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峰不二子のモデルとなった伝説の美少女~ストーンズの女、マリアンヌ・フェイスフル

1960年代、世界のポップカルチャーの中心だった「スウィンギング・ロンドン」。 前回このブログで紹介したビートルズの女、パティ・ボイドと共にこの時代を語る上ではずせない伝説の美少女がもう一人いる。
ローリングストーンズのボーカル、ミック・ジャガーの恋人として有名な、マリアンヌ・フェイスフルだ。
まるで天使のような清純可憐なルックスと、それに似合わぬロックンロールな生き方をしたマリアンヌ・フェイスフル。裸にレザースーツでバイクにまたがる「ルパン三世」の峰不二子のモデルとなったと言われている彼女。その魅力と素顔に迫ってみたいと思う。

最強女子ファッションはやっぱり60’s!「スウィンギング・ロンドン」

1960年代後半、アメリカ・サンフランシスコでヒッピーと呼ばれる若者達がラブ&ピースを掲げ、自由と刺激を求めて集結していた頃、イギリス・ロンドンでは「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれるカルチャーが隆盛を極めていた。

それはファッション、デザイン、映画、文学、アート、写真、そして音楽などに携わる人々やそれらを支持する人々が醸し出した一つの確固たる文化革命だった。

音楽界ではビートルズローリングストーンズがセンセーショナルなデビューを飾り、ロックに大きな革命をもたらしたが、ロンドンのストリートファッションも、世界的な注目を集める。

世界のポップカルチャーの中心だった「スウィンギング・ロンドン」
今でもレトロポップ、マスカラばっちりのドーリーメイクは女の子の憧れだし、その影響はいまだに音楽やアート、ファッションのみならず、ライフスタイルにも及んでいる。

前回このブログで紹介したビートルズの女、パティ・ボイドは、名だたるロックミュージシャンから愛された美少女だったが、この時代を語る上でもう1人はずせない伝説の美少女が、ローリングストーンズのボーカル、ミック・ジャガーの恋人として有名なマリアンヌ・フェイスフルである。
ミックとマリアンヌは間違いなく60’sスウィンギング・ロンドンを代表する、最もお洒落で激アツだったカップル。
しかし何しろやんちゃ盛りのストーンズの女だった彼女は生き方もセンセーショナルだ。

天使のような清純可憐な顔立ちと、それに似合わぬロックンロールな生き方をしたマリアンヌ・フェイスフル─。彼女は私の永遠の憧れである。

まるで天使のよう─貴族の血を引き、17歳まで修道院で育ったマリアンヌ

父親は大学教授、母親はオーストリアの名門貴族の家出身。
しかし家庭がそれほど裕福だったわけではなく、幼いころに両親は離婚しマリアンヌは修道院で育つ。

1964年3月、17歳の時に当時付き合っていたジョン・ダンバーと共にとあるパーティに出席。この時、ローリング・ストーンズの当時のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムに「この子は売れる」と口説かれたのがきっかけで芸能界入りが決まった。

この時ミック・ジャガーはマリアンヌに一目惚れして、彼女の気を引こうとドレスにわざとシャンパンをこぼすも、あえなく玉砕したそう。そんなベッタベタな演技をしかけるなんて…まったく、可愛いなミック。

マリアンヌは1964年にストーンズのミック・ジャガー、キース・リチャーズが作詞作曲した「As Tears Go By(邦題:涙あふれて)」でデビュー。

マリアンヌの歌う「As Tears Go By」とストーンズの「As Tears Go By」聴き比べ↓

このデビュー曲とその後のヒット曲により、天使のような清楚なルックスと清らかな歌声でポップ・アイドルとしての地位を確立した。

アイドルとして人気絶頂だった1965年5月、18歳の時にジョン・ダンバーと(できちゃった)結婚。

しかしストーンズのメンバーとつるむようになってから、彼らに(そしてドラッグに)ハマっていく。

そして66年末頃、19歳の時にミック・ジャガーと付き合うようになる。
これがのちに堕ちた天使と呼ばれる第一歩となるのだけれど…。
いわゆる不倫の関係だったわけだけど、ロックンロールの世界を知ってしまった彼女からすれば、旦那様ジョン・ダンバーは良くも悪くもいたって普通の男だったのかも。ミックのほうが刺激的かつ魅力的にうつるのは仕方なかったことかもしれない。

そんなこんなで惹かれあってしまった二人─。

公の場でもいつも一緒にいる2人。その関係はもはや公然の不倫カップルとして知れ渡っていた。ビートルズの「愛こそはすべて」が披露されたTV番組『アワ・ワールド』にも2ショットで出演しているし、このブログのタイトルにも拝借した『ロックンロール・サーカス』(ストーンズ企画のTV番組だが長年に渡りお蔵入りだった。現在はDVDとなって発売されている)でもじゃれあう2人を観ることができる。

ブライアン・ジョーンズキース・リチャーズとも寝てから最終的にミック・ジャガーに決めた、と言われるマリアンヌ。
それもハッパをキメながらってことなんだろうけど、まぁなんとも選択肢が豪華すぎます!

でも、ブライアンと本当に関係をもったかどうかはあやしいところ。
彼女にとっては「親友」だったといわれているからだ。
2人は境遇や生き方が共通している似た者同士だったらしい。男女の関係というよりは共感しあう仲間、といった感覚で、恋愛感情には至らなかったのかも。
(後々、激しい個性を放つミックによって、追い詰められていくブライアンと、無意識のうちにアイデンティティをむしばまれていくマリアンヌだったから…。この話はのちに触れるとしよう。)

「Marianne Faithfull As – Tears Go By」(マーク・ハドキンソン著)によると、マリアンヌがストーンズの中で、一番惹かれていたのは、キースだったらしい。
最初は、不愛想だが早熟で知的なブライアンに惹かれたようだが、すぐにその傷つきやすい繊細さに気づいたそうだ。そしてキースの、控えめでくつろいだ雰囲気に惹かれるようになったのだそう。

しかしその後恋人の地位を見事獲得したのはミックだった。ときとして荒々しい行動をとるミックだったが、彼女の心を鷲づかみにしたのだ。二人が恋に落ちるまでに時間はかからなかった。

「とてもステキな人だった。」

「彼のために全てを捨てた。仕事も辞めた。自分の持つ知性と知識をすべて彼のために捧げたの。彼自身や彼の音楽、仕事に。でも入りすぎたのね。」

と、マリアンヌはミックのことを後のインタビューで語っている。

その頃の彼女は、ドラッグの力(怖さ)を知らず、ドラッグは素晴らしいと得意気に話していた。「思い上がっていた」と、マリアンヌは当時の自分を振り返る。

↑初期ストーンズのメンバー。左からビル・ワイマン(ベース)、ブライアン・ジョーンズ(ギター)、ミック・ジャガー(リードヴォーカル)、キース・リチャーズ(ギター)、チャーリー・ワッツ(ドラム)

マリアンヌがストーンズに影響を与え、生まれた名曲たち

ストーンズと、ミックと過ごした60年代、マリアンヌがストーンズに影響を与えた曲たちをちょっとご紹介。

「She’s A Rainbow」(67年)

ミックがマリアンヌを想って歌ったと言われる曲。

She’s like a rainbow
─彼女は虹のようさ
Coming, colors in the air
─彼女がやってくると空気が色づくんだ
Oh, everywhere
─辺り一面さ
She comes in colors
─彩りをまとってやってくる

最近ではベネッセの進研ゼミのCMでお馴染みだが、一昔前にiMacのCMで一躍有名になった曲。
ニッキー・ホプキンスが奏でるピアノの旋律と美しいメロディが印象的。ストーンズにもこんな美しい曲があるんです。まさにマリアンヌのことを歌ったような歌詞に注目。


「Sympathy for the Devil(邦題:悪魔を憐れむ歌)」(68年)

アルバム『ベガーズ・バンケット』のオープニングを飾る曲。
「悪魔を憐れむ歌」は小説「巨匠とマルガリータ」から着想を得ているが、マリアンヌがこの小説をミックに薦め、読んだとされている。

Please allow me to introduce myself
─自己紹介をさせてください
I’m a man of wealth and taste
─私は財産家で贅沢者の男です
I’ve been around for long, long years
─私は幾世も生きてきて
Stole many man’s soul and faith
─多くの人から魂と信仰を奪いました

人類が歴史に刻んだ残虐行為に焦点を置いたこの曲は、発表当初かなりの物議を醸した。ミックは白人にとって異文化の音楽に当たるアレンジが、何かしら非常に不吉なモノを感じさせる効果があると述べているが、まさにゾクゾクするような、心を乱されるような、落ち着いて聴いていられない曲である(←褒めている)。
『ベガーズ・バンケット』はついつい聴いてしまうアルバムなのでもう何回聴いたかわからないが、飽きないんだなー、これが。

レコーディングにはマリアンヌと、キース・リチャーズの彼女、アニタ・パレンバーグ(ちなみにブライアンの元カノ。67年にキースの元に走ってしまい、ブライアンはこの時かなりの精神的ダメージを受けていたそう)もコーラスで参加したそうだ。


「Sister Morphine」(69年作、71年ストーンズがセルフカバーした)

ミックとマリアンヌの共作。17歳まで修道院で暮らしたマリアンヌのアイデアで作られたと言われる曲。

Tell Me, Sister Morphine
─教えてくれ、モルヒネ修道女
How Long Have I Been Lying Here?
─オレはどのくらいここで寝てたんだ?

マリアンヌのシングルのカップリングとして作られたのだが(69年、ミックがアコースティック・ギター、チャーリーがドラム、ジャック・ニッチェがピアノ、ライ・クーダーがギターで参加)、ドラッグ擁護の歌と解釈され、発売禁止になってしまう。

その2年後、ストーンズがセルフカバーで同じ曲を出したとき(1971年『Sticky Fingers』収録)には、誰も異議を唱えなかった。
これに対してマリアンヌは「男と女はまったく違う尺度で生きてることを知ったわ」と語っている。
(キースが当時のマネージャー、アレン・クラインに知らせたことにより、この曲のクレジットにマリアンヌの名が入れられることになる。)


レッドランズ事件、マーズバー・スキャンダル

67年2月、マリアンヌ20歳の時に、サセックス州レッドランズのキース・リチャーズの自宅でミックやキースといっしょにドラッグを満喫していたところを警察にパクられるという事件が起きてしまう。
ロンドン警察が一斉にミュージシャン達を薬物不法所持で検挙しようとした流れだった。

近年ミック・ジャガーの伝記『Mick Jagger』(フィリップ・ノーマン著)の中で明かされたことだが、「レッドランズ家宅捜査事件は、ザ・ローリング・ストーンズのキャリアの息の根を早いうちに断ってしまうためにイギリスの情報局MI5とアメリカの連邦捜査局FBIとで練り上げた尋常ではない計画の一部だった」とのことだ。

このストーンズ壊滅作戦はアメリカにおける国家転覆の試みや不穏分子がはびこることを未然に防ぐFBIによる防諜活動作戦、COINTELPROのひとつとして行われたことで、60年代半ばの時点でストーンズはそこまで反逆的な存在として目されていたということらしい。

マリアンヌは逮捕されなかったものの、「ミックといっしょにいた”全裸のX嬢”」と法廷で言及されたことからマスコミにバレてしまい、ゴシップの女王に…。以降、堕天使のレッテルを貼られることになるのだった。

これがいわゆる「マーズバー・スキャンダル」と呼ばれる事件であり(自主規制により詳細はここでは言及しませんw 気になる方は検索してください)、マリアンヌが一糸纏わぬ姿でそこにいたという事実が、当時大スキャンダルを巻き起こした。「全裸でオーバードースで倒れているのを警察に発見された」とか書き立てられたらしいが、後のキースのインタビューなどから「マーズバー・スキャンダル」はでっちあげらしいことがわかっている。

スキャンダル、ミックの浮気癖、流産…地に堕ちた天使

67年2月のマーズバー・スキャンダル以降、世間からは『地に堕ちた天使』『天使の顔をした娼婦』と言われるようになってしまったマリアンヌ。
そのせいでブラックリストに名前が載り、それまでの可憐で清純だったイメージは壊され、この事件がその後のマリアンヌを変えてしまった。

のちのインタビューでマリアンヌは
「(逮捕劇を通して)ミックとキースはワルのイメージに磨きをかけた。わたしのほうは、けなされ、踏みつけられた。女性としての品位もあの事件で完全に汚されたわ。」と語る。

しかし、ここからがただ者ではない、彼女の強いところ。
「“裸の女”という悪女役を受け入れたわ。お望み通りになってやったの。構うもんですか」

同年、女優として映画デビュー。
そこで出演した映画が、全裸シーンもある『あの胸にもういちど』だ。

アラン・ドロンと共演し、裸に全身レザースーツで不倫相手のもとにバイクを飛ばすシーンが有名となり、このバイカースタイルが『ルパン三世』の峰不二子のモデルになったと言われている。


しかし、一連のゴシップに悩まされ、ミックの浮気癖にも翻弄され、さらに68年にはミックとの子どもを流産で失ったことも重なり、精神的にも追い詰められ、ますますドラッグにハマっていくマリアンヌ…。

最初はマリファナで軽い陶酔を味わう程度だったんだろうけど、精神状態のバランスが危うくなっていくにつれ、次第に危険度の高いドラッグに手を出すように…。この頃からヘロイン中毒は始まっていたのだ。

そして69年7月、よき友人だったブライアン・ジョーンズがストーンズを脱退した約1か月後に、自宅プールの底に沈んでいるのが発見されると、そのショックからか、自殺未遂事件を起こしてしまうのだった。

ブライアンが亡くなった数日後、ミックとマリアンヌは映画の撮影のため、彼の葬儀(7月10日)に出席することも出来ず、オーストラリアに向かっていた。

宿泊先のホテルで、ミックはベッドに入るとすぐに眠ってしまったが、マリアンヌはブライアンのことを思えば思うほど眠れなくなり、医者が処方してくれた睡眠薬を飲んだ。彼女は次から次へと、睡眠薬を口に入れ、ホット・チョコレートで流し込んだ。そしてミックが眠っているベッドに潜り込んだ。
ミックはマリアンヌが意識不明になってから数分後に目を覚ましたそうだ。

その後マリアンヌは睡眠薬の過剰摂取(なんと150錠入っていた薬の瓶は空になっていた!)で6日間昏睡状態に陥ってしまう…。
死の淵を彷徨うマリアンヌは、そこでブライアンに会ったそうだ。

隣にミックが寝ていたから発見がはやくてすみ、何とか一命をとりとめた。

よかった…!マリアンヌが生きていてくれて。
天使のようなマリアンヌもいいけれど、転落・挫折を味わいそこから這い上がって来た、人間・マリアンヌも私は好きだ。


オーバードース(薬物の過剰摂取)

オーバードースとは薬物の過剰摂取のことである。

危険性が高いのは、特にヘロインやモルヒネのような鎮痛薬、アンフェタミン、アルコール、ベンゾジアゼピン系の医薬品や、これらが同時に摂取された場合である。それらは作用する量と致死量が近い薬物である。
逆に、大麻やLSDでは安全係数が高く、重症例はほとんどないそうだ。

このオーバードース(薬物の過剰摂取)の死亡についてだが、実は違法な薬物よりも、合法的な薬物、つまり処方せん医薬品によるものが過半数であり、アメリカでの2013年の調査では、オーバードースによる死亡の74.3%もが意図的ではない死亡だという。

誤判断の例として、作用量と致死量が近い薬物を日常的に利用している場合、薬物に耐性がついて以前と同じ量では効かなくなるが、しばらく利用をやめ耐性が回復したにも関わらず、以前と同じ感覚で利用した場合に、過剰摂取してしまう場合があるそうだ。

特に同時に酒を飲んでいると、アルコールは判断力を低下させるので、危険な行動につながりやすく、結果として薬物相互作用による重篤な過剰摂取が起こり得るとのこと。

また、近年、医師から処方された向精神薬を過量服薬する例が相次いでいるらしい。日本でも精神科の患者に対する多剤大量処方が問題となり、2012年の閣議決定で薬剤師の活用が提起されたが、2014年度からは一定数を超えた薬を処方した医師の診療報酬は減額されることとなった。

精神疾患にかかっている場合、過量服薬を繰り返す場合があるとのこと。
薬にだけ頼るのは危険だ。周囲の人を頼ることも大切だろうし、周りも気に掛けてあげることが必要だろう。

ちなみに医師からうつと診断され働けなくなった場合、日本には障害年金を受け取れる制度というものがあるらしい。お金の心配をせず治療に専念するには、専門家に相談するのがいいだろう。

マリアンヌの愛、弱さと強さをあわせ持つ彼女の素顔、人間的魅力

すったもんだある中であまりにドラッグに手を出すマリアンヌを見かねたミックは止めさせようとするがうまくいかず…この時すでに重度のヘロイン中毒に陥りつつあったらしい。

1970年、ついにミックとも破局

「最初はマリファナから始まって、19か20歳でコカインに手を出した。23の時にはヘロイン中毒で、まともな家もない。転がり落ちたわ。」

「空虚に感じはじめた。どうしたらいいのかわからなくて、ドラッグに頼った。心の隙を埋めるため。本当の気持ちをごまかすため。」

ヘロインに溺れていくマリアンヌは、ミックの元を去ろうと決意する。
「心から彼を愛していたから、ドラッグ漬けの女がそばにいてはいけないと思った。」

別れの原因について、マリアンヌは次のように語っている。
「別れをドラッグのせいにするのは、簡単よ。別れたのは私自身に原因があった。愛の育み方がわからなかったの。人を信頼することができなかったからよ。」

ミックとの破局後は男性不信に陥ったという。

ブライアンの死後、彼に負けず劣らずドラッグ漬けになっていくミックとキースだった。しかし、マリアンヌも言っているが、2人は肉体的にも精神的にも強かったのだと思う。ブライアンは繊細すぎた。だから、27歳でこの世を去ったのだろう。

しかし、マリアンヌも強かった。
それは、歌や芝居が彼女を支えたからだろうと思う。

“シスター・モルヒネ”を地で行くヤク中、人生で一番地獄を見た60年代末から70年代を経て、79年に歌手として第一線に復活
天使のような清らかな歌声、エンジェルボイスは完全に失われてしまったが、ハスキーボイスで歌うその歌は、折しもパンクミュージック全盛期の後半であり、新生マリアンヌの声とマッチしたものだった。
かつての可憐なイメージをかなぐり捨て、精力的に活動を再開している。

女優としても2006年に映画「マリー・アントワネット」でマリア・テレジアとして出演。2007年には61歳で映画「やわらかい手」の主役、マギーを演じた。

2006年には乳がんを患い、闘病生活を送っていたようだが、久しぶりにミックから連絡があったとか。いろいろあって別々の人生を送ることになっても、時を経て、憎しみ合うことなくまた連絡を取り合える仲でいられるというのはなんだかいい話だ。


「Wild Horses」(71年)

ミックがマリアンヌとの別れを歌ったといわれるシングル曲。
こちらは2015年3月31日に公開された未発表のアコースティック・ヴァージョン。

Let’s Do Some Living After We Die
─死んでから あの世でいっしょに暮らそう
Wild horses couldn’t drag me away
─野生の荒馬でもおれたちを引き離すことはできない
Wild, wild horses, we’ll ride them some day
─いつか二人であの馬にのっていこう

マリアンヌへの強い愛とこの世での決別を歌ったともとれるこの曲だが、聴く人によって、また聴く時によって感じ方は違うし、解釈はいろいろだと思う。ロックとはそう、自由なものだ。

「恋人に傷付けられながらも絶対に離れることはできない」という強い愛を歌った曲にもとれるし、「逆境にも関わらず諦める事も、棄てる事も出来ず、でも、己を信じ己の愛を貫き通そうとする逞しさや力強さを秘めた歌」ともとれる。

のちのインタビューでマリアンヌがミックへの深い愛を語ったひと言─。
「心から彼を愛していたから、ドラッグ漬けの女がそばにいてはいけないと思った。」
この想いを知ると、この曲がまた違った視点から聴けて、泣けてくるのだ。

『Sticky Fingers』は私がストーンズで初めて聴いたアルバム。何かと言っちゃー聴いている大好きな一枚。でも飽きない。どんな時にも寄り添ってくれるから。

2015年5月からまた新たな北米ツアーに出るローリングストーンズ。
今回のツアーはこの「Wild Horses」も収録された大名盤『Sticky Fingers』にレア・トラックを大量に追加したデラックス・エディション(6/10に発売)をひっさげてのツアーらしい。日本にも来てくれないかなー!

スウィンギング・ロンドンとロックンロールのスピリット

60年代カルチャーは、社会の既成的な価値観を破ろうとする新しい若者文化の爆発だった。すべてが実験的で青かった青春時代。
マリファナなんかは一般的に使われていたんだろうけど、まだまだドラッグの危険性なんてそんなにわかってなかったんじゃないかな。当時を生きたブライアンが、マリアンヌが、身をもって教えてくれたことなんじゃないだろうか。

スウィンギング・ロンドンの若者は、特権階級への反発意識や反体制意識に溢れていた。
そんな精神が根底にあったから、ファッションにおいても庶民のお洒落が著しく進化した。女性のミニスカートの流行、それは、性の解放にもつながっていった。

60年代は日本でもこれまでの封建的な社会から、女性の解放が叫ばれた時代。
ミニスカートノーブラが流行り、そして未婚の母が流行った時代らしい。
それまで自由に恋愛して好きな人の子供を産むことさえもままならなかったなんて。

ちなみに今フランスでは「結婚」という制度に縛られることはなく、未婚の母は当たり前の文化らしいよ。自由の国、フランス。そういう文化革命が進んでいるなら世間の目も穏やかそうだし社会制度も整っていそう。

60’sカルチャーを表現するキーワード、「ラブ&ピース」、「スウィンギング・ロンドン」。

当時の文化革命には「世界を変えたい」「女性だって自由な人生を選びたい」といった「破壊と創造」の精神があった。それがいわばロックンロールのスピリットであり、Mojo(魔力)だ。これだけはいくら時代が移り変わっても失われることはない。当時の音楽やカルチャーが今なお私たちを魅了するのは、そのためである。

ロックじゃ世界は変えられない?
いや、あえて言わせてもらう。
このロックンロールのスピリットこそが、世界を変えるのだと私は信じている。

<出典>
マリアンヌ・フェイスフル – Wikipedia
ローリング・ストーンズ – Wikipedia
オーバードース – Wikipedia
ローリング・ストーンズの67年の薬物捜査はFBIとイギリス情報局MI5が仕組んだものだったとミック・ジャガーの新刊伝記が指摘
「マリアンヌ・フェイスフル」マーク・ハドキンソン著、キネマ旬報社
 (彼女を取り巻く多くの人にインタビューした本)
「マリアンヌ・フェイスフル」DVD
 (マリアンヌ本人のインタビューと歌で構成されているドキュメンタリー映像)

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