「盗作をめぐる議論にはプラス面もある」というのが、南教授の考えだ。盗作が社会的な問題になるということは、個人主義や市民意識の成長、学問的倫理意識の拡大を意味する、とみることができるからだ。英国の詩人ワーズワースやバイロン、米国のマーチン・ルーサー・キング牧師なども盗作問題に巻き込まれたことがあり、ドイツのアンゲラ・メルケル内閣でも、国防相や教育相が博士論文の盗作でそれぞれ辞任した。南教授は「逆に言うと、個人が重要ではない発展途上国や共産圏では、知的財産権や盗作に関する概念も大きく発展しなかった」と語った。
しかし、現在の韓国における盗作の検証は「学問先進国」とは大きな差がある、と南教授は指摘した。米国の大学では、検証プロセスに参加する委員は秘密保持の覚書を作らなければならず、最終判定まで2年かかるほど徹底して掘り下げる。これに対し韓国では、盗作疑惑は頻繁に持ち上がるものの、肝心の検証は不十分になりがちで、最終結果には大きな関心を寄せない。南教授は「外国では、検証手続きは面倒だが、ひとたび盗作と確認されたら厳しい処分が下る。これに対し韓国では、疑惑ばかりが大きくて結果はうやむやという『後進的悪循環』が繰り返されている」と語った。
「盗作に伴う懲戒には時効があるかもしれないが、検証作業には時効がない」というのが、南教授の持論だ。南教授は「後進の研究者や読者が盗作論文や単行本を読むたび、新たな被害が発生する。誤った学問的基盤の上に築かれた塔は、いずれ間違いなく崩壊する」と語った。南教授自身は、こうした原則をどこまで厳格に自著に適用しているのか、心配になった。調べてみると、参考文献や判例のほか、720ページに達する『剽窃論』の中で南教授が付けた脚注は、実に1202個もあった。