「お前は世界の開拓者だ!目指せヒーロー!ススメ「特オタ」道!―『トクサツガガガ』」
posted by Book News 編集:ナガタ / Category: 寄稿記事 / Tags: マンガ,
友人の「すぱんくtheはにー」さんが別の媒体用に原稿を書いたと聞きつけ、ご厚意でこちらに転載してもらえることになりました。取り上げる作品は『トクサツガガガ 1 (ビッグコミックス)
』。表紙から胸が熱くなる本作を、正面から激烈に論じてます。


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あなたはまだ「トッキュウチェンジ!!」と「変身!ドラーイブ、ターイプスピード」と本気で叫べますか?叫んでますか?ポーズはとってますか?
「特殊撮影技術」略して「特撮」。
本来はSFXやトリック撮影などを行うための技術の総称ですが、現在の日本で何の断りもなく「特撮」という言葉が使われたとき、その本来の意味で口にされていることは『巨神兵東京に現わる』に関する話題以外ではまずありえません。
「特撮」と言えば現在38作目が放送されているスーパー戦隊シリーズや、昭和・平成合わせて29作目が放送中の仮面ライダーシリーズといった日曜の朝7:30から始まる「スーパーヒーロータイム(ニチアサ)」枠の作品や、あるいは21作目が放送中のウルトラマンシリーズ(なお作品数は数え方によって若干変動します)などの「特撮変身ヒーロー」が主人公として描かれる、キッズ向け作品を意味している場合がほとんどです。
いや、実際には深夜帯でも特撮作品は作られており、『牙狼―GARO』などの人気シリーズもありまして……ああ、もうキリがない!!
というくらい日本の「特撮」文化は広く深く根付いているのです。
この『トクサツガガガ』の主人公・中村 叶(ナカムラ カノ)は26歳独身OLにして、それら「特撮変身ヒーロー」作品を愛する「いわゆる“特オタ”である!」のです。(ここは「本郷猛は改造人間である!」の感じで読んでください)
幼いころから「特撮」の魅力に取り付かれていた叶は、しかし母親からの「女の子がそんなものを好きなのはおかしい」という圧力によって、その道を断念させられていました。
しかし欲望というものは押さえつけられれば押さえつけた分だけ、自由になったときにより反発し、強く強く燃え上がるのです。叶にとってその契機は、独り暮らしになって親元から離れたことでした。ようやく叶は「特オタ」として返り咲くのです。
しかし彼女は「特オタ」であることを母親にも、職場でもひた隠しにしています。
なぜなら特撮変身ヒーロー番組がメインターゲットに据えているのは、主に就学前の男児であり「4歳から6歳の男の子」を対象としているから。
叶は「26歳OL」。広告・放送業界のマーケティングでは「F1層」と呼ばれ、昔は「月9ドラマ」「ブランド品」「海外旅行」「キャリアアップ」といったライフスタイル傾向を持つ人たちとされるカテゴリです。
「戦隊シリーズ」「DX変身ベルト」「ヒーローショー」「食玩を大人買いしてコンプリート」といった叶のライフスタイルと、年齢性別から設定される消費傾向との間には、大きく深い溝があるのです。
だから本当に「休みの日とか、なにしてるの?」って質問はやめてください!あなたがエステを受けてる間、私は鏡の前で自分の変身ポーズが指先までピシッと美しく伸びているかチェックしているのです!
「特オタ」であることがバレてしまえば、理解の無い人物から「それって子供の見るものだよね?」「男の子向けですよね?」「どうして子供もいないのに知ってるの?」という、辛辣な言葉が浴びせかけられかねないのです。
実際のところ女性特オタは少なくない数存在し、毎朝ラジオ体操代わりに全ライダー変身ポーズ(約140人分)をとり、スマホに戦隊ヒーローのステッカーを貼り、職場のお昼休みに新商品の変身ベルトを購入しその場で自慢げに身に付ける人物もいます。私です。
趣味が多様化した現代社会では、「特オタだ」ということがバレたところで、そこまで迫害を受けることは中々考えにくいことです。そういった意味では叶のオタバレを恐れる姿は、過剰すぎると言えるでしょう。
なぜ叶は必要以上にオタバレを恐れるのか?
それは「子供のころ母親から否定された」という記憶によるものなのです。叶にとって「特オタ」とバレることは、母親に自分の好きなものを全否定された、悲しくつらい日々が再び訪れることを想起させます。
ようやく掴んだ安寧を簡単に手放すわけにはいかない、その想いが「バレたら社会からつまはじきにされてしまう」という過剰な恐れを抱かせるのです。
そんな鬱屈した気持ちを抱えながらも、この作品は非常にコメディ色の強い楽しい表現に溢れています。
電車の中で空席を探す老人を前にしたときには、ヒーローの言葉に背中を押され席を譲り。
「特オタ」であることを何とか隠し通しながらも自分の欲望を満足させるために、会社の同僚とのカラオケでテンションを落として特撮ソングを歌い。
特撮作品を観ていることの言い訳に「イケメン俳優好き」という建前を口にしながら(本当はそうじゃないのに!)とグッとコブシを握って耐え。
そしてツイッター上で「女の見る特撮は特撮じゃない」と言われて苦虫を噛み潰した顔をす……それは本当にあった話だからそれ以上いけない!
品薄のグッズを探して自転車を駆って数駅の距離を走破する。
この作品に描かれているのは、「特オタ」という生き方に苦しみながらも、その喜びを謳歌する「楽しそうな大人」の姿なのです。
大人だからできること。……自由にお金も使えるし、誰にも邪魔されずに特撮を観ることができる。あるいは大人になったからこそ、特撮が好きなのに子供だという不自由さや親の言葉に負けそうな「あのときの私」と同じ子供たちを守ってあげられる、「憧れていたヒーロー」に近づこうとすることができる。
そういった子供のころ憧れた存在に、立派なヒーローに「楽しみながら」近づいていけること。それこそが「特オタ」の一番の喜びなのだと、この作品は私たちに語りかけています。
また、この叶の「特オタ」である苦悩と喜びは、他の種類の「オタク」にも通ずるものなのです。
大人になってから「子供向け」作品を観る。女性なのに「男の子向け」作品を好む。先に述べたようにメインターゲットから外れた層がそれら作品を鑑賞するのは、どうしてもそのターゲットと自分の属する世界との間に引かれた境界線を突破しなければなりません。
その境界線を「越境」することによって、本来ならば自分がいるべきではない場所に立っているときの居心地の悪さや過剰に気にしてしまう世間からの視線は、「特オタ」でなくても「オタク」なら誰しも感じたことがあるでしょう。
しかしそれでも「オタク」をやめられないのは、その「越境」した先に素晴らしい作品や、魂を熱く燃やさせるモノがあるからなのです。
何かが自分に与える属性、「カテゴリ」にすっぽりと収まる世界、そこに居続けるのは確かに楽チンで、安定した毎日があるでしょう。しかしその境界線の向こうには、どこまでも広がる新しい景色があるのです。
『進撃の巨人』では「壁の外」と、『魔法陣グルグル』では「居心地のいい場所を離れ、冷たい風に触れよ」と、『ジョジョの奇妙な冒険スティール・ボール・ラン』では「真の失敗とはッ!開拓の心を忘れ!困難に挑戦することに、無縁のところにいる者たちの事を言うのだッ!」と、あるいは古今東西様々な形で描かれた「開拓者精神(フロンティア・スピリッツ)」が、この『トクサツガガガ』にもあるのです。
無人の荒野を切り開いていく不安と焦燥。その先で見つけるかけがえのない輝き。
そんな寄る辺ない想いと喜びを知る「オタク」ならば、叶の一挙手一投足に共感し、笑い、涙し、そして改めて「越境」する自分を「これが好きでいいんだ!」と思えるようになるでしょう。
あなたはまだ「トッキュウチェンジ!!」と「変身!ドラーイブ、ターイプスピード」と本気で叫べますか?叫んでますか?ポーズはとってますか?
「特殊撮影技術」略して「特撮」。
本来はSFXやトリック撮影などを行うための技術の総称ですが、現在の日本で何の断りもなく「特撮」という言葉が使われたとき、その本来の意味で口にされていることは『巨神兵東京に現わる』に関する話題以外ではまずありえません。
「特撮」と言えば現在38作目が放送されているスーパー戦隊シリーズや、昭和・平成合わせて29作目が放送中の仮面ライダーシリーズといった日曜の朝7:30から始まる「スーパーヒーロータイム(ニチアサ)」枠の作品や、あるいは21作目が放送中のウルトラマンシリーズ(なお作品数は数え方によって若干変動します)などの「特撮変身ヒーロー」が主人公として描かれる、キッズ向け作品を意味している場合がほとんどです。
いや、実際には深夜帯でも特撮作品は作られており、『牙狼―GARO』などの人気シリーズもありまして……ああ、もうキリがない!!
というくらい日本の「特撮」文化は広く深く根付いているのです。
この『トクサツガガガ』の主人公・中村 叶(ナカムラ カノ)は26歳独身OLにして、それら「特撮変身ヒーロー」作品を愛する「いわゆる“特オタ”である!」のです。(ここは「本郷猛は改造人間である!」の感じで読んでください)
幼いころから「特撮」の魅力に取り付かれていた叶は、しかし母親からの「女の子がそんなものを好きなのはおかしい」という圧力によって、その道を断念させられていました。
しかし欲望というものは押さえつけられれば押さえつけた分だけ、自由になったときにより反発し、強く強く燃え上がるのです。叶にとってその契機は、独り暮らしになって親元から離れたことでした。ようやく叶は「特オタ」として返り咲くのです。
しかし彼女は「特オタ」であることを母親にも、職場でもひた隠しにしています。
なぜなら特撮変身ヒーロー番組がメインターゲットに据えているのは、主に就学前の男児であり「4歳から6歳の男の子」を対象としているから。
叶は「26歳OL」。広告・放送業界のマーケティングでは「F1層」と呼ばれ、昔は「月9ドラマ」「ブランド品」「海外旅行」「キャリアアップ」といったライフスタイル傾向を持つ人たちとされるカテゴリです。
「戦隊シリーズ」「DX変身ベルト」「ヒーローショー」「食玩を大人買いしてコンプリート」といった叶のライフスタイルと、年齢性別から設定される消費傾向との間には、大きく深い溝があるのです。
だから本当に「休みの日とか、なにしてるの?」って質問はやめてください!あなたがエステを受けてる間、私は鏡の前で自分の変身ポーズが指先までピシッと美しく伸びているかチェックしているのです!
「特オタ」であることがバレてしまえば、理解の無い人物から「それって子供の見るものだよね?」「男の子向けですよね?」「どうして子供もいないのに知ってるの?」という、辛辣な言葉が浴びせかけられかねないのです。
実際のところ女性特オタは少なくない数存在し、毎朝ラジオ体操代わりに全ライダー変身ポーズ(約140人分)をとり、スマホに戦隊ヒーローのステッカーを貼り、職場のお昼休みに新商品の変身ベルトを購入しその場で自慢げに身に付ける人物もいます。私です。
趣味が多様化した現代社会では、「特オタだ」ということがバレたところで、そこまで迫害を受けることは中々考えにくいことです。そういった意味では叶のオタバレを恐れる姿は、過剰すぎると言えるでしょう。
なぜ叶は必要以上にオタバレを恐れるのか?
それは「子供のころ母親から否定された」という記憶によるものなのです。叶にとって「特オタ」とバレることは、母親に自分の好きなものを全否定された、悲しくつらい日々が再び訪れることを想起させます。
ようやく掴んだ安寧を簡単に手放すわけにはいかない、その想いが「バレたら社会からつまはじきにされてしまう」という過剰な恐れを抱かせるのです。
そんな鬱屈した気持ちを抱えながらも、この作品は非常にコメディ色の強い楽しい表現に溢れています。
電車の中で空席を探す老人を前にしたときには、ヒーローの言葉に背中を押され席を譲り。
「特オタ」であることを何とか隠し通しながらも自分の欲望を満足させるために、会社の同僚とのカラオケでテンションを落として特撮ソングを歌い。
特撮作品を観ていることの言い訳に「イケメン俳優好き」という建前を口にしながら(本当はそうじゃないのに!)とグッとコブシを握って耐え。
そしてツイッター上で「女の見る特撮は特撮じゃない」と言われて苦虫を噛み潰した顔をす……それは本当にあった話だからそれ以上いけない!
品薄のグッズを探して自転車を駆って数駅の距離を走破する。
この作品に描かれているのは、「特オタ」という生き方に苦しみながらも、その喜びを謳歌する「楽しそうな大人」の姿なのです。
大人だからできること。……自由にお金も使えるし、誰にも邪魔されずに特撮を観ることができる。あるいは大人になったからこそ、特撮が好きなのに子供だという不自由さや親の言葉に負けそうな「あのときの私」と同じ子供たちを守ってあげられる、「憧れていたヒーロー」に近づこうとすることができる。
そういった子供のころ憧れた存在に、立派なヒーローに「楽しみながら」近づいていけること。それこそが「特オタ」の一番の喜びなのだと、この作品は私たちに語りかけています。
また、この叶の「特オタ」である苦悩と喜びは、他の種類の「オタク」にも通ずるものなのです。
大人になってから「子供向け」作品を観る。女性なのに「男の子向け」作品を好む。先に述べたようにメインターゲットから外れた層がそれら作品を鑑賞するのは、どうしてもそのターゲットと自分の属する世界との間に引かれた境界線を突破しなければなりません。
その境界線を「越境」することによって、本来ならば自分がいるべきではない場所に立っているときの居心地の悪さや過剰に気にしてしまう世間からの視線は、「特オタ」でなくても「オタク」なら誰しも感じたことがあるでしょう。
しかしそれでも「オタク」をやめられないのは、その「越境」した先に素晴らしい作品や、魂を熱く燃やさせるモノがあるからなのです。
何かが自分に与える属性、「カテゴリ」にすっぽりと収まる世界、そこに居続けるのは確かに楽チンで、安定した毎日があるでしょう。しかしその境界線の向こうには、どこまでも広がる新しい景色があるのです。
『進撃の巨人』では「壁の外」と、『魔法陣グルグル』では「居心地のいい場所を離れ、冷たい風に触れよ」と、『ジョジョの奇妙な冒険スティール・ボール・ラン』では「真の失敗とはッ!開拓の心を忘れ!困難に挑戦することに、無縁のところにいる者たちの事を言うのだッ!」と、あるいは古今東西様々な形で描かれた「開拓者精神(フロンティア・スピリッツ)」が、この『トクサツガガガ』にもあるのです。
無人の荒野を切り開いていく不安と焦燥。その先で見つけるかけがえのない輝き。
そんな寄る辺ない想いと喜びを知る「オタク」ならば、叶の一挙手一投足に共感し、笑い、涙し、そして改めて「越境」する自分を「これが好きでいいんだ!」と思えるようになるでしょう。