「左派の旗手」としてピケティを扱うのは的外れ
前回、日本におけるピケティの解釈がいかに間違っているかについて述べた。来日したピケティ氏に対して多くのメディアが、量的緩和政策の限界や財政再建の必要性についてのコメント(その多くがそれらをサポートしてもらいたいと考えたはずである)を求めたようだ。
だが、ピケティ氏は、1)格差是正のためには何よりもデフレ脱却が必要であること、そして、そのための量的緩和政策は正当化されうること(ただし、量的緩和政策のみではデフレ脱却が不可能であることにも言及した)、2)デフレ下で経済成長率が十分ではない局面での緊縮財政(増税を含む)は経済政策としては適切ではないこと、に言及した。
ピケティ氏はこのような日本のメディアの質問に辟易としていたらしいが、これはある意味当然である。MIT(マサチューセッツ工科大学)に招聘されるくらいの超一流の経済学者であるピケティ氏にとって、デフレ下での金融緩和の必要性やデフレ局面での緊縮財政が一国の経済にとっていかに大きな弊害をもたらすかは、ある意味、常識(クルーグマン氏も同様の回答をするだろう)であって、「どうしてわざわざ日本にまで来て、時間を割いて当たり前の話をしなければならないのか」と逆に不思議に思ったのではないか。
結局のところ、日本では、「資本主義の発展が経済格差を拡大させる」という内容から、ピケティ氏の『21世紀の資本』が、「マルクスの再来」として左派的な知識人からの支持を得たようだ。元来、これらの左派的な知識人層は、安倍政権の保守的なイメージに嫌悪感を露わにしていたため、ピケティブームが反アベノミクスブームに波及して大きな流れになることを期待したのであろう。
だが、ピケティ氏自身、『21世紀の資本』の冒頭部分で明言しているように、1)新古典派経済学的な成長理論に修正を迫る内容(筆者も不案内だが、経済成長が進むにつれて、経済格差は縮小していくという「クズネツクの逆U字曲線」を否定)、2)データに基づかず、抽象的な議論に終始したマルクス経済学の考え方(「資本主義はいずれ限界点に達し、いずれ終焉する」という思想も含め)には否定的である。
つまり、日本でのピケティブームは、ピケティ本人、もしくは翻訳元の出版社にとってはありがたいことだったかもしれないが(来日を終えた今、そう思ってないかもしれない)、日本での「左派の旗手」としての扱いは的外れとしかいいようがない。
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