前回の記載の通り、NIGMSNational Institute of General Medical Science)のディレクターであるJon R. Lorsch氏がMol. Biol. Cell誌に投稿したMaximizing the return on taxpayers' investments in fundamental biomedical research”について紹介したい。まずLorsch氏の紹介から。

 

 NIGMSによって公開されているLorsch氏の経歴によると(http://www.nigms.nih.gov/about/director/Pages/default.aspx)、氏は1990年にスワースモア大学を卒業し、その後、1995年にハーバード大学でノーベル賞を授賞したJack W. Szostak氏の下で博士号を取得後、スタンフォード大学でポスドクを経験し、1999 年にジョンスホプキンス大学に赴任し、助教授、准教授、教授を経て、2013年にNIGMSのディレクターに就任している。経歴からは米国のエリートコースをまっしぐらという感じの人である。スワースモア大学は、日本ではあまり知られていないと思うが、いわゆるリベラル・アーツ・カレッジの名門であり、大学としてはアイビーリーグの大学に匹敵する。異なる点は、リベラル・アーツ・カレッジは総合大学と異なり、研究がほとんど行われないということだ。

 

以下、項目の順に従ってLorsch氏が考える「基礎生物医学研究における納税者の投資に対する見返りを最大限にする」方法について紹介しよう。

 

A diverse investment portfolio is a strong portfolio

 氏は、生物学研究費配分の中核となる原理は、「財政投資」と同じであり、「多様性」が重要と指摘する。つまり、集中的な投資はリスクを生じさせるので、なるべく多様に投資するということだ。氏の考える「多様性」とは、生命科学の種類(分野)は勿論のこと、地域性や研究者のバックグラウンドも含まれる。それは歴史が証明するように、「大きな進歩は予期しない所から生じる」からであり、どこでいつ大きな進歩が起こるかは予測することが不可能であるためだ。これと同じ意味を個人の視点から言うとserendipityということになる。大発見をした人がしばしば使う言葉だ。


 研究対象となる生物種の広さも重要であるし、また、研究が活発に行われる地域の広さも重要視している。「(米国の)25州でしか最先端の研究が行われないとしたら、(残りの)25州の高校生や大学生は移動しない限り最先端の研究に触れられなくなるので、それは米国全体として才能ある人材が科学へ向うことを減らすことになる」と指摘する。

 

 この最初のパラグラフで、既に日本との違いがはっきり出ている。今、日本の文科省が行おうとしていることは、旧帝大を中心とした研究中心の大学とそうでない地方大学を選別するということだ。最近、明治の産業革命遺産がユネスコの世界文化遺産に登録されることが勧告されたが、文科省の役人と政治家の考えは未だに明治の産業革命のレベルだ。

 

Emphasis on investigator-initiated research

 二点目として、最もよいアイデアは研究者の自発的から生じることを認識すべきであるとLorsch氏は指摘する。トップダウンや調整型の研究はテクノロジーの開発には時に効果を発揮することがあるが、基礎研究は研究者自身が方向を決めて行くことが最も機能すると述べている。これはNIHの予算が2倍となった1998年~2003年の間に、研究者提案型の研究が99%から80%へ低下してことへの反省も加わっているようだ。

 

The value of team science

 「研究者提案型の研究」という意味は、チーム研究を否定するものではなく、共通した興味を持ち、相互補完的なテクニックを有するPI間で有機的に共同研究が行われれば非常に有効であることを認めており、NIHにはそういった研究をサポートする研究費もある。

 

Building the foundation for breakthroughs: the value of steady progress

 氏の「飛躍的進歩が起こるには、一連の小さな進歩が集約された時」という指摘も極めて的を得ている。つまり、大発見をする人が生まれるのは、小さな発見をしてきた研究者の研究の蓄積があってこそという考えだ。つまりそういった地道な研究に対しても十分配慮して研究費を分配する。


 日本ではノーベル賞を授賞すると、マスコミが持ち上げてその研究者は一躍有名になり、まるでその他の研究者とはまったくレベルが違うように扱われるが、これは科学ジャーナリズムのレベルが低いためである。毎日新聞の須田氏にも、ノーベル賞授賞におけるマスコミのばか騒ぎこそが「科学ジャーナリズムの敗北」であることに気づいて欲しいものだ。

 

The optimal lab size

 研究室のサイズについては、著名な細胞生物学者で「細胞の分子生物学」の著者でもあるBruce Alberts氏の「研究室が大きくなりすぎると、基礎生物医学研究は非効率となる」というコメントを引用している。これについては、おそらくほとんど全ての米国の研究者が同意するであろう。ラボの人が多くなればなるほど、研究室員の訓練、アドバイス、議論のための時間は減る。また、研究費のための書類仕事は増える。さらに、人に合わせて研究も広げすぎて、焦点の絞れない研究となることもしばしば起こる。


 東大分子細胞生物学研究所の加藤研究室では大規模な論文不正が起こったが、加藤研究室が大きくなりすぎたことにも一因があったように私は思っている。加藤氏は、分子生物学会において研究不正防止の先頭に立っていた人であるが、ラボが大きくなっていくつものチームができ、ラボの現状を十分把握する時間がなくなって一つのチームが暴走したのではないだろうか。

 

 NIGMSの統計によると、適度な研究費2530万ドル(日本の最も数の多い研究費は約1万ドル!)から75万ドルまでは、成果(論文の数と質(インパクトファクター))は少し上昇するが、それ以上だと例外を除いて効率は低下。それゆえ、2つの研究費を既に得ている研究者にさらに一つの研究費を配分するよりかは、まだ研究費を得ていない研究者に配分した方がずっと見返りが大きいという結論になる。


 研究費配分は他の研究者による審査(peer review)に基づいているが、Lorsch氏は、最近の分析で指摘されたこの審査法の問題点(審査での評価が良くても、それが必ずしも良い研究成果につながるとは限らない)についても言及している。

 

Changing our funding metric

 現在の研究費の充足率は、応募数当たりの採択数であるが、そうではなくて応募者数当りの採択者数という考え方の方がより適切であろうと氏は考えている。この考え方で研究費を配分すれば、ラボが大きくなることによる効率の低下を防げるし、また研究の多様性も確保できる。

 

A funding experiment: supporting research programs instead of specific projects

 以下の考えも文科省の人にぜひ聞いていただきたい。

 

“Because we do not know a priori which changes will work best and because there is always a risk of unintended negative consequences, the soundest approach will be to experiment and to expand initiatives that succeed and abandon those that do not.”

 

 日本で行われる様々な教育改革が失敗するのは、こういった謙虚な姿勢を持っていないからであろう。リスクを評価することもせずに改革を行い、後からたくさんの不備が出てきて、結局前の方がよかったということを繰返している。


 上述の考えを元にして、NIGMSでは新しいパイロット計画として、Maximizing Investigators' Research Award (MIRA)がスタートしている。これは、「「研究計画」の支援から、「研究プログラム」への支援」という変更であり、その基本的な考え方は、PIに自由度を与えて、より創造的、発展的な研究を進め易いようにし、書類仕事を減らしてそれを研究や研究室メンバーの訓練や指導に宛てさせるということだ。

 

Creating a bright future for biomedical research

 このように結論できる確信を持てるのは極めてうらやましい。米国も日本と同様に、若手研究者は厳しい研究環境(研究職ポスト減と研究費獲得難)にさらされているが、Lorsch氏のような人たちによって、危機的状態は「軟着陸」できるだろう。日本でも若手研究者の問題点は議論されており、昨日も「ポスドク問題検討委員会報告書改訂版(第二版)」が公開されたという連絡が来たが、日本の将来については、私は悲観的にならざるを得ない。「PIの研究業績は屍にした若手研究者の数と最もよい相関がある」などというブラックジョークが生まれないことを祈るのみだ。