2015年02月24日

ネット広告の話題は、けっこう関心を集めるみたいで

先週、当サイトでも採用している、インターネット上の広告についていくつか記事を書いたわけですが、


インターネットは広告で成り立っている部分は大きいだけに、現状のような悪質広告ばかりが出回る現状に懸念を抱く人は多いみたいですね。結果として、多くの人の関心が集まりました。
最近の広告については、ウザいだけならともかく、害をもたらすというのは、さすがにいただけない。とはいえ、簡単に止めることもできないのは、上記記事で書いたとおりです。

実に悩ましい。簡単に、広告以外の資金入手方法とかが出てくればまた、話も変わってくるかもしれないですが、それこそ難しいだろうし。何せ、新しいビジネスモデルを模索するわけですからね。

まぁ、最終的に金銭にするのをやめて、「記事公開やソフト公開を無償で行って名誉が得られたから満足です」……みたいな、霞を食う仙人みたいな人ばかりがこの世に存在するとかならいいんですけどね。

お金を得なくても生きていけますみたいな人がいたとしたら、それは聖人君子でもなんでもなくて、ただの世間知らずでしょうから。
名誉だけで生きていけたら、そりゃ嬉しいだろうけど。

名誉+αで、「+α」を使って、名誉をお金に変換する仕掛けを同時に持たないと、先に待つのは餓死だ。

あるいは、「名誉+親の仕送り」で暮らす学生とかか。学生ならば、金銭授受に反骨精神を持って、満足と名誉で暮らすこともできるかも知れないけど。それは見えないところでお金が回っているだけ。
立すると、名誉それ単体では食うこともできないし、子供を養うこともできないし。

名誉+αを探したとき、「+α」を広告表示にすることは、比較的やりやすい資金変換の手段だったと言えます。これまでは。

しかしながら、その、「+α」の資金変換手段である広告システムが、昨今、悪者の手に落ちて、汚いものに変質しつつある状態となってしまいました。もはや、一部には害をなす道具にすらなっています。

金を得なければ食うのに困るし、子供を育てることもできないが、そうして他人に害をなしたことで得たお金で食う飯は美味いと言えるのか?そうして育った子供は幸せと言えるのか、が問われているとも言えましょう。

他人の幸せを踏みにじって育った幸せな子供とか。他人の幸せを踏みにじって食べるご飯とか。ってことですね。こう考えると、まるでヤクザみたいな感じです。

だから、そうならないように別の資金変換の手段を構築するか(合法的かつ、多くの消費者の賛同も得られ、自分の心が痛まず、自分が正義でいられる手段)、あるいは、広告システムが完全な悪になりきる前に、正義の路線に立ち帰らせるとかを考えなければなりません。

力ある企業であるGoogleが、原点に立ち返って、審査をきちんと再開してくれることに期待したいが、そもそも現状の状態事態、効率化のためにこうなったのであって、こうでもしないと、利益が出にくくなっているんだろう。競合他社も多く出てきただろうし。

正義無き力とか、力なき正義とか、漫画の世界ならばキレイな力関係と社会構造が語れるけれど、現実はなかなか難しい。
手が汚れずに正義を貫き通しながら、飯を食い子を育てる手段、ちゃんと考えないといけませんね。

posted by ayacy at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイト運営
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