ハリルホジッチ監督の会見で実感した通訳の変化

宇都宮徹壱 | 写真家・ノンフィクションライター

ハリルホジッチの通訳を務める樋渡群氏。先日の会見では通訳としての技量が格段に向上

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「皆さん、コンニチハ。皆さんとはしばらく会っていなかったですね」

日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督の会見は、3月31日のウズベキスタン戦以来、およそ1カ月ぶりであった。今回の会見は、今月12日と13日に千葉で行われる、国内組ミニ合宿についてのメディア向けの説明が目的。会見の内容についてはこちらをご覧いただくとして、本稿では個人的に「おやっ!」と思ったことを記すことにしたい。

この日の会見は質疑応答も含めて40分近く続いた。その間、われわれ取材者は日本語に翻訳された指揮官の言葉を懸命にタイピングしていたのだが、ふいにこれまでの会見と何かが違うことに気付いた。ハリルホジッチ監督の言葉と通訳の樋渡群(ひわたし・ぐん)さんの言葉が、絶妙なタイミングで交互に耳に入ってきたのである。餅つきに喩えると、監督が杵を突き、通訳がこねる、その繰り返しが実にリズミカルで、聞いていてまったくストレスを感じることがない。樋渡さんの通訳としての技量が、格段に向上していることを確信した。

先のチュニジア戦やウズベキスタン戦では、こうはいかなかった。ハリルホジッチ監督がしゃべり、樋渡さんが日本語に訳しているそばから、また監督がしゃべりだす。これでは、餅をこねている手の上に、杵を振り下ろすようなものだ。話者のフランス語と通訳の日本語が混じってしまい、しかも整理された文章になっていないので、少なからぬストレスを感じることがしばしばだった。せっかく指揮官が良いことを言っていても、それがストレートに伝わってこない。そんなもどかしさを感じていたのは、私だけではなかったはずだ。

ハリルホジッチの就任会見での樋渡氏。いきなり大役を任されることになり表情も固い
ハリルホジッチの就任会見での樋渡氏。いきなり大役を任されることになり表情も固い

なぜそうなってしまったのか。監督と通訳、それぞれに要因があったと思う。まずハリルホジッチの場合、通訳を挟んでのコミュニケーションに慣れていなかったのではないか。その指導歴を見ると(トルコのトラブゾンスポル時代は不明だが)、代表であれクラブであれ、ほとんどフランス語での指導が可能であったことがわかる。ディナモ・ザグレブ(10~11年)時代はクロアチア語で指導していたが、フランスでの生活が長かったため言葉が出てこないこともしばしばあったようだ。いずれにせよ、通訳が影のように付き従い、いつでもどこでも監督の言葉を翻訳する日本のスタイルは、おそらく今回が初めてだったのだろう。

一方、樋渡さんに関していえば、単に通訳の職務に慣れるのに時間が必要だった。大学卒業後、何らコネクションを持たないまま02年に渡仏。現地でフランス語とコーチ学の研鑽に励み、やがてパリ・サンジェルマンのU-12チームの監督に就任。06年に帰国してからは、JFAアカデミー福島、熊本宇城でクロード・デュソー氏(フランスの育成の第一人者)の通訳兼コーチを経て、男女のアンダー世代の指導者としてのキャリアを積み重ねてきた。歴代日本代表監督の通訳の中で、指導者ライセンスを持っているのは(日本サッカー協会公認A級、仏サッカー協会公認指導者ライセンス)、樋渡さんが初めてである。

そんな樋渡さんだから、フランス語に堪能であることは間違いない。しかしながら、言葉ができれば通訳になれるという単純な話でもなく、やはり経験と場数が大きな意味を持つ。思えばハビエル・アギーレ前監督の通訳だった羽生直行さん(スペイン語・英語)、アルベルト・ザッケローニ元監督の通訳だった矢野大輔さん(イタリア語)は、いずれも通訳が本職であった。イビチャ・オシム元監督の通訳を務めた千田善さん(セルビア・クロアチア語)は、もともとはジャーナリストの出身だが、翻訳や通訳の仕事も数多く手がけており、含蓄と諧謔に富んだ指揮官の言葉をすぐさま適切な日本語に訳すだけの蓄積があった。

日本代表監督の通訳になって1カ月あまり。その表情にも余裕が感じられるようになった
日本代表監督の通訳になって1カ月あまり。その表情にも余裕が感じられるようになった

樋渡さんの場合、デュソー氏の通訳をしたことはあっても、その多くは指導現場やスタッフ会議だったはず。TV中継が入った会見や、4万人以上が入ったスタジアムで通訳をした経験は、これが初めてだった。加えて、ハリルホジッチの監督就任が急だったこと(いきなり「代表監督の通訳になってくれ」と言われれば、誰だって面食らうだろう)、指揮官のフランス語にクセがあること(ハリルホジッチは40代になってからフランス語を学び直しており、ネイティブではない)、そして重責と注目度の高さに起因する過度のプレッシャーなどを考えると、最初から完璧な通訳業務を求めるのは酷というものだろう。

とはいえ取材する側としては、会見で感じるストレスを何とかしてほしい、という想いが常にあったのも事実。それが11日の会見では、見事なまでに改善されていたので、非常にうれしく、かつ心強く思った次第だ。この1カ月の間、視察や会議でのディスカッションを繰り返す中で、監督と通訳との間で信頼関係が構築されていったのは間違いない。と同時に樋渡さん自身も、ハリルホジッチが言葉を発するタイミングを理解し、なおかつ「ここで訳を入れるから」というアインコンタクトを体得するに至ったのではないだろうか。

監督と通訳のコミュニケーションが円滑になることは、ことメディアだけの問題でなく、当然ながらチーム内の意思疎通向上にもつながる。会見でハリルホジッチは「選手にメッセージを伝えたい」「お互いをよく知るための合宿にしたい」と語っていたが、監督とのコミュニケーションが格段に向上した今の樋渡さんなら、各選手へのメッセージを的確に、そして真摯に伝えてくれることだろう。

「日本代表はまだまだ向上する余地がある」と、指揮官は就任以来、繰り返し語っている。ただし、向上すべきは選手だけでない。スタッフもそうだし、さらにはメディアもまた同様である。ハリルホジッチ監督の言葉を伝える樋渡さんは、われわれと共に2018年のロシアを目指す仲間のひとり。その共通の目標に向かって、お互いにさらなる向上を心掛けていきたい。

宇都宮徹壱

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2010年より有料メールマガジン『徹マガ』を配信中。http://tetsumaga.com

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