「体を壊すことで母に抵抗」母の拘束に苦しむ娘〈AERA〉
dot. 2月13日(金)11時41分配信
私だって、本当は活躍できたのに…。挫折した母の夢の肩代わりが娘たちを生きづらくしている。
42歳で、20年勤めたサービス会社を辞めた時、栞(しおり)さん(50)は、心の中で自分に「よく頑張った」と敬礼したのを覚えている。
二つの意味合いがあった。長年のハードワークを耐え抜いたこと。そして、絶対辞めるなと自分を縛ってきた「母のくびき」から自らを解放したことだった。
その前年、栞さんは会社一の花形と呼ばれていた店舗に異動。年間2億円もの売り上げをたたき出していた。連日14時間の勤務をこなし、休日も出勤。疲れすぎて、気付けに朝から日本酒を飲まないと、会社に出られない日が続いた。
20代後半から、すでに体の不調が始まっていた。不定愁訴に悩み、内科、脳神経外科、婦人科…とあらゆる科を受診。30代なかばには、出勤時に通勤の人たちの足音が軍隊の行進の音に聞こえる幻聴に苦しんだ。
内心では、「ひたすら会社を辞めたかった」。でも、何度訴えても、母(82)は断固として、それを許さなかった。
「母がダメといえば、ダメ。母子家庭で母娘が密着して育った私は、母の前ではひたすら『いい子』でいたかった」(栞さん)
洋裁師をしながら栞さんを育ててきた母は、「世が世なら、私も」「自分は、やればできた」が口癖だった。70歳を過ぎても、洋裁の仕事や、国際交流活動などに打ち込んでいた母。それでもなお、女性として「キャリアを積む」ことに関しては、やり残し感を抱き続けていたのだった。栞さんは言う。
「母は私を通して、社会に挑戦していたんだと思うんです」
栞さんが数十倍の倍率を勝ち抜いてこの人気企業に入社した時、母は、諸手を挙げて喜んだ。
栞さんは27歳の時に結婚し、母とは離れて暮らしている。にもかかわらず、毎日のように電話がかかってきた。栞さんが心療内科にかかった時にもついてきたが、医師は母を見るなり、「あなたは診察室に入らずに、そこで待っていてください」と告げた。母は、病の根本原因の大きな要素でもあったのだ。
「自ら体を壊すことで母に抵抗し、そうすることで、母の愛を乞うていたのかもしれません」と栞さんは振り返る。
44歳の時、外資系の大企業に再就職したのはなぜかと問うと、こんな答えが返ってきた。
「母に合わせる人生から脱して、『自分の意思で、自分の選択で働く』ことに挑戦してみたかったからだと思うんです。母の呪縛で働き続けてしまった20年を、リスタートさせるような」
(文中、名前のみは仮名)
※AERA 2015年2月16日号より抜粋
最終更新:2月13日(金)13時1分
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