各地から
2015年2月24日
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【原篤司】 山口市東部の山あいの集落に、石風呂があると耳にした。鎌倉時代築で市所有の国指定重要有形民俗文化財なのに入浴可能という。入浴料は1万円。ゴージャスな造りなのか、優雅な趣なのか――期待しながら向かった。
山口市徳地を流れる佐波川そばの「岸見の石風呂」。わらぶきの農家のような建物の中に、古びたドーム状の石風呂があった。焼けた木の香りが満ちている。予想外の素朴さに驚く。
市から管理を委託された竹村義隆さん(88)が薪(まき)や木の枝を石風呂の中に積んで火をつけ、1~2時間後に残り火をかき出し、薬草を交ぜたぬれたわらを敷き詰めて上にゴザや毛布を敷く。何人で入っても1万円。薪代や手間賃だ。
1月下旬、市内の公民館主催の体験講座に応募した中高年の男女15人が利用していた。中は真っ暗で服を着たまま入る。サウナのようだ。一緒に入ると、すぐに汗がにじんだ。体の芯から温まる感じだ。15人は交代で入って汗を流し、風呂の残り火を使ったいろりでバーベキューを楽しんだ。
同様の石風呂は徳地の佐波川流域に約30カ所あったとされるが、普段から入浴可能なのはここと、国立山口徳地青少年自然の家に20年前に作られた石風呂(6千円)のみだという。
竹村さんによると、石風呂の起源は平安末期の奈良・東大寺の焼失までさかのぼる。東大寺再建のため、木材を徳地から切り出して運んだ作業員たちの保養にと、復興を任された重源(ちょうげん)上人(1121~1206)が作ったという。
山肌を滑らせ、巨木を谷川に落とす「板落とし」、木を流すために川をせき止めて水路を作る「関水」。材木はそんな仕掛けを使って佐波川を下り、瀬戸内海から淀川、木津川を浮かんで移動、最後は陸路で東大寺まで運ばれた。
巨木を人間の力だけで運ぶ、危険な重労働。重源の活動を紹介する「重源の郷・文化伝承館」の吉松三男さん(72)は「疲れを取るだけでなく、仏様の御利益を強調し、布教を進める意味もあったのではないか」と話す。
なぜこんなに遠くから木を運ぶ必要があったのか。九州大の伊藤幸司准教授(日本中世史・東アジア交流史)は「日宋貿易で盛んに中国へ木材を輸出していた時期。貿易の最大拠点の博多に近い徳地は、一大産地だった」と言う。東大寺に近い伊賀や伊勢の山では大きな木が枯渇していた。宋に何度も渡航したとされる重源が徳地を選んだのも自然な流れという。
当時の日本で風呂といえば、「高貴な人しか入浴できないぜいたくだった」と伊藤さん。壮大な歴史的背景も考えると、とてもゴージャスな体験だった。
(朝日新聞 2015年2月21日掲載)
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