老害なりの未来の論点


齢 50、プリントメディアの編集をかれこれ 30 年近くにわたり経験してきた私なりの日本のこれからとその論点について少しばかり記述したい。

私は死ぬ。そしてみなさん (の多く) は死なない。特にこの辺境のブログ (と medium を呼んでいいのだろうか) を読んでくれている 20–30 代の方々におかれましては、肉体的な破壊以外の死因が存在しない世界を今後生きていくことになるでだろう。だからこそ、ここで老害らしく数百年にわたり山積する課題を解決していくみなさんにいくつかの未来予測とその論点を提供できればと思う。

人口とグローバリゼーション


我が国の人口は減少傾向にある。2050 年には 1 億人を割り込む格好でその速度はあがっている。これはすなわち労働人口の減少を意味し、特に労働集約的なサービス業における深刻な働き手の不足が予想される。私たちが日々生活する中で行っている商取引のうち、労働集約型のサプライヤによるものの比率は極めて高い。飲食業や小売業などに代表されるそれらのサプライヤの店頭における体験品質とコストは比例関係にある。このために労働人口の減少に伴い現状のままでは消費者の体験品質が下落する。

ここでよく議論されるのが移民政策 (=移民の受け入れによる働き手の人工的な増加施策) であるが、これも長期的な解決をもたらさないのではないかと思う。グローバリゼーションは、長期的には同一労働同一賃金を地球上で形成する。現に、中国人の平均所得やインド人の平均所得は年々上昇を続けている。oDesk などの労働力のマッチングをグローバルプラットフォーム上で行うようなサービスが増えるとさらに、物価差などを利用した労働力の裁定取引機会は減少し続けるだろう。

ここ数年、70–80 年代に流行した AI への研究投資が復活した背景には、当然 1 円あたりの演算能力の大幅な向上があるのと同時に、この賃金格差の収束があると考えられる。機械学習、ディープラーニング、ロボティクスへの巨額な投資を Google、Amazon、Facebook などのソフトウェア企業がせっせと行っていることと、グローバリゼーションは無関係ではない。この投資が近い将来結実すると、ソフトウェアを活用できる人間ひとりあたりの生産性は現在の一般的な市民の数百倍から数千倍に達するだろう。そうなると、現状の GDP は労働人口 1/1,000 といったオーダーで創出可能になる。つまり、99 %の人口が働く必要がなくなる。

この先 5–10年で同一労働同一賃金への世界へと急速に向かう。そしてソフトウェアによる労働力マッチングのグローバル化と自動化がさらにそれを加速させる。そしてさらに 5–10 年後にはソフトウェアによる各セクターでのひとりあたり生産性が大幅に向上するだろう。この生産性の向上はすべての労働者に起こるものではなく、ソフトウェア開発者ならびにソフトウェアの活用に長けた技術者に近いひとたちに限られる。それ以外の労働力はそもそも金銭を得るための労働からは開放され、社会課題を解決するための新しい「働く」ための概念を手に入れるだろう。

資本市場と経営


続いて、事業運営とそれを取り巻く資本市場について。エネルギーや環境問題は私が書くまでもなく多くの議論が世の中にあふれているし、それらの問題について私は極めて楽観的だ。

ここ最近の経営について多くの経営書が out of date になっていることを感じている。(私は過去多くの経営関連書籍の出版に携わっている) この問題意識の発端を考えてみると、オーナー企業、スケール速度、イノベーションのジレンマの 3 つの側面があることがわかった。テクノロジーセクターで急速な成長を続ける Google、Facebook、Amazon をながめていると、どうも死角が見当たらない。これらの企業は上場しているものの CEO が創業者であり大株主の実質オーナー企業だ。

長期投資、特に自社サービスを破壊する類の新規サービスを取り込んでしまうという意思決定は一般的には難しい。不確実性が高く、また自己否定を起こす、もう少し踏み込んで言うと残存者利益をむさぼることのできる期間をその買収が短縮させる可能性をもつ買収・統合はサラリーマン経営者にはやりづらい。これを乗り越えるのが歴史的にみてもオーナー企業である。

例えば、Facebook の WhatsApp 買収、Instargram 買収は記憶に新しいがそれぞれが Facebook 離れをまねくサービスばかりだ。しかもこれらのサービスを買収してスポイルするのではなく、独立したサービスとして Facebook の競合のまま経営していくというスタイルをとっている。これはクレイトン・クリステンセンのいうイノベーションのジレンマを越える有効な方法のように思える。WhatsApp 買収には 2 兆円、Instagram には 1,000 億円のコストがかかっており、当時それらは全く収益化の目処がたっておらず、大赤字の事業を大枚をはたいて買うといった意思決定にみえたのか、買収発表から一週間で株価は 5% 下落した。しかし、Facebook が課題視していたスマホチャットコミュニケーション領域を中心としたリアルグラフの形成 (にともなう若年層ユーザーの移動)、ビジュアルウェブの代名詞となった画像・動画中心の軽量なスマホオリエンテッドのタイムラインサービスの拡大 (にともなう若年層ユーザーの移動) を自社ポートフォリオに取り込んだ格好となった。Facebook のビジネスとしての成熟 (FY14 Q4 決算の素晴らしさ!) と、次の 5 年間の全世界的なユーザー可処分時間の抱え込みという点でつけいる隙がなくなった。

Google の YouTube、Android 買収や自動走行車、ロボティクス、人口衛星、ロケットへの投資も同様だ。自社の独占的なグローバルソフトウェアビジネスから得られる超過利益を大きく長期投資、特に自社サービスを破壊する領域への張り方はこれらの企業の特徴ともいえる。とはいえ、他の伝統的なオーナー企業がこれまでとってきた多くの素晴らしい意思決定にはこういった要素が含まれている。

Google や Facebook がこれらと違うのは、このような超過利益 = 投資源泉を極めて短期的に獲得してきたということ、また上場企業であるという点だ。不確実性の高い長期投資を成功させイノベーションのジレンマを回避してきたオーナー企業は非公開企業であることが多く、また十分なキャッシュポジションを獲得するまでにかなりの年月を要している。

それに対してこの現代的な創業経営者たちはグローバルへのエクスパンション速度、テクノロジーセクターという成長市場、ソフトウェアビジネスによる収益性、独占的なポジションなどが極端に速い速度で大きな利潤を生み出し、また IPO で得られた多額の現金を長期投資にあてている。

このような環境下において、資本市場によるガバナンスとはいったいどういった意味をもつのか。このような意思決定を多くの投資家は短期的には評価しない傾向にある。バリュエーションの正当性が見当たらない、DCF で計算できないような案件は特にそうだ。ラリー・ペイジやマーク・ザッカーバーグだけが答えを知っているように思える。そして彼らにその判断を任せることが、結果的に長期的にな企業価値を向上させることにつながるとも考えられる。そもそもこのような長期投資を古典的な企業価値評価などの尺度で測れない以上、資本市場は Facebook や Google の価値を正確に判断することはできない。ラリー・ペイジがいつも正しいとは限らない。しかし投資家はもっと間違いを犯す。


この 2 つのトピックを選んだのは、結果としてこれらのトレンドが将来的な資本市場や株式会社というビークルについて課題や疑問を投げかけるもの、変化を促すものであるからだ。この変化に 20 代、30 代で立ち会える現在の高校生、大学生、若手社会人がうらやましい。そしてきっとあなたたちは死なないのだ。私は死ぬ。特定の変数を考慮しなくともよくなった瞬間、世界が変わることはビジネスでもよくある。人生でも同じだ。その感覚を私も体験してみたかった。