その心は、どちらも「かもしれない」に気をつける。
教習所で、かもしれない運転っていうのがあって、子どもが飛び出してくるかもしれないとか、悲観的な予想をしながら運転するとちょっと安全っていうやつ。
Tumblrテーマを作るとき、っていうか一般的にユーザーコンテンツが載るCSSのコーディングをしているとき、ぼくはだいたいこういうことを考えながら作る。
- 本文に巨大な画像を貼ったら崩れるかもしれない
- 本文に長いURLを貼ったら崩れるかもしれない
- 本文に巨大なiframeを埋め込んだら崩れるかもしれない
- 本文が短すぎると崩れるかもしれない
- ブログタイトルが長すぎると崩れるかもしれない
- 記事にタイトルが無いとき崩れるかもしれない
- 記事にカテゴリが無いとき崩れるかもしれない
- スマートフォンで見たら崩れるかもしれない
- 特定のブラウザで見たら崩れるかもしれない
- ブログタイトルにかっこいい欧文書体を使いたいけどユーザーは日本語を入力するかもしれない
- 写真を大きく扱いたいけどユーザーは雑な画像を貼るかもしれない
- 写真を大きく扱いたいけどユーザーはものすごく縦長の画像を貼るかもしれない
- スパムサイトにテーマが使われるかもしれない
- ユーザーがCSSをカスタマイズするかもしれない
- 背景に派手派手な画像を設定したら本文が読めなくなるかもしれない
- ユーザーアイコンが正方形ではなく長方形かもしれない
こういうことは、自分では制御不能であって、使う人や文脈に完全に依存している。だから、できることといえば、こうしたパターンを出来る限り多く想定して、先回りしておもてなししておくことである。自分が普段やらない使い方をどれだけ想定できるか、と言い換えることもできる。
しかしながら、自分が考える「普通の使い方」というのは思い込みであって、実際は、それぞれの人がそれぞれの普通の使い方をしているというだけだと思う。
過去記事を探したら、1年前にほとんど同じ記事を書いていて、意図せず焼き直しっぽい雰囲気がある。1年前からあまり考えが変わっていない。
ちなみに僕は普段運転しません。