェリーの違和感と、女性の描くメカの違和感

Togetterまとめ

http://togetter.com/li/819402

 

@gishigaku 川崎のぼるの「男の条件」で、描かれた旋盤現実とはちがうことにがっかりした主人公旋盤工)がその漫画家のところに違う!と乗り込むシーン、ありましたねぇ…パンツでそれやるほどのフェチがいるかどうかはわからんですが。

 

gryphonjapan @gryphonjapan

つのだじろうは巻紙でトキワ荘の新漫画党に「君らは駄洒落やバカ話ばかり。真面目にやれ」と怒ったのは有名だけど、ちばてつや氏にも「細部描写が違う」と叱ったんですね

@Ra_koyama @toronei_sub @gishigaku

f:id:gryphon:20150512075716j:image:w640

引用して無いところをざっくりかくと

少年マガジン1963年、本格医者漫画「ハチのす先生」を連載した。

当時の人気ドラマ「ベン・ケーシー」の人気をみて、それに挑もうと考えた

自分もお世話になった医者先生があり、それが(外見は違うが)モデルだった

だが人気があまり出ず、あせりはじめたところにつのだ先生が……


というね。

ちなみにちば氏はトキワ荘の客分というとへんだが、直接的にそこで遊んだり語ったりをどれぐらいしたかはわからないけど、伝説の(伝説ばっか)「電気アンマ入院事件」では、トキワ荘グループに代作で助けてもらってる(そのことを漫画にしていますよ)



トキワ荘の「つのだじろう巻紙事件」はあまりにも面白い話なので藤子不二雄A先生おもしろおかしく…

http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2014/10/30/235158

安孫子 そういえば、僕ら新漫画党の会合にあとから参加したつのだ氏(新漫画党のつのだじろう氏)が、毛筆の決闘状みたいな巻紙を送りつけてきたことがあったな。新漫画党は新しい児童漫画開拓するための会だと思っていたら、映画女性のくだらない話ばかりしている。もっと漫画のことを話し合わなきゃだめだ、という非難手紙で。

石ノ森 それほど漫画の話をしなかったということなんですよ。でも、藤本氏が返事を書くことになったんだよね。

安孫子 彼は参謀格というか、そういう文章を書かせるとうまいんですよ。「漫画家だからといって漫画の話ばかりしてたらだめだ。ほかの話をしたほうがむしろ勉強になる」って書いたら、つのだ氏が感心しちゃって、それまでは酒も飲まなかったのが、酒は飲むわ、煙草は喫うわ(笑)

石ノ森 駄洒落は言うわ(笑)

安孫子 そのくせ藤本くん自身は全然遊びをしないんですよ。


あ、自分この話、ここでも書いてたわ。ここから再引用

空手バカ一代」「うしろの百太郎」のレジェンドつのだじろう氏は「引退」していた…。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130917/p2


ちなみに藤子・F・不二雄先生は後日、

「それまでつのだ君はクソマジメだったけど、その後はマジメがとれて、ただのクソになった」

という、ドラえもんの作者とは思えない毒舌を発している。そしてつのだ先生は好んでこの評を引用している(笑)

ま、最近こういう細部の指摘を「○○警察」と呼ぶようになったりと色々ですが

自作してみて(笑)ちょっと考えた、ポジティブな着地点としての「○○警察」。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150206/p2

つのだじろう氏の、時代を先取りしすぎた「医者漫画警察」も、なぜかセピア色の懐かしさをともなって伝わってくる。

fullkichi1964fullkichi1964 2015/05/12 09:38 日沖については、実はUFCのシステムが向いていなかった、という気が……。彼はそもそも試合数が多いほどコンディション調整しやすいタイプで。08年09年とかは年に4、5戦やっててそれでいてかなりの勝率だった。それがUFCでは年に2戦ペース、今回は何と11ヵ月ぶりの試合。かつての試合カンは消え去っていただろうと……。どこかでつまずくとなかなか試合が回ってこないのもUFCの一面。そういうところを本人も周囲も分かっていただろうかというね……(-_-;)。