この一ヶ月近く、自炊をしているわけです。
部屋の周辺にも慣れてきて、買い物も上手にできるようになってきました。
ただ、自分の食事面がまだまだなので改善したいと思います。
これは、フレンチプレスを淹れた直後に作ったナポリタンです。
自分でナポリにナポリタンはない!と宣言してから、食べたくなったので。
目玉焼きで誤魔化してみましたが、やっぱり盛り付けに才能がありません。
ケチャップだけだと甘くなるので、市販のトマトの水煮を裏漉しして
簡単なトマトソースをストックしてあるのと割りました。
隠し味に醤油を少々。
「醤油を入れると懐かしいナポリタンの風味になる」と師匠から教わり
バターを入れるタイミングも「火を止めてから入れると、少量で済むしバターの風味が消えない」と教えてくれました。
反省点は、ピーマンが少し厚切り過ぎて生っぽかったです。
もう少し薄く切るとサッと火が入って美味しいのかも知れません。
目玉焼きは、1個焼いて潰れるといけないので2個焼いたんですが
見た目の通り、形の悪い目玉焼きとなりました。
今度は薄焼き卵を下に敷いて名古屋風にしてみたいと思います。
マカロニサラダも作ってみましたが、マヨネーズの量に今後は注意したいです。
もう少し玉ねぎが入っても良かった気もします。
料理には計算が要る
(出典:フリー画像素材)
料理をしていて思うのは、調理と料理は全く別物だということです。
今更ながらに気付きました。
例えば、パン等はきっちりと割があってそれに従い作ることができます。
しかし、鍋の中で味付けをするときは塩・醤油・甘味の基になる酒・砂糖・味醂などの足し引きが理解できてないと、味が過剰になってしまうこと。
特に煮物などは、ものすごく経験値が必要になる気がします。
温めるだけ・焼くだけ・揚げるだけ・切って盛り付けるだけは、もしかして調理の部類に入るのかも知れません。
やはり、足し引きの必要な煮物や味付けなどができないと、料理は苦しいですね。
キッチンに立ってみて分かる風景
これは僕の個人的なことですが、僕の現在働いているcoffee屋さんの師匠は
懐石料理とイタリアンを勉強した人です。
確かにプロの料理人は、その腕は確かなものがあるでしょうが
家庭料理となると全く分野が違うと師匠が教えてくれました。
ここら辺は、なんとなく話していることの想像がつきます。
自分自身が料理をすることで、それが調理なのか?料理なのか?
判別ができるということです。
僕は今までレトルトのカレーも、レトルトのパスタソースも
両方が料理と考えていました。
しかし、自分が経験することで何処に感謝をすれば良いのか?
理解できるようになりました。
このようなことが分かると、僕の母や姉や妹は殆どが調理だけの人間です。
買ってきてパックから出し、お皿に盛りつけることが多かった人達です。
食育とは良くできたもので、やはり必要なことですね。
ただ、フォローではありませんが師匠の言葉を借りると
「キッチンに立つ労働力を評価しなければダメ」ということらしいです。
僕もこの一ヶ月近くは面白くてやっていましたが、段々と毎日の自炊を考えるのが大変になってきました。
キッチンに立つということの意味がやっと理解できました。
それと「いきなり強い薬はダメ」ということ。
この間のタイガーブレッドのように、ハードルの高いものに挑戦するよりはレベルの低いもので基礎を養うということでしょう。
その喩えが「強い薬」という意味なんでしょうね。
素質の要らない世界、家庭料理
師匠がもう一つだけ仕事の合間に教えてくれたのが「家庭料理は素質の要らない世界だってこと」と。
「素質でするのではなく、必要性に合わせて作るだけ」と言ってました。
そう捉えると、少し楽な気持ちもします。
考えると、僕には合っているのか?時々分からないです。
しかし、その必要性を考えると必然的に毎日食事が必要となります。
健康を管理したり維持する目的も含まれているので、ただの空腹を補うための食事とは少し違っているかも知れません。
で、結論からすると・・・
〝あんまり難しく考えなくて良い〟ということです(笑)
今朝は久々にパンではなく、鮭と冷奴と味噌汁だけの簡素なものでした。
毎日、張り詰めたようにキッチンに立たなくても良いものだと思いました。
来週からお弁当持ちになるので、今から少し作り置きに挑戦です。