浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。
「フォン・ノイマンやその他の連中ってのは実に先駆的だったと思いますね。コンピュータを作るということ。それを使って非線形現象やなんかを調べていくということ。この二点を先取りしてるわけだから。
[中略]
その点でいちばんシンボリックなのは[アラン・]チューリング[1912-1954]だと思うんです。まず、[19]36年の論文で、ゲーデルの不完全性定理とある意味でパラレルなことをやる。これもそれ自体きわめて現代的な意味をもつんだけれど、それを示すのに、思考過程をマシーンとテープでモデル化するという、哲学者ではない、むしろ機械工にふさわしい方法をとっていて、これがコンピュータやオートマトン理論につながっていくわけでしょう。それから、[19]52年の論文で、非線形のプロセスによって一様な空間から生物の形態みたいなものが生まれてくるという話をしている、これはまさにプリゴジーヌ[現在の表記ではプリゴジン]やなんかの理論の先駆けですよね。それもまたコンピュータ・シミュレーションともつながりうるわけだし。
[中略]
ちなみに最近チューリングの大きな伝記が出たんだけど、著者のホッジスってのは[中略]ペンローズのトウィスター理論をやってる一方で、ゲイ・リブの運動もやってて、その両方の関心から伝記を書いてるんですね。で、ニューヨークの本屋ではこの本がゲイ・カルチャーのコーナーに置いてあったりする(笑)。ともあれ、チューリングってのはオープンなホモセクシュアルだった。[19]30年代のケンブリッジのリベラルなエリート社会はそれを許容したし、戦争中の政府は彼の才能を買って暗号の解読にあたらせた——チューリングがいなかったらイギリスはドイツに降伏していたかもしれないとすら言われる程でしょう。ところが、戦後、世の中が正常化していく中で、チューリングはそこからだんだんはみ出していく。で、ある朝、ベッドで死んでいるのが見つかり、遺体から青酸カリが検出される、というわけですね。
[中略]
何にせよ、チューリングってのは、フォン・ノイマンやウィーナーに比べるとマイナーとは言え、いかにもシンボリックな存在だと思うんです。」
これは1985年1月3日に行なった森毅インタヴューにおける私の発言である(森毅『世話噺数理巷談』平凡社、1985年→『森毅の数学のススメ』ちくま文庫、1994年:異分野の人々との対談集を本にするにあたって、私によるインタヴューと森敦との対談を前後に置いた)。そこで話題にしたアンドリュー・ホッジスのチューリング伝(1983年)の邦訳『エニグマ』(勁草書房、2015年:エニグマとはドイツ軍の暗号の名前であると同時に、チューリングの死をめぐる「謎」をも指す)が、今は亡き森毅に報告してから30年以上たったいま、やっと刊行され始めた。チューリングを描いた映画『イミテーション・ゲーム』(モルテン・ティルドゥム監督)のおかげである。
実際、この映画はホッジスの伝記を脚色したものを台本としている(この伝記に基づく映画としてはすでに『ブレイキング・ザ・コード エニグマ』[ハーバート・ワイズ監督、1996年]がある)。たまたまTVをザッピングしていたとき、脚本家のグレアム・ムーアがアカデミー脚色賞を獲得してのスピーチを見たところ、「チューリングはこんな大舞台で喝采を浴びたことがなかった、ところがぼくはいまここに立っている、こんなにアンフェアなことはありません」と言ったあと、自らの性的志向を暗示しつつ「ぼくは自分が他のみんなと違って周囲に溶け込めないことに悩み16歳で自殺しようとした、でもいまはここに立っている、だからぼくはこの場を、自分の居場所がないと感じている子どもたちのために捧げたい。どうか他人と違ったままでいてほしい、そしていつかあなたがこの場所に立った時に同じメッセージを次世代に伝えてほしい」と続けた。ホッジスの意図の少なくとも一端は脚本家によって正しく受け継がれたと言えるだろう。
数学の才能に溢れると同時に人付き合いが苦手だった(現在の精神科医ならアスペルガー症候群を疑うだろう)チューリングが、少年時代の唯一の友人だったクリストファーという名前をつけた人工知能を唯一の伴侶とするに至るというストーリーは、いささか単純化が過ぎるけれど、いちど関係をもった男娼に盗みに入られた件で警察に呼び出されたチューリングの事情聴取(それが映画全体の枠となる)を一種のチューリング・テスト(相手が人間か人工知能かを対話によって見分ける手続き)とみなす設定は悪くないし、そうした精神障碍の方を同性愛より重視しているのは賢明な判断だろう——最終的には、当時違法だった同性愛が露呈したためチューリングは収監を避ける唯一の選択肢として薬物療法(「化学的去勢」)を受けさせられ、その過程で自殺することになるのだが。
エニグマを解読したことで戦争の勝利に大きく貢献したにもかかわらず、エニグマが解読されたことをドイツに悟られないため、ドイツに対してのみならずイギリスの政府や軍の大半にも解読の事実は(したがってまたチューリングらの貢献は)伏せられた。この映画には出てこないが、コヴェントリーが爆撃されるとわかっていながら、あえて迎撃を控え、コヴェントリーが壊滅するに任せたことは、あまりによく知られている。MI6(秘密情報部)とチューリングのチームだけが影ですべてを動かしていた——したがってまた重い罪責感を担うことになったというストーリーは誇張が過ぎるものの、チューリングの功績が秘密にされた半面、冷戦期のパラノイアゆえにチューリング宅の窃盗事件のあと警察がスパイの疑いをかけ、結局それが同性愛の露見につながるという展開は、残酷なまでに効果的ではある。
写真で見るチューリングは四角いナイーヴな顔をしているので、ベネディクト・カンバーバッチに適した役とは思えなかったのだが、さすが演技派だけあって、アスペルガー症候群を思わせるパーソナリティを見事に演じきっている。MI6を舞台とする『裏切りのサーカス』(トーマス・アルフレッドソン監督、2011年)のピーター・ギラム役(ジョン・ル・カレの原作『Tinker Tailor Soldier Spy』とは違ってゲイという設定)でもふとボーイッシュな魅力を漂わせるときがあった、それが今回もうまく生かされている。他の俳優陣や演出・撮影について特筆すべきことはないけれど、伝記映画なのだから主役が突出していればそれでよしとすべきだろう。その意味で、これはとくにすぐれた映画というわけではなく、そもそも映画でチューリングの理論を理解することも期待できないとはいえ、あらためてチューリングに注目し、ホッジスの伝記を初めとする文献を読むきっかけになるとすれば、歓迎すべきことだと思う。
『イミテーション・ゲーム』
(C)2014 BBP IMITATION, LLC