Here we are! Let's rock Japan! pic.twitter.com/5XzkNPYNOU
— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2015, 4月 19
4月20日(月)午前8時すぎ、ポールを乗せた米国発のチャーター機が関西空港に到着した。ファン約500人に出迎えられ、黒のジャケットにサングラスをかけ、左手にはベースのケースを持ったポール登場。ナンシー夫人と仲良く肩を組み、ファンに向けて笑顔で手を振って「オハヨウゴザイマス」「オッス!」「コンニチワ」と日本語であいさつ。「皆さんのことを愛しています」と声援に応えていた。
4月21日は大阪で、23日、25日、27日は東京ドームで、28日は日本武道館での公演が予定されている。
なかでも日本武道館での公演はビートルズのメンバーとして来日したとき以来49年ぶりとなり、期待が高まる。
そこでさっそくジャパンツアー初日、大阪公演のセットリストを振り返り、東京公演で演奏される曲予想とそれにまつわるエピソードを動画付でご紹介。
観に行く人は予習・復習がてら、行かない人も「へぇ~」と思って見てってね。
【ネタバレ注意】※記事の最初に京セラドーム大阪のセットリストを掲載しているので知りたくなければ飛ばして読むべし!
Paul is on the cover of the new issue of @QMagazine which hits newsstands from the 31st March. pic.twitter.com/nwZvasrGlI
— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2015, 3月 26
さっそく21日に行われた京セラドーム大阪でのセットリストをチェック!
ポールマッカートニー セトリ 4/21 @京セラドーム セットリストです♪
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— -takahisa- (@takapac76) 2015, 4月 21
1曲目は「Magical Mystery Tour」で幕開け!
東京公演は、開催日によっては「Eight Days A Week」にスイッチするかも。
その他、新たにビートルズ初期の名曲「Can’t Buy Me Love」、ウイングス時代の名曲「Jet」、昨年12月に発表された新曲「Hope For The Future」が加わったことが、去年、日本と韓国がキャンセルになってしまったワールドツアーと違うところだ。
4月21日のポールの大阪公演は、大阪で開催する5回目の公演。 pic.twitter.com/YWfqY3Jras
— Paul McCartney : 日本 (@PaulMcCartneyJp) 2015, 4月 20
さて、皆さんのセットリスト予想はどうだっただろうか?
私が必ずやるだろうと予想していた曲はこれだった。しかし大阪公演ではポールに見事に裏切られ、「Can’t Buy Me Love」にとってかわってしまった。でも東京公演ではやるかもしれないからせっかくなのでご紹介しよう。
Close your eyes and I’ll kiss you
─目を閉じて 僕のキスを受けとめてほしい
Tomorrow I’ll miss you
─明日、僕は君がいなくて寂しい思いをするだろう
Remember I’ll always be true
─忘れないで、僕はいつだって本気だよ
And then while I’m away
─離れている間も
I’ll write home every day
─毎日、手紙を書くよ
And I’ll send all my loving to you
─そして、ありったけの愛を君に送るよ
ポールの初期代表作のひとつで、ライブでも映えるアップ・テンポな曲。
シンプルな曲ながら、しかしそれでいて決して軽薄ではない歌詞。
あのジョン・レノンに「ポールは完璧な作曲の能力がある」と言わしめたほど完成された曲である。
ジョンはこの曲を絶賛。1980年に「これは残念なことにポールの曲だよ。(笑)/原稿にここで「笑」と入れといてくれよ。くやしいほどいい曲さ。(歌い出す♪)バックで思い入れたっぷりのギターを弾いているのがぼく。」と語っている。
1963年11月22日に発売されたビートルズの2作目のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』収録曲。レノン=マッカートニーの共同クレジットだが、実質的にはポール・マッカートニーの作品で、ロイ・オービソン(映画『プリティ・ウーマン』の主題歌で有名)とのツアー中にバスの中で作られたという。
この曲はアメリカ進出時に出演した人気TV番組『エド・サリヴァン・ショー』の初出演時に最初に演奏した曲としても知られている。
この時なんと、全米総人口の72%の人 (約7300万人) が彼らの演奏を見たと言われている。また、ビートルズ出演の時間帯だけマンハッタンにおける少年犯罪発生率が低下したというエピソードが残っている。
みんなTVにかじりついて観てたってことだろうか。
ジョージ・ハリスンの恋人で、のちに結婚したパティ・ボイドの自伝にも、このエピソードを「ジョージが得意げに語っていた」とある。
#UnDiaComoHoy de 1970 Paul McCartney anuncia la separación de Los Beatles pic.twitter.com/9TzzM4JvfN
— Un Dia Como Hoy (@EfemerideDelDia) 2015, 4月 10
Paul McCartney eating cheese. pic.twitter.com/VJMN4cFWX4
— Old Pics Archive (@oldpicsarchive) 2015, 3月 24
また、ジョン・レノンが1980年12月8日、ニューヨーク市の自宅アパート「ダコタ・ハウス」前で銃撃され、担ぎ込まれた病院で死亡した時、スピーカーから流れていた曲がこの「All My Loving」だったと伝わっている。
この日はオノ・ヨーコと共に雑誌の写真撮影、ラジオの音楽番組のインタビューを受けた後、スタジオでミキシング作業があり、夜になってスタジオから当時住んでいたニューヨークの高級集合住宅、ダコタ・ハウスに帰宅した際、家の前で撃たれたのだった。すぐに病院に搬送されたが、到着してすぐに死亡が宣告された。ジョンはこの時40歳だった。
殺人犯マーク・チャップマンは現行犯逮捕された。
弁護士は彼が精神異常であることから無罪もしくは減刑の申し立てをすると思われたが、有罪の申し立てを行った。
犯人はニューヨーク州法に基づいて仮釈放の可能性がある無期刑の判決を受けたが、オノ・ヨーコの請願などを受け収監期間が延長されている。
本人が反省していない、再犯の可能性が高い、オノ・ヨーコら遺族の強い反対、釈放したらジョンのファンから復讐で殺される可能性がある、などの理由でいずれも仮釈放申請を却下され(2014年8月に8度目となる仮釈放申請が不許可にされた)、2015年現在も服役中である。
(ちなみに「請願書」や「嘆願書」は所轄の官公庁に書面で提出しなければならないが、こういった公的な書類の作成は素人にはわかりにくいものだ。法的なことは身近な専門家が相談にのってくれるらしい。)
犯行当時、レノンの狂信的なファンであると報じられ、世界的にその報道が定着したが、さまざまな憶測も語られた。ケネディ大統領暗殺事件に似た陰謀的暗殺説、CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在はチャップマンの単独犯行であると結論付けられている。
暗殺説が語られた背景には、ジョンの反戦運動の政治的影響力などがあると言われる。また、1981年にはレノンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となる予定であり (永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る) 、これがその直前の犯行の動機に結びつけられて考えられることもあった。
(ちなみに日本の永住権、在留資格の手続きは行政書士に依頼すると取得しやすくなるそうだ。)
チャップマン自身は、仮釈放申請の際に、殺人の動機はジョン・レノンを殺すことで注目を集め有名になりたかった、と語っている。
ジョンは、この日に行われた最期のインタビューで「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」と述べている。
Paul McCartney by Astrid Kirchherr,1966 pic.twitter.com/o7F7gU9poM
— mario andreolini (@marioandreolini) 2015, 4月 16
↑ジョンに出会った頃のポール。メジャーデビュー前のリーゼントの写真は珍しい。
1957年7月6日、ジョンと初めて出会い、前身バンド、クオリーメンに加入した。
ジョンの人生の中で素晴らしい選択の一つだったという、ポール・マッカートニーとの出会い、友情、共に競い合ってきた創作活動─。彼らの深い絆にまつわる話といえば思い出さずにいられないのがこの曲だ。
2013年から続く今回のアウトゼア・ツアーの中で必ず演奏され、21日の大阪公演でも演奏された曲をもう1曲紹介。
思いもよらない衝撃的な事件によって急逝したジョンにむけて、ポールがかいた追悼歌だ。
But as for me
─それでも ボクはといえば
I still remember how it was before
─昔のことをまだはっきりと覚えているよ
And I am holding back the tears no more
─あふれる涙を無理に抑えるのはもうやめたんだ
Ooh- ooh- ooh- I love you, ooh
─ボクはキミを愛してる
「余りにも身近だから、ジョンの事は歌にしないと思っていた。それなのに気が付くと、ギターを持って作曲していたんだ」「男は普段、友達を褒めたり、愛してるとは言わないだろ」とポールが言うように、ストレートなまでにジョンへの愛を歌った歌である。
「Here Today」は1982年に発表されたポール・マッカートニーの4枚目のアルバム『Tug Of War』収録。1980年からレコーディングにとりかかったものの、ジョンが射殺された事件のショックから一時期音楽活動を停止したため、アルバムの制作期間は長期に渡った。
ポールがビートルズ解散後に組んでいたバンド、ウイングスは事実上解散していた。ウイングス解散後、またソロ活動に入るポールだったが、今後を模索していた彼を象徴するように、ポールがアコースティック・ギターを奏でる他は、バックの弦楽四重奏のみ。
「Here Today」はビートルズ時代のポールの曲、「Yesterday」に匹敵する名曲である。
「ジョンの死のすぐ後くらいだった。ジョンについて何かしたいような気になったけど、感傷的な歌詞はよくないって思ったんだ。だって、ジョンだったら、雲の上から見て嘲笑するだろうから。だから、ジョンがもしここに今日いるなら、ジョンは他人のコメントに対して何て言うだろうと考えながら、歌詞を書き留めることにした。”ジョンはこんな奴だった”、”ジョンはあんな奴だった”という歌詞だったら、ジョンは僕を軽蔑するだろうと思ってね。この歌はそういうことなんだ。(ポール・マッカートニー)」
さすがポール。ジョンの性格をよくわかっている。
若い頃から皮肉屋で生意気、反体制的で芸術家肌だったジョンの曲は、どこか儚く切なさをはらむ独特のメロディが多い。詩も意味深で考えさせる。
一方、温厚で社交的、愛嬌があり、幅広い楽曲センスと歌声をもつポールの曲は、愛情深く優しく美しい。
性格も個性も全く異なる2人。競い合うように名曲を生み出し、ぶつかり合うことも多かったけれど、お互いに自分に無いものを補い合っていた関係。
ポールにとってのジョンの死は、耐え難い痛みだったに違いない。この曲によって、哀しみに暮れる自らと真っ直ぐ向き合おうとするポールの真摯な姿が胸をうつ。
耐え難いほどの痛みの感情は、心からの深い愛情によってもたらされていることに気づかされた。その愛情を生前の彼にうまく伝えられなかったことへの後悔の念も含まれているだろう。
しかし涙を抑えて痛みに耐えることよりも、悲しみの根源と向き合い、亡き友人への愛を認識することによって、痛みは昇華していくのかもしれない。
ポールは、自らにとって創作行為は「最良のセラピー」とも語っているように、苦境の中で多くの名曲たちが生まれている。むしろ歌に昇華することで、狂いそうな胸の内と外のバランスがとれるのかもしれない。
「たしかにボクはジョンのために特別な曲をかいた。でもボクは、それが誰かに置き換えられるということがあってもいいと思う。それは、誰か他の人のことであるということもあり得るからね。ただ、ボクにとってはジョンなんだ。(ポール・マッカートニー)」
「人生には言おうとしていることがなかなか言えないってよくあるね。ほら、時どきね。言う勇気がなかったり、タイミングが悪かったりしてさ。それを言えないまま相手が亡くなってしまうと、とても悲しいと思うんだ。みんなだって「ああ、言っておけばよかった」とか「ボクの気持ちを伝えておけばよかったな」と思うことがあるだろ。いつも後になって後悔するだけでね。この曲は、ジョンが亡くなった時にボクが書いた曲で、彼とボクとの会話を想像しながら歌詞を作っていったんだ。(ポール・マッカートニー)」
John Lennon, Paul McCartney – The #Beatles via @Samyryta pic.twitter.com/bOm8ejpVrM
— Beatles Archive (@BeatlesArc) 2015, 4月 20
Paul McCartney and John Lennon, 1966: pic.twitter.com/m910C80jrT
— History Pics (@HistoryPixs) 2015, 3月 31
1974年、いわゆる「失われた週末」(ジョンとヨーコが別居していた1973年10月から1975年1月まで)の期間、ジョンとポールの二人の間にあった険悪な雰囲気(ビートルズ解散直前から不仲となってしまっていた)は消え、昔の仲を取り戻しつつあった。
↓これがその頃のジョンとポール。座ってくつろいだ様子のふたり。
Última foto de John Lennon y Paul McCartney juntos, 1974. pic.twitter.com/uFeNfLkxGA
— Historia en imagenes (@HistoriaDiceQue) 2014, 12月 11
1974年11月28日、ジョンはNYのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトン・ジョンのコンサートに飛び入りで参加。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「真夜中を突っ走れ」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」をエルトン・ジョンと共演。「アイ・ソー・ハー~」は言わずと知れたポールの初期の名曲、私も大好きなロックンロールナンバーだが、これを歌う前にジョンは“親友ポールの歌を歌います”というMCをつけていたそうだ。
このステージがジョンにとって観衆を前にしての最後のライブとなった。
そしてこの日、ジョンに内緒でコンサートを観に来ていたヨーコと再会し、ジョンはヨーコの元に戻る。
この時エルトン・ジョンのコンサートにジョンが飛び入りすることを知って、ヨーコにその場に行くように教えたのは他ならぬポール・マッカートニーだったことをヨーコは2010年になって初めて明かしている。
「Here Today」をあらためて聴き、音楽の力について、考えていた時だった。
来日公演を前に語ったポールのコメントが印象的だったので紹介しよう。
60年代に信じられていた「音楽は世界を変える」という考えは現代でも通用するかという問いに対し、
「世の中を動かすのは、大統領や首相といった国のリーダーたち。言い換えれば、彼らが様々な問題を引き起こすこともある。昔からですが、音楽では、全ての問題を解決できない」
ただ、ポールは「音楽は人の考え方、人生を変えうる」と指摘。
「自由、ポジティブな考え、明るい未来……。僕はいつも前向きになるようなことを歌って、メッセージを発信している」と力説した。
「音楽は人の助けになると思う。自分の音楽で人を助けたり心を癒やしたりできるのが、うれしい。それがミュージシャンとしての誇りです」と結んだ。
私の世代では珍しいとは思うが、私も何を隠そうビートルズによって、ビートルズが教え広めてくれたロックンロールによって、人生を変えられてしまった一人なのである。
所在なくやりきれない日曜の夜も、満員電車で押しつぶされそうなラッシュの朝も、仲間と過ごす夜も、一人の帰り道も、音楽が寄り添っていてくれるから。
ロックンロールがなかったら、こんなに苦しくも楽しい人生を送っていないと思う。
こんなに好きになれるものを与えてくれてありがとう、ポール。
噂によると今回のジャパンツアーでは特別のサプライズも用意されているとか…。
私は28日の武道館公演に参戦する。武道館でどんなステージを魅せてくれるのか、楽しみでしかたない。
[芸能]ポール・マッカートニー、ツアー再開 http://t.co/2L15INR2rB pic.twitter.com/BoTWA0ZxGp
— シネマトゥデイ (@cinematoday) 2014, 7月 7
Paul will headline this year's @lollapalooza music festival at Grant Park in Chicago: http://t.co/nYv74pjS3Q pic.twitter.com/UvG43c1sm4
— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2015, 3月 25
EXTRA DATE: @PaulMcCartney adds second date. Grab your tickets here: http://t.co/qaflCrI68X pic.twitter.com/NIDaTtBmWC
— The O2 (@TheO2) 2015, 3月 9
<出典>
日刊スポーツ‐ポール・マッカートニーがリベンジ来日
オール・マイ・ラヴィング – Wikipedia
ジョン・レノン – Wikipedia
タッグ・オブ・ウォー – Wikipedia
朝日新聞 – ポール「音楽は人の助けになる」 来日公演を前に語る
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