Hatena::ブログ(Diary)

Ohnoblog 2 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-04-11

「〜かなと思います」という言い方

少し前に、「〜させていただきます」という言い方の不自然さについて記事が上がっていた。

丁寧”のつもりが、”慇懃無礼な印象”に?!『させていただく症候群』 - NAVERまとめ

視点・論点「させていただきます症候群」|視点・論点|NHK 解説委員室|解説アーカイブス

この言い方が多用されておかしな感じになっていることに違和感を覚える人は結構いるようで、検索してみると7、8年前からその手の記事があるようだ。


私がここ最近気になっているのは、「〜かなと思います」という言い方。テレビの街頭インタビューでも識者のコメントでも耳にするし、ネットの書き込みでもよく見る。若い人に限らず、老若男女まんべんなく使っているようだ。

「〜したらもっと良くなるかなと思います」

「〜していくべきかなと思います」

「〜ってのはつまらないかなと思います」

「な」は「な?」と上げる。この「かな?」はたとえば、幼稚園の先生などが園児に「あっちかな?こっちかな?さあどっちかな?先生はあっちかな?と思います。みんなはどうかな?」などと話しかける際に使う。そのせいか、大人同士で使っていると、言い方は優しいが意見表明としてはどことなくユルい感じを受ける。


いつ頃から皆「かな」「かな」言うようになったのだろう。私が子どもの頃(というのはかれこれ40〜50年ほど前になるが)には、この言い方は耳にしなかった。大人同士の会話ではこう言っていた。

「〜するともっと良くなるのではないかと思います」

「〜していくべきではないかと思います」

「〜ってのはつまらないんじゃないかと思います」

この場合、「か」はあまり上がらず「と」で上げることが多い。「〜かな?と‥‥」に比べて、少し大人っぽく折り目正しい、その分やや堅苦しい感じを受ける。


おそらく、「〜ではないかと思います」→「〜ではないかなと思います」→「〜かなと思います」と変化したのではないだろうか。

「〜ではないかと思います」より「〜ではないかなと思います」の方が、「な」がつく分だけ当たりが柔らかくくだけているので使われるようになり、やがて「ではない」の部分が長々しいので省略されたと思われる。

ツイッターブックマークコメントなど文字数制限があるところでは、字数節約のため「〜ってのはつまらないんじゃないかと思います」と書きたいところを「〜ってのはつまらないかなと」とすることもあると思う。


ただ、喋り言葉の中であまり頻発すると、時々イラッとする。

「「つまらないかなと思います」ぅ? つまらないと思うんならつまらないって言えばいいじゃん。何だよ「かな?」って。つまるかつまらないかどっちなんだよ」と言いたくなる。

「つまらないんじゃないかと思います」には、「他の人は違うかもしれない。でも私はそう思うのです。ちゃんと理由もあります」という思いが込められる(ように感じる)。

しかし「つまらないかなと思います」には、そこまでの真っ向正面からの意見表明感がない。「いや、ちょっとそうかなって思ったの。思っただけだから。別にどうこうしてほしいってのはないから」というような、当たりが柔らかいと言えば聞こえは良いが、どこか他人事のような、ほんの少し逃げを準備しているような感じが漂う(ように感じる)。

同じことを言っていても角が立たない印象で使い勝手がいいから、広く使われるようになったのだ。「〜させていただきます」もそうだが、内容より言い方が相手にどう受取られるかという、対人関係の円滑度の方がやたら気にされるようになった近年の傾向の一つの現れだと思う。


私もこれまで、折々で「〜かなと思います」を使ってきた。ブックマークコメントなどの「〜かなと‥‥」率も高い方かも。これは文字数節約のためもあったが、ならば「〜かと」でいいはずだった。「な」はいらない。文字数制限のいらない喋り言葉でも、頻繁に使っていると思う。

「かな」があるかないかくらいじゃそう変わらないよ、という意見はあるだろう。誰もそんなとこまで気にしてないよと。であればこれはどこまでも、書く(喋る)側の言葉の伝達についての意識の問題に収斂される。何気ない言葉遣いの癖ほど、意識の深いところに根を降ろしている。

何が私に「〜かなと思います」を使わせるのか。単なる疑問の「〜かな?」は別として、「私はそう思うかな」みたいな四方八方を気にした独り言みたいな言い方をするのは、反発を受けたくないため。当たりの柔らかい人と思われたいため。


そういうのはもうやめようと思う。癖になっているとなかなかやめられないが、書き言葉でも喋り言葉でも意識してやめていくようにしたい。特に授業で、学生の書いたものに対してコメントをつける時に使いがちだから、気をつけなくては。

「〜するともっと良くなるかなと思います」→「〜するともっと良くなるんじゃないかと思います」又は「〜するともっと良くなるんじゃないでしょうか」 

‥‥‥ここまで来たら、「〜するともっと良くなります」と断言しろ。

こういう記事を上げておくと、出席票の裏に「先生、今日は「かな」を7回使いました」と書いてくる学生が出そうだけどまあいいわ。

六文銭六文銭 2015/04/13 11:44  言葉はまずかたちで伝染し、気づいたらその形がもつ気分のようなものがある種の世相のようなものとして一般化することがあるように思います。一時期流行した、語尾上げ言葉もそうでした。語尾を上げるのは疑問文に多いので、なんだか自問自答をしているようですが、やはり、「かな」と同様に慎重に断定を避ける機能をもっていたように思います。反面、なんとなく押し付けがましいというか、こういうふうに疑問形で提起しているのだから反論は許さないといったところもありました。やはり、それも含めて反論を避けるということかもしれません。
 
 私自身がひところ、個人的に気になったのは、「とか」の多用でした。
 「○◯とか思うんですが」や「**とかしたほうが・・・」というように使われるのですが、私の感覚で言えば、「とか」は、「○◯とか、あるいは**とか・・・」という選択肢を含んだ言葉のように思います。ということは、やはり、「かな」と同様に選択肢の可能性を匂わせて断定を避ける言い方ではないかと思います。
 
 いささか乱暴な言い方ですが、言葉の使い方においての相対主義のようなものを感じます。それは、おっしゃるように「意識の深いところに根を降ろしている」と同時に、不確定な時代を内面化したものかもしれないとも思っています。

 「朝日」の「+C」、拝読しました。
 「かな」や「とか」は使われていませんでした。語尾上げがあったかどうかは、書き言葉ではわかりませんでした(笑)。

 少年の頃、小松崎茂が精緻なペン画で描いた「ロッキード F86 戦闘機」に心躍らせたことがあります。

ohnosakikoohnosakiko 2015/04/13 19:03 六文銭さん
語尾上げ、最近は一頃よりは聞かなくなったように思います。あれは、「〜かなと思います」より耳につきました。イントネーションというのは、直接的なものがありますね。「反論を避ける」ための婉曲表現でありつつ、微妙に苛つかせるという。

「とか」については以前書いたことがあります。http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130104/p1
この時も、とても丁寧なコメントを頂いています。やはり六文銭さんは言葉の人だなと思います。

朝日の+C、お読み下さいましてありがとうございます。
「空飛ぶ美術館」展、なかなか面白かったですが、それこそ小松崎茂のイラストから宮崎駿のアニメ絵までいわゆる美術作品以外のものも網羅されていたら、すごいボリュームになっていただろうなと思いました。

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150411/p1