連載第56回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(9)〜Appleチルドレンと、Pandoraと、日本で進む音楽離れと[上]
■日本で進む音楽離れ
▲日本の若年層では、無料で音楽を聴くよりも深刻なトレンドが発生している。音楽離れだ
「これ、読みましたか?」
青山のとある店での夜だった。Aさんは料理の並ぶ上から、分厚いレポートを筆者に見せた。今年は会食の機会が多い。節目の年だからだろう。音楽産業の今後について、真剣な相談がほとんどである。
「今回はずいぶんと気合の入った調査ですね」
パラパラとめくり、筆者は毎年確認する、ある項目を探した。ふだんは毎年3月に一般公開されるのだが、今年は遅れているようだ。レコ協が毎年出している『音楽メディアユーザー実態調査』である(※1)。
「こんなに詳しくなると読むのが大変なんですけどね」と笑うAさんに微笑み返しながら、目当ての項目に辿り着いた。
「ここ、かなり増えてますね…」と筆者が指さした先を見て、「そうなんです」とAさんは意を得たように大きく頷きつつ、資料を手元に戻した。
そのページには、音楽にお金を払わない層の推移がまとめてあった。
音楽にお金を払わない層といっても、大別すれば3つに分かれる。ひとつ目はおなじみの『フリーライダー層』。ファイル共有が席巻した頃のような激増はなくなったが、動画共有の人気により、音楽を無料で楽しむ層は今も微増傾向にある。スティーブ・ジョブズの物語を中断して、この課題を論じてきた。
その夜、我々が眉を顰めたのはフリーライダー層のことではなかった。
それは予想通りであり、日本の音楽業界は昨年から水面下で対策を進めてきた。欧州を中心に無料層を有料へ誘導してきたSpotify、そのフリーミアムモデルを參考にした戦略だ。スマホ文化に合った手軽なライトプランと、月額980円のプレミアムプランを合わせたライトミアムモデルの定額制配信である。
だが無料層を構成するのは、フリーライダー層だけではない。
手持ちの曲しか聴かなくなった『既知曲層』。彼らはしばらくすると音楽を聴かなくなり、『無関心層』に変わる。この流れを音楽離れと呼ぶが、我々が視線を落とした先にあったのは、この音楽離れが如実に出たグラフだった。
2014年版は未公開なので差し控えるが、その数字は前年度とほとんど変わらない印象を受けた。なので2013年の数字で説明しておこう。
2009年から4年で、若年層の無料層は32.3%から41.3%に拡大したが、これを押し上げたのはフリーライダー層ではなかった。フリーライダーは確かに層が厚いが、21.5%から23.2%に微増したのみだ。ファイル共有の減少と動画共有の増加が均衡した印象だ。一方、『既知曲層』と『無関心層』は合わせて、10.8%から18.1%に急増していた(※2)。
近年、無料層を急拡大させたのはフリーライダー層ではなく、音楽離れの方だったのである。
フリーライダー層に対しては、無料から有料への導線を敷く。それが欧州レコード産業がSpotifyで行った社会実験だった。
では音楽離れにはどうすればよいだろうか?
この問いかけと共に、次の物語から歴史篇を再開しよう。本章を読み終えた時、何がしかのヒントが読者の脳裏に閃いていればと願っている。
※1 http://www.riaj.or.jp/report/mediauser/
※2 調査対象となった中学生〜大学生の人数と20代の人数を導き出し、合算して計算しなおした
■とあるAppleチルドレンの少年時代
1984年、暗黒郷が到来していた。男女となく頭髪を剃り上げた人びとが行進し、広場に整然と並んでいく。彼らの無感情な視線を集めた先には巨大スクリーンが聳え立っていた。
「我らはひとつの思想、ひとつの意志に統合され、国民はひとつとなったのだ」
画面上の独裁者が高らかに演説する中、目の覚めるような林檎色を履いた女性アスリートが駆け込んできた。鉄槌を両手に疾走し、警備を切り抜けていく。
「世界を支配するのは、我らである!」と独裁者が叫んだ瞬間だった。彼女の投げ放った鉄槌がスクリーンに炸裂した。光が迸り、人びとの顔に驚愕の感情が戻る中、その解放宣言は読み上げられた(※1)。
「来る1月24日、Appleコンピュータはマッキントッシュを発表します。1984年をこのような『1984年』には決してさせません」…
スクリーンが暗転し、会議室の電気がパチリとつけられると、頭を抱えるAppleの取締役たちの姿があった。パイロット版の映像に感激したためではなかった。
「こんな酷いCMは見たことがない」
ひとりがそう言うと、堰を切ったように不満が飛び交った。批判を受けたジョブズは荒れた。彼は、映画『ブレードランナー』のリドリー・スコット監督を起用し、このCMに75万ドルもの撮影費をかけ、渾身の作品を創りあげたつもりだった。現在価値に直すと2億円、安い映画なら一本撮れてしまう制作費だった(※2)。
加えて、CEOのスカリーを友情で説き伏せ、世界一の注目度と広告費と云われるスーパーボウルのCM枠も購入済みだった。そのスカリーが嘆息し、言った。
「キャンセルしよう。CM枠を売り払ってくれ」
取締役たちの不評におののいた彼は、意を翻してしまったのだ。怒声が続いた後、裏切られたジョブズはドアを叩きつけて部屋から出て行った。
結局、広告代理店にいたジョブズの盟友リー・クロウがうまく誤魔化したおかげで、無事CMは放送された(※3)。リー・クロウたちは、ジョブズの終生の信頼をこれで勝ち取った。復帰後もCMを担当し、次々と傑作をものすることになる。Think differentキャンペーンやiPodのシルエットCMがそれである。
それはコンピューティングの力を個人に解放し、世界を変える宣言だった。国民的スポーツ番組の合間に、まるで異質なその映像が流れると、全米の視聴者に衝撃が疾った。その中には14歳のトム・コンラッド少年もいたのである。
翌朝、少年は起きると一目散でポストへ向かい、新聞を取った。昨日のCMが事件のように報道されていた。頁をめくると、初代マッキントッシュの写真が目に飛び込んできた。こいつか。こいつが世界を変えるのか。
少年はその広告を丁寧にちぎり取り、勉強机の前の壁に画鋲で貼り付けた。そしていつか絶対、Apple社に入ってやると誓った。
コンラッドは勉学を重ね、ミシガン大学に合格した。少し後に、Googleの創業者ラリー・ペイジも同校に入学している。ペイジは同大学のコンピュータ科学部を卒業後、スタンフォード大学院に行き、Googleを起業した(連載第49回)。
コンラッドの方だが、コンピュータ工学部に行った。語学が苦手だった彼は、コンピュータ科学には形式言語の学習が必須と聴いておののいたのである。これが失敗だった。語学よりもっと苦手と判明するエレクトロニクスをたっぷりやらなければならなかったからだ。一年生の終わりに成績表を見ると、コンラッドは夢が潰えていく心地がした。
挫折感に耐えていた大学二年生のある日のことだった。クラスメイトが廊下で話しかけてきた。
「おい聞いたか?Appleのインターンに決まったやつが出たってよ」
絶句した。一体誰なのか、問い返すだけで精一杯だった。名前はわからないが我々のライバル、コンピュータ科学部の同級生だとクラスメイトは言う。
コンラッドの胸に炎が戻ったのはその瞬間だった。そのクソッタレがどんなやつなのか、知りたくて訊いてまわった。トニー・ファデルという名前で、コンピュータ科学部の癖にエレクトロニクスも得意らしいという以外、結局わからずじまいだった。
絶対に負けてられない。コンラッドは決意を取り戻し、ありったけの情熱を込めたカヴァーレターをAppleの人事部に送った。1984年、初めてマッキントッシュのCMを見た時から、Appleで働くのがずっと目標だったこと。コンピューティングの力で世界を変えるのが、少年時代からのすべての夢だったこと…。
大学三年になって、Appleから通知が届いたとき、彼の手は震えていた。合格通知だった。父の運転するバンに乗り、カルフォルニア州のApple社に行くと、待っていたのはもっと凄い話だった。マッキントッシュのユーザーインターフェースを開発するFinderチームに配属する、というのだ。
「優秀なプログラマの仕事は、平凡なプログラマの40人分に相当する」
それがジョブズの持論だ(※4)。ジョブズ追放後のFinderチームも、Appleの非凡なプログラマたちの中でも選りすぐりの人材が七人だけ集まった、中核中の中核のチームだった。ついていくのがやっとだったが充実したインターンの日々を終え、大学四年を迎えたある日、その電話はかかってきた。
「おまえ、卒業したらあのチームで働くよな?」
Finderチームで面倒を見てくれたマネージャーが、当然のようにそう言ってきた。入社面接は無しでいいという。1984年、あのCMを機に少年の抱いた夢は実現したのである。
かつて諦めかけていたじぶんを奮い立たせたあの同級生をコンラッドが忘れることはなかったが、Appleの新卒採用に同級生の名は含まれていないようだった。
実はその後、ジョブズの復帰したAppleにかの同級生はコンサルタントとして招聘され、認められて極秘プロジェクトのリーダーを歴任するのだが、引き抜きを恐れたAppleは彼の名を隠し続けていた(第二巻第四章)。
だからコンラッドが初めてiPodに触れた時、その開発責任者が、じぶんの人生に触れたあのクソッタレのトニー・ファデルだということに気づくことは無かったのである。
※1 https://youtu.be/OYecfV3ubP8 解放宣言は「And you'll see why 1984 won't be like 1984.」を意訳してある。
※2 CPIで現在価値に直し、120円/ドル換算した。 http://www.measuringworth.com/uscompare/relativevalue.php
※3 Walter Isaacson(2011) "Steve Jobs", Simon & Schuster, Chapter 15.
※4 『Wired』1995年1月号 『What's NeXT ネクスト・コンピュータ 叶えられた祈り』小林弘人 pp.53
■iTunesに触って起きた後悔
▲トム・コンラッド
Flickr : 2010 Some rights reserved by Thomas Hawk. https://flic.kr/p/7RYnSs
コンラッドがiPodを真面目に触り倒したのは、Appleを辞めてから随分後だった。
2004年の春。仕事から帰ったコンラッドはソファに身を沈めた。大きく溜め息をつくと、心配した愛犬が寄り添ってきた。いまの会社ではうまくやっている。だが、飽々しつつあった。愛犬の頭を撫でてやりながら、彼は思った。
(結局、俺はAppleチルドレンなのかもな…)
Appleを辞めたことは後悔してなかった。ジョブズ復帰前のAppleは恐竜のように仕事が遅く、人材流出が続いていた。入社から3年経って慄然としたことを思い出す。プログラムの腕が上がってないのだ。
OSの販売計画から広告戦略まで、あらゆる会議に付き合うので、プログラムに専念できたことがなかった。エキスパートとして道を極めたかった彼は、このままではじぶんは駄目になると思い、転職した。
それからプレステのヒットゲームの開発など、手がけた仕事はだいたい成功したが、2001年にPets.comにいた彼はネットバブルの崩壊に巻き込まれた。職は確保したが、Ajaxのオーサリングツールを企業に売るという今の職場に、ユーザーインターフェース・エンジニアの真の醍醐味はなかった。
ジョブズがNeXTで経験したことと同じだった。一般消費者を相手にしてないと血がたぎらない。今更ながら、コンラッドはそんなじぶんに気づいてしまった。愛犬の目を覗き込み、彼は言った。
「いっそ、ノーパソ一丁で起業しちまうか?」
ワンっと返事がかえってきた。この時期、そんな感じで起業したプログラマたちは多く、彼らの作品がネットバブル崩壊以降の新たな潮流を作っている。写真共有のFlickrやソーシャルブックマークのDeliciousがそれだった。
部屋にはテレビからiPodのシルエットCMが流れていた。iPod miniが発売され、ジョブズの敬愛するSonyのWalkmanを、いよいよAppleが追い越そうとしている時期だった(第二巻第五章)。
コンラッドはテレビを消し、本棚へ向かい、1000枚のCDを眺めた。音楽をかけようと思ったのだが、ふと買ったまま放ったらかしていたiPodのことを思い出した。多忙のせいか、無数のCDをiTunesに取り込むのが億劫で、まだちゃんと使ってなかったのだ。
彼はPowerbookを開き、CDを取り込み始めた。そしてiPodとiTunesをいじるうちに、初めて激しい後悔が襲ってきたのだった。
■ティム・ウェスターグレンという男。コンテンツ解析
▲ティム・ウェスターグレン
Flickr : 2008 Some rights reserved by Thomas Hawk. https://flic.kr/p/66TWJ8
後悔は、少年時代の夢だった職場を辞めたことではない。iTunesを触っていると奔流のようにアイデアが吹き上がってきたことが辛かった。俺だったら、ここはこうする。iTunesのユーザーデータをこう活かす…。
その感覚は、ジョブズがNapsterに遅れて触ったときに感じたものとほとんど同じだったろう。ジョブズは、デジタル音楽革命に乗り遅れたことを後悔し、iPod開発の闘志に変えた(第二巻第四章)。コンラッドも、iTunesにあまりに遅れて触ったと思った。俺は、このデジタル音楽革命の奔流になぜこれまで参加してこなかったのか。火のついた彼は形相を変えてキーボードを叩き、アイデアを整理し始めた。
彼の構想は、iTunesのユーザーデータを使って一人一人の趣味に合った曲、ライブ、そして音楽仲間を紹介するというものだった。
「…ということを考えているんだがどう思う?」
コンラッドは友人に相談してみた。偶然か必然か、それは大西洋を跨いだロンドンでLast.fmのチームがちょうど到達したものと同じだったが、二人は気づいていなかった(連載第49回)。
風薫る5月。彼はオークランドのカフェにいた。音楽系のレコメンデーションなら、クレイジーなことをやっているやつがいるから会ってみないか、と友人に薦められたからだ。
「ティム・ウェスターグレンです」と現れた男は控えめな口調で挨拶し、手を差し出した。握手すると謙虚な性格が伝わってくるような気がした。
しかし彼の創った会社は、サヴェージ・ビースト・テクノロジー(猛獣の技術)というメタルバンドのような名で、社是は名前よりも更に過激だった。
一握りの売れっ子とその他大勢のミュージシャン。インターネット登場以降も、貴族制が音楽の現実だった。レコード産業始まって以来続くこのヒエラルキーを転覆すべく、究極の音楽レコメンデーションを創っているというのだ。
着想したのは、映画音楽の作曲を手がけていたときだという。山とばかりにCDを積み上げた机を差し挟んで、監督と対話を重ねていく。それがミュージシャン、ウェスターグレンの仕事スタイルだった。
「この曲はどうですか?」
「ちょっと違うな…」
「ではこの曲は?」
「うん、近づいたがもっとこう明るい恐怖という感じの…」
次々とCDをかけながら、監督の反応を音楽理論で分析して、求めている曲のイメージを掴んでいく。ウェスターグレンはスタンフォード大で政治学を専攻したが、副専攻で音楽理論とコンピュータ音響学を学んでいた。
ほかに彼はロックバンドのバンマスを務めていた。というよりバンドが本職のつもりだったが、カルフォルニア州を超えて人気が広まることが無かった。宣伝費が全くないせいか、メディアに取り上げられることもなかったからだ。
そんなある日、劇伴の作曲中に思いついたのがミュージック・ゲノム・プロジェクトの構想だった。
ミュージシャンを何十人となく集め、人に薦めるに値する曲を彼らにキュレーションしてもらう。そして一曲一曲を、その耳と音楽理論で事細かに解析してもらい、ミュージシャン自身がデータベースに入力。
そうすれば、生身のセンスと人工知能とが融合した、究極の音楽レコメンデーション・エンジンが誕生すると考えた。実際にミュージシャンを何十人も集め、作業してもらっているという。
説明を聞いたコンラッドは心のなかで叫んだ(※)。
(コンテンツ解析、いやエキスパートシステムをやっているのか?)
見え始めてきた。音楽産業へだけではない。ミュージック・ゲノム・プロジェクトはコンピュータ科学のメインストリームに対する反逆であり、IT産業の巨人Amazonへの挑戦でもあった。
■協調フィルタリング。Amazonのおすすめが持つ致命的な欠点
AmazonのCEO、ジェブ・ベゾスは商品おすすめ機能が完成したとき、土下座してエンジニアたちに感謝したという逸話が残っている(※1)。
ベゾスは、小売業を起業したつもりはなかった。自らガレージで梱包を手伝う中、「Amazonはテクノロジー企業だ」と言い続けていたが、それが現実となったのは、人工知能でおすすめ機能を実装した瞬間だった。
この人工知能はレコメンデーション・エンジンと言い、客の顔を逐一覚えている小さな書店の親父さんのように、顧客ひとりひとりに合わせて、きめ細やかにお薦めの本を示すことができた。パーソナライゼーションの誕生だ。
テクノロジーの力で、有象無象のECサイトから抜けだしたAmazonは、本からCDへ業務を拡大。音楽ファンのあいだでも、レコメンデーションは歓迎され、この音楽進出を機に、全てを売る巨人企業へと駆け上がっていった。
Googleの検索エンジン。Amazonのレコメンデーションエンジン。人びとはそれと知らず人工知能のおすすめを受けるようになった。
Amazonのレコメンデーションエンジンに使われている技術は、マッキントッシュのGUIと同じ親を持つ。
協調フィルタリングはパロアルト研究所で受肉した。研究員ははじめこれをメールのフィルタリングに使い、次に音楽レコメンデーションに使ってみた。好きなアルバム名をメールすると、おすすめCDが自動返信される仕組みだ。
だがおすすめの精度を高めるには、誰が何のCDを買ったのか大量のデータが必要で、研究所の中で陽の目を見ることはなかった。機械解析の宿命だ。
GUIを初めてマネタイズしたのがジョブズだったように、協調フィルタリングで初めて大稼ぎしたのがAmazonの創業者ベゾスだったのである。ベゾスもまた学生時代、コンピュータ科学を専攻した人間だった。
Amazonの成功は、無数の模倣者をオンラインに生み出した。協調フィルタリングとビッグデータさえあれば、その秀逸なレコメンデーション・エンジンは容易に模倣することが可能だったからである。
だが協調フィルタリングは、万能ではない。「このCDを買った人は、このCDも買っています」という仕組みだと、無名ゆえ誰も買わないCDは、いつまでもお薦めの俎上に上がってこない。これをコールドスタート問題という。
「ネットの普及で、マスメディアの時代とは変わる。宣伝費を持たないミュージシャンも陽の目を見る時代が来る」
そういわれていたのに現実は、人気ミュージシャンの寡占はかわらなかった。いや、むしろ進んだ気配さえある。
2014年、1%の売れっ子ミュージシャンが売上を占める割合は、CDなど物理売上で75%、iTunesなどダウンロード売上で77%、Spotifyなどストリーミング売上で79%になっている(連載第54回)。
なぜだろうか? そこには協調フィルタリングの普及が関わっている。
協調フィルタリングはソーシャルメディアの世界も支配している。Facebook、Twitterのタイムラインは、協調フィルターで取捨選択された人気投稿が表示される(連載第50回)。
知られぬものは推薦されず、知られぬままに終わるのが、協調フィルタリングのコールドスタート問題だ。
人びとの常識に反して、宣伝費でキックスタートを打てない楽曲は不利になるのが、ソーシャルメディア・マーケティングの世界である(連載第55回)。印象に反して、MTVやラジオの時代とほとんど変わりないということだ。
そして人びとがネットバブルに浮かれていた15年前(2000年)から、この問題に挑戦を開始したミュージシャンたちがあった。それがミュージック・ゲノム・プロジェクトに集ったウェスターグレンたちだ。
■ウェスターグレンとミュージシャンたちの目指した革命とは?
協調フィルタリングの本質的な欠陥、コールドスタート問題は、解決に「コンテンツ解析」が有効であると言われている。だがコンテンツ解析はあまり流行らない。機械解析では精度がでないためだ。やるとしたら人手を使って、ひとつひとつの作品を分析してもらう必要がある。
1980年代、パソコンの隆盛に反して、人工知能(AI)派は冬の時代を迎えていたが、辛うじて生きる場を見つけた人工知能があった。コンピュータに何か質問すれば、専門家が答えてくれるように答えを返してくれる、エキスパートシステムだ。
が、エキスパートシステムには致命的な欠陥があり、廃れていくことになった。大量のエキスパートを雇って、専門知識のデータベースを構築することはコスト上、現実的でなかったのである。
音楽コンテンツのエキスパートすなわちミュージシャン。彼らを大量に雇き、一曲一曲を解析して、その知見をデータベースに入力してもらう。ウェスターグレンたちがやっているコンテンツ解析は、エキスパートシステムの一種であった。時代に逆行したやり方であり、戦う前に敗北が約束されているようなものだったのだ。
無謀な戦いだった。そこまでしてウェスターグレンらは何を実現したかったのか。
金融経済が実体経済を超えると富の寡占が進み、貧困が広がる。その歴史的経緯を解き明かした経済学者ピケティは、解決策を税による再配分に求めた。同じく寡占の進む音楽ビジネスの中でウェスターグレンらがやろうとしていたのは、売上の再配分、再投資といった解決ではない。
彼らは、ミュージシャンのセンスと人口知能とを融合して、みずから救世主を創り出そうとしていた。
楽曲のDNAとリスナーの趣味の一致。それだけで音楽をプロモーションする仕組みができれば、宣伝費を持たない新人、インディーズ、はては中堅ミュージシャンたちであっても、等しくリスナーを得るチャンスが得られる。
1%が支配する貴族制を破り、音楽の民主主義を実現する。それがウェスターグレンと、彼のもとに集ったミュージシャンたちの目指す革命だった。
海軍であるより、海賊であれ…。かつてジョブズはチームをそうアジテートし、オフィスの屋上に海賊旗を掲げ、社内で暴挙と呼ばれた初代マッキントッシュの開発を成し遂げた。
会話を交わすあいだ、コンラッドはウェスターグレンの人となりを掴もうとしていた。
彼の声色は控えめで、眼差しは下を向き、時々こちらを向いた。差すように視線を向け、殴るように言葉を投げるジョブズとは対極にあるように思われた。
同時にコンラッドは、ウェスターグレンの秘めた情熱に、どこか圧倒されるような心地を持った。世界を変える。時折向ける彼の眼差しはその決意を語っていた。
※1 ブラッド・ストーン著, 井口耕二訳 (2014)『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』日経BP社 第1部第2章
■「クレイジーな人たちがいる」
しかし、とコンラッドは思った。腑に落ちぬものがある。
数十人のミュージシャンの雇用を維持するキャッシュは、どう稼いでいるのか。「ビジネスモデルはまだみつかってないんです」という返事に、彼は仰け反った。
信じられないものを見ているような彼の表情に気づいたウェスターグレンは、起業した頃は周りからクレイジーと連呼されたと告白した。
起業資金は集まったのだが、案の定、大人数のミュージシャンを雇う人件費であっという間に尽きてしまったという。資金を再調達しようとしたが、ネットバブルが崩壊。さらにNapster旋風が吹き荒れ、音楽ビジネスは最も儲からない世界に変わってしまった。
以来、出資依頼を断られること347回。最近、348回目にしてようやく800万ドル(約9億6000万円)を調達できたが、彼を信じて無給で働いてくれたミュージシャンたちに給料をまとめて支払ったら、ほとんど無くなってしまったそうだ。
クレイジーな人たちがいる…。そのセリフから始まる映像がコンラッドの脳裏をよぎった。ジョブズ復帰後、「Think Different」を謳い、Appleブランド復活の狼煙をあげたリー・クロウの傑作CMだった。
オフィスへ行くと彼らがいた。ミュージシャンたちはヘッドフォンを付け、その耳で曲を分析し、データベースに入力していた。
聴くに値する曲を選ぶ。それから発声法、使用楽器、リズム、コード、アレンジ、録音形式…。450に及ぶ基準に基づき曲のDNAを解析していく。手作業なので、一曲あたり20分ほどかかる。いま解析が終わっているのは○万曲で…
そう説明しながら、ウェスターグレンはキーボードをカチャカチャ鳴らして曲名を入れ、おすすめの曲が自動で並ぶ様を見せた。
「触ってみてください」と彼はコンラッドに微笑みかけた。
コンラッドはじぶんの好きなアーティスト名を入れて、プレイリストが自動生成されるのを吟味していった。確かに、と思った。Amazonなど比較にならぬほどの精度だ…。
そして、自身の構想を思い返した。音楽レコメンデーションを活用したソーシャルメディア…。今は無いがいつかありがちになるのではないか。今後、音楽系のレコメンデーション・サービスはいくつも出てくるだろう。その際、勝負となる箇所は結局、おすすめの精度ではないのか。
ウェスターグレンたちは、全精力を選曲にフォーカスしている。コンラッドはジョブズが戻る前に辞めてしまったが、「フォーカス」はジョブズの仕事哲学から学び取った最も大切なマントラだった。
「実はCTOを探しているのです」とウェスターグレンは切り出した。
CEOから降りて、腕利きのCEOとCTOをスカウトすること。それが800万ドルを出資したベンチャーファンドの指定した条件で、株もほとんどベンチャーファンドに譲り渡した。
わずかに残った株も、3分の2を新たなCEOとCTOに譲るつもりだという。そこまでしても成し遂げたいものがある。そうウェスターグレンは考えているようだった。全く、とコンラッドは苦笑いした。
「彼らはクレイジーと言われるが私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが本当に世界を変えているのだから」
Think DifferentのCMはそう終わっていた。クレイジーに、付き合ってみるか…。2004年7月、コンラッドはサヴェージ・ビースト・テクノロジー社のCTOを引き受けることにした(続く)。
http://zurb.com/soapbox/events/6/Tom-Conrad-ZURBsoapbox
http://www.businessinsider.com/tom-conrad-pandora-interview-2012-11
http://liveworkoakland.com/2014/03/18/pandora-co-founder-steps-back-tom-conrad-stepping-down-as-cto/
http://vator.tv/news/2011-06-15-best-pandora-stories-speeches-interviews
https://www.youtube.com/watch?v=sKTsulK84bg
●次回は<2015年4月20日>更新予定!
【連載第57回「スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(9)〜Appleチルドレンと、Pandoraと、日本で進む音楽離れと[下]」】
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。上智大学英文科出身。大学在学中から映像、音楽、ウェブ制作の仕事を始める。2000年、スペースシャワーネットワークの子会社ビートリップに入社し、放送とウェブに同時送信する音楽番組の編成・制作ディレクターに。ストリーミングの専門家となる。2003年、ぴあに入社。同社モバイル・メディア事業の運営を経て現在は独立。作家活動とともに、音楽メディア・音楽配信・音楽ハードの戦略策定やサービス設計を専門とするコンサルタントとして活動中。京都精華大学非常勤講師。東京都、自由が丘在住。本連載を書籍化した全六巻の大作「未来は音楽が連れてくる」( http://otocoto.jp/otobon/mirai.html )の刊行が始まっている。
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