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無要の葉

ここにはあなたの探している正義はありません。

インターネットで不快感を表明すること

 最近思い出したことがあるので書いてみる。以下実体験に基づいた話です。

 

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 学生時代、大勢で作業をするのにBGMを流していたのね。まだガラケーの時代でipodとかがようやく広まっていた頃、まだMDが現役だった頃の話です。その日のBGMはある人の推薦でとある歌手づくしのBGMになった。その歌手は一般にも人気があって、知名度も高い方である。作業するメンバーは「この歌いいよね」「最高だね」などと言いながら作業をするのであるが、残念な問題点があった。

 

 それはこの文章の書き手がその歌手が嫌いだということで、歌はうまいと思うし曲のセンスもあると思うんだけど、単純に好みじゃない。好みじゃないどころか、聞いているとイライラしてくる。そんなイライラした状態で作業はしたくない。でも、「その歌手は苦手だから違うBGMがいい」とも言えない。作業効率は落ちるし、自然と不機嫌にもなる。「どうしたの?」と声をかけられて正直に「いや、この歌好きじゃなくて……」と答えると「この歌のよさがわからないなんてもったいない!」と言われる始末。結局別に理由をつけて先に作業を止めて帰った。その後のことはわからないし、どう動き回ったのか覚えていない。その作業班とはそのような衝突が何度かあって、最終的にリーダーに「お前には協調性がない、心を閉ざしている」「みんなが楽しんでいるときに楽しめないのはおかしい」とまで言われた。まぁ、傍から見ればそうだったんだろう。あれから随分と経った今ならそう言われた意図もわからないでもない。

 

 それで、「誰が悪いんだ?」となったときに果たして「無邪気にBGMをかけていた奴」も「その歌手が嫌いなこの文章の書き手」のどちらがより罪が重いかというのは非常にナンセンスな問いだというのがこの記事の趣旨です。むしろギルティなのはこういう問題の悪人探しをしてしまう人なんじゃないかって思うのです。簡単な話で、こういう事態は誰も悪くない。不幸な事故のようなものだ。

 

 今となって「じゃあどうすればよかったんだ」という理想を少し考えてみると、まず「この歌手苦手なんだ」という意見がすんなり言える空気が必要で、その後「わかった、でも今はこの歌が聞きたいから次は違うのを聞こうね」というやりとりでもあればよかったのかなぁとは思うけれど、どのみち完全な理想であって現実でこんなスマートな対応が出来るとは思えない。そこまで信頼関係があったら、こういう事態は起こらない。

 

 無自覚に差別しているなんて言葉があるけれど、そんなのは誰もが持っている当たり前の感情で「このBGMが嫌いな奴なんていない」と思うのも差別で「このBGMが好きな奴の気がしれない」と思うのも差別と言える。構造だけで見ると「そのBGMが好きな人が嫌いな人を抑圧している」と見えるけれど、「このBGMが嫌いな私に気を使えないこいつらには言ってもわからないだろう」と思っていたこの文章の書き手も立派に相手と自分に越えられない線を引いていた。もう少し発展して「このBGMが嫌いな人もいるのに押し付けるのは無自覚な抑圧だ」と主張していたら、完全に痛い子になっていたかもしれない。

 

 何かの意見を表明する以上、そこにひとつのスケールを設置することになる。そのスケールに乗らない人は暗に言及していないということになれば「スケール外の人はどうでもいいと思っている」という表明になりかねない。でも、それを拡大して「みんなが乗れるスケールを用意しろ、しなければお前はスケール外の人を差別している」というのもかなり無茶な話だ。政治的には正しいのかもしれないけれど、それは意思表明の空間としては非常に不健全な方向に行きかねない。「わたしはわたし」「あなたはあなた」として尊重されるのが大事であって、「わたしでないあなたは差別である」という表明は「たくさんのわたし」の中にいる間は心地よいけれど、気が付けば真っ赤な全体主義に陥って結局「わたし」も「あなた」も存在しない世界になるんじゃないかって思う。

 

 単純に「好きです」というのも差別になれば、「嫌いです」というのも差別になる。というか、何をしたって「無自覚な差別」というものは存在するし、その存在を消し去るというよりそいつを自覚してうまいこと共存するというのが一番理想かなぁと思うのですが、これも完全な理想なのでなかなか難しいね。

 

 ちなみに例のBGMをかけた奴のモットーが「俺が楽しいと思わなければ他人も楽しくないから、俺が楽しいと思うことをたくさんする」というものだったのだけれど、果たして今回とりあげたような話題の時はどのように処理するんだろうと思うのです。悪い奴ではなかったのだけれどね。