いつか書かねば、と思っていたお題である。
我が子がADHDだ。そんな時どうするか。
まずは100%受け入れることである。
そして、子供を褒めることである。自信を持たせることである。
甘やかせたってかまわない。多少周りに迷惑をかけたって(犯罪でない限りは、イジメでない限りは)構やしない。
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その子は、少なくとも(どんなに幸運でも)今から30年間以上、大変な苦労をするのである。下手したら死ぬまで苦労するのである。
中学、高校、大学、社会人。苦労はどんどん増えていく。精神的な苦痛と不安が増大していく。
定型神経者が出来る単純作業が出来ない。書類ワークでミスばかり。思いついたままの突拍子もないことを発言して苦笑される、嫌われる。
忘れ物ばかり。部屋は汚い。片付かない。人間関係が続かない。勉強でも苦労する。
(あるいは、逆に評価されることもあるし、人を感動させ、動かすこともできる。好きなエリアはとことん集中して、相当な力を発揮するのだけれど)
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子供時代に、親に受け入れられず、自分を責め続けて来た子供が、そんな苦痛と不安に耐えられるだろうか。
否。である。
将来潰されないように、今のうち「貯め」を作っておかなければならないのだ。
「愛された」「受け入れられた」という記憶の「貯め」を。
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ADHDを持って生きるということは、かなりハードである。
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ムリゲーに近いといっても過言ではない。
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わたしも、何度か人生をリセットしている。
具体的には、人間関係のぶった切りと転職である。
(やれやれ)
小学時代の友人とは、誰ともコンタクトを取っていない。
中学時代の友人も(ry
高校時代(ry
大学時代(ry (あ、一人まだつながってるな)
最初の会社(ry
次の会社(ry
・・・やれやれ。と思う他はないではないか。
定型脳の人は、全く違った人生を送るのだろうな、と思うのだ。
(AD(H)Dの人だって、中学高校の友人とコンタクトを取りつづけている人も、もちろんいるだろうが)
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ただ、ADHD者にも強みはある。
突飛な発想=>斬新なアイデア。
空気読まない発言=>イノベーションのトリガー。(ホント)
短期間に燃え上がる熱情=>集団をドライブするリーダーシップ。(ホントだってば)
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それでも、まあ、数限りのない自己嫌悪と失敗が、待っている。
その中で、自分の生きる道を探さねばならないのだ。
そんなADHD持ちの生きる力となるのが、子供時代親に受け入れられた、愛された、という記憶である。
ADHDを持っていると、自己イメージはどんどん下がる。
自己嫌悪に陥る。絶望する。自分が本当に嫌になる。
ADHDのポジティブな面が、どんどん沈んでいく。
そんな時に「こんな自分でも、愛されたことがあった」。そんなちょっとした記憶が、人を支えるのだ。
自分が何とかやっていけるのは、親のおかげだなあ、というのは、今更ながら感じるのである。
「子を持って知る、子の恩」などと言う。
(「子を持って知る親の恩」の方が一般的だが、ちょっと違う気がするんだな)
ADHDを持っている当方からすると、
「ADHDを持って知る、親の恩」なのである。