「enchantMOON」はドンキホーテ的な冒険か
石井:今日は「enchantMOON」をお持ちですか?
清水:はい、先生とこのマシンの話をぜひしようと思いまして。enchantMOONはご存知のように、ユビキタスエンターテインメントが開発・提供しているオープンソースのHTML5向けゲームエンジン「enchant.js」をベースとした、手書きメモに特化した独自OS搭載のハードウェア製品です。
発売から1年半以上経ちましたが、まだ新規に購入してくれるユーザーがいることが嬉しいと同時に驚き。OSのバージョンアップを何度かしましたが、その更新比率も高いです。
この手の新しいデバイスって、最初の数カ月は使うけれど、すぐに使わなくなるもの。私自身が数々のデバイスを使ってきたけれど、すぐに飽きてしまったということがあります。でも、これは違う。社内でも、新しいシステムを作るとき、勝手にenchantMOONに対応させたり、勝手にハードウェアを改造している連中がいる。みんな愛着があるんだなと。
石井:「まだ買う人がいる」ってのは、シニカルな言い方だけど、ある意味ポジティブで面白いですね。
清水:例えば、90年代のPDAの代名詞になった「Palm」なんて、僕は2週間は使い込みましたが、これって僕にとっては長い方ですから。
石井:Palmといえば、1990年代初めにソニーから出た「Palmtop」というPDA (Personal Digital Assistant) の原点的なマシンがありましたよね。Appleの「Newton Message Pad」が93年だからAppleより先んじていた。
清水:ここで石井先生とPalmtopの話ができるとは思わなかった!この前、YouTubeで当時のソニーのプロモーションビデオを見たんですよ。90年代に描かれた未来のパーソナル・コンピューティングの世界。
なにせインターネットの普及の前の時代だから、燦然と輝く「音響カプラー」が登場したり、ビジネスマンがフェラーリに乗って会社に通勤していたり、ツッコミどころが満載のビデオなんですけれど(笑)。
石井:たしかにPalmtopは出るのが少々早すぎたかも。ビジョンやコンセプトにハードの技術が追いついていなかった。ただ、コンセプトはすごい。その点、enchantMOONはハードの技術が追いつくのを待って、そこでソフトウェアを磨こうとしている。
清水:これは一種のテストベッドなんですよ。ただ、ソフトとハードを一緒に一人で作っちゃったのが失敗。両方を一緒に高いレベルでやれる人なんて、そうはいませんからね。ともあれハード込みで作って、それからOSをどんどんバージョンアップしていくという戦略でした。
石井:リスクを背負いながら、ソフトウェア、UIに関して、我々がこれまで慣れ親しんでいるお作法とは全く違うものを突っ込んでいる。そこが面白いなと思って。コンピュータのUIがよい意味でも悪い意味でも固まっているこの時代に、ドンキホーテ的にその革新に挑む日本人がいるんだなと。
しかも、他のデバイスとのコンパチビリティなんて度外視して、不退転の決意で開発する。とても、普通の経営者とは思えない(笑)。ふと坂村健氏の「TRONプロジェクト」を思い出しましたよ。「実身/仮身モデル」の強烈なオリジナリティを。
清水:僕の場合、手段と目的が逆なんですよ。経営者としてenchantMOONを作ったんではなく、これを作りたいから経営者になったようなものですから。
パーソナル・コンピューティングの領域で「勝ちたい」
石井:そもそもなぜ今、新しいOSやUIを開発しようと思ったんですか?
清水:僕らの世代って、アラン・ケイもアイバン・サザランド(Sketchpadの発明者)もすべて過去のレジェンドとして存在していたんです。彼らが作ったピラミッドの頂点に、今から麓から登っていったってとうてい届くはずもない。だったら、次の技術変化が起こる波にうまく乗って、そこで新しいパラダイムを作らない限り、絶対に勝てないと思ったんですよ。
というかそもそも勝ちたい、と思ってたんですね。僕も中学生ぐらいのときに、坂村健さんのコンセプトに強い衝撃を受けた一人。こんなすごいことを考える人がいるんだって。その頃は、WindowsとMacintoshがUI競争をやっていたけど、坂村さんのコンセプトは誰も実現できていなかった。今だったら僕が参戦しても勝てるんじゃないかと、中学生ぐらいのときに思いました。
で、その後はゲームを開発して暮らしていくんですが、ゲームって一種のOSみたいなところがあるじゃないですか。今と違って2000年前後のころは、ゲームを作るときは、メモリ管理もファイル管理もUIも全部自分で書かないといけなかった。だからOSを作るという発想は、僕にとっては決して無謀でもなんでもないんです。
石井:勝てるかもしれないと思う、そこがすごいですよ。日本は、コンピュータと通信(ICT)の世界での制空権を失ってしまったんだけれど、今高い空を飛んでいる外国製の飛行機を見上げながら、いつか自分もその空を飛べると思えるって、すごいですね。
清水:所詮、コンピュータもOSも人間が作ったものですからね。
「紙」をデジタル世界に実在化させる
石井:enchantMOONを通して、清水さんは最終的には何をやりたいと考えているのですか?
清水:紙をデジタルの世界に実在化させたい。あるいは、紙というメディアのイノベーションを起こしたい、ということです。紙は古代からあるものですが、普通の人が使えるようになったのは、近代パルプ製法が確立した19世紀からなんです。
今はそれがコンピュータに置き換えられつつあるというけど、その機能が紙と同じなら意味がないし、同時に紙とかけ離れても意味がない。紙の正常進化形としてどんなパラダイムがありうるのか。それを見極めたいんですね。
石井:私にとっても紙は永遠のライバル。紙、ホワイトボード、フリップチャートをいつか超えたいと思って、四半世紀前に「チームワークステーション」や「クリアボード」を作っていたときは、その当時の電子ホワイトボードを何台も買いまくってテストをしました。デジタルにしかできない機能。
何度も描き直しができるとか、文字認識とか、そういうことを追求していったんだけれど、結局紙には勝てなかった。「紙+手書き+デジカメ+Evernote」という新エコシステムが登場して、ディジタルペン&電子ペーパ(スクリーン)の時代は終わったと思いましたね。
かつては、紙と手描きをモデルにしてそれをいかにデジタルでアップグレードしようかと思っていました。でもEvernoteなら紙は紙そのままでスキャンして取り込めば、フォトン(光子)がデジタルになって、認識エンジンを回せば、あっという間に文字検索もできるようになる。デジタルデバイスが紙をエミュレートする時代は終わったかもしれない。
もちろん、デジタル化した情報は互いにリンクさせないといけない。紙のカードは究極のメディアではあるけれど、リンクというハイパー構造化の点で弱い。その点、かつてMacintoshに標準装備されていた「HyperCard」はクォンタムリープ(量子飛躍)と言えるほどの革新があった。
清水:当然、僕もHyperCardの優れた部分を踏襲し、それを超えるUIを考えたいと思っています。そもそもenchantMOONでは情報を表示するとき、スクロールとか、拡大縮小の機能を止めています。
それは、紙は普通それ自体ではスクロールしないし、拡大・縮小もしないから。スクロールをさせちゃうと情報の関係性が弱くなると思ったんです。 HyperCardだって基本的にスクロールしないですよね。そのほうがページとページの間のリンクを保ちやすい。
石井:ただ一方でカードは、たくさん作って並べると、どこに何が書いてあるのかわからなくなる。あるいは全体が見えなくなる。カードの森の中で迷ってしまうということがあると思う。
清水:検索すればいいというものじゃないですしね。
思考キャプチャ・ツールに求められるスペック
石井:さっき清水さんは「enchantMOONは紙の実在化だ」と言ったけれど、もしかしたら違うんじゃないかな。紙はあまりにも美しく、かつ物理的拘束が強い。別の言葉で言ったほうがenchantMOONの新しさは伝わるような気がします。
清水:紙の実在化と言ったのは、思考のキャプチャをするための道具という意味で、紙を想起しているからです。言い替えれば、考えるプロセスをデジタル化していくことに僕の最大の関心がある。簡単に言うと、考えながらハイパーリンクが作れるようなもの。HTMLをベタに書くというやり方では、それが十分にはできない。
例えば、enchantMOONは実際に中学・高校・大学の授業やビジネスマンの研修にも使っているんですが、たった20分説明しただけで、すぐに誰もが簡単なビジュアル・プレゼンテーションをこれで作れるんですよ。かつてアラン・ケイが「Smalltalk」で小学生にプログラミンを教えたときは、1日かかったそうですけれど、この学習曲線は越えられたんじゃないかと思うんです。
さらに、enchantMOONを1時間使わせると、学習者の表現が多彩になります。HTMLでは数十行書くのが精一杯だけど、enchantMOONならびっくりするぐらい凝ったゲームを、それこそ40ページも50ページも書いてくる。もちろん、それを最終的にはHTMLに出力することも可能。かつてHyperCardがやろうとしたことを、このマシンはやれるかもしれない、そういう確信が僕にはあります。ただ、今はハードウェア依存だし、マシン自体、全然普及していないんですけれどね。
石井:思考の表現とキャプチャというアイデアは本質的ですね。私もアイデアの組織化については昔から一貫したテーマとして考え続けています。例えばアウトラインプロセッサが好きで、ありとあらゆるアウトラインプロセッサ・アプリケーションを使ってきた。
現在のアウトラインプロセッサで問題なのは、ビューの問題。下位の要素を展開してしまうと、上位の要素、言い換えれば、全体の構造が見えにくくなってしまうということがある。ゲシュタルトビュー(全体の概観)と、フォーカス・ビューの間をどういうふうにスムースかつダイナミックに行き来させるか。
最近、人に聞いて使ってみたんだけれど、Webベースでかつ、下位要素を横に広げるタイプのアウトラインプロセッサで「Gingko(ギンコ)」というのがあって、これはなかなか使えると思いました。
あるいは、思考のプロセスを共有化するという点では、Google Docsがいい。Google Docsのスライドというのは、まさにカードなんですよ。思いついたことをどんどんみんながオンザフライで付け加えて、それを共有できる。さらに文字一つひとつの単位でアウェアネスの granularity(粒度)をコントロールできる。大きな可能性を感じますね。
いずれにしても、アイデアを組織化し、構造化し、プライオリティ化し、プレゼン、共有が誰とでもできてグループウェアとして使える、当然アイデアの再構築も容易。さらにビジュアライゼーションの作業に至るまでのプロセスを、一つの透徹した同じエンジンでできるような、そんな思考の道具があるといいよね。
そういうかたちに、enchantMOONは発展していくと期待してよろしいですか? 1ユーザーからの夢ということで、ウィッシュリストに付け加えて欲しいんですけれど(笑)。
清水:めちゃくちゃ難しい課題を与えられた学生のような気分です(笑)。
石井:全部取り込む必要はないが、どれが大事かを考えるだけでも、課題がはっきりしてくるから。
清水:お話を聞いていて、いま脳内にプロトタイピングしてます。
石井:それはすごいな。聞いた瞬間から見えている、作り始めているというのはさすがです。とても楽しみです。
これからのビジネス化のために何が必要か
石井:enchantMOONのOSを他のマシンでエミュレートしたり、それこそクラウド化するつもりはありますか?
清水:全くないというわけじゃないですけれど、ソフトウェアだけのビジネスは難しいですね。よほど、いいスポンサーがつかないと。
石井:私もかつて「ダンジブルビッド」を独自ハードと一体化して開発していたとき、そのままじゃ普及しない。クラウド型のソフトウェアにしたらいいと何度も言われました。ハードから挑戦するのは、相当な覚悟が必要だったんでしょうね。
清水:もちろん、enchantMOONの製品化ではベンチャーキャピタルの出資を受けています。まだ構想段階でしかなかったときに、VCのジャフコが、僕らの会社の時価総額を25億円と見積もって、5億円を出資してくれた。これがなかったら、ハードウェアは作れなかったですからね。そういう意味では感謝しています。
石井:アメリカでは、ものすごく目利き投資家がいて、「こいつはこれで失敗したからこそ、次は成功するかもしれない」という理由で投資する。その意志決定のスピードは日本の比ではない。
清水:日本もそういう環境にだんだんなっていくかもしれません。石井先生にも、資金提供とは言わないけど、僕のこれからのアイデアやビジネスをぜひ見ていただきたい。
石井:そうですね、日本には頻繁に来ますので、またお話ししましょう。
【対談者プロフィール】
株式会社ユビキタスエンターテインメント
代表取締役社長兼CEO 清水 亮氏
1976年、新潟県生まれ。電気通信大学在学中に米マイクロソフトの次世代ゲーム機向けのOSの開発に関わり、1998年にドワンゴ入社。1999年、携帯電話事業を起ち上げ、2002年に退社。2003年より現職。2005年、IPA(情報処理推進機構)より「天才プログラマー/スーパークリエイタ」として認定。ベストセラーとなった携帯向けコンテンツマネジメントシステム「ZEKE CMS」や大手通信キャリアに採用されたミドルウェアの「microzZEKE」、HTML5ベースの「enchant.js」などを世に送り出した。2013年7月、独自OS搭載の手書きコンピュータ「enchantMOON」を発売。
マサチューセッツ工科大学(MIT)
メディアラボ教授 石井 裕氏
1956年生まれ。北海道大学大学院修士課程修了。NTTヒューマンインターフェース研究所を経て、95年マサチューセッツ工科大学準教授。メディアラボ日本人初のファカルティ・メンバー。現在MITメディアラボ副所長。2006年、国際学会のCHI(コンピュータ・ヒューマン・インターフェース)より、長年に渡る功績と研究の世界的な影響力が評価されCHIアカデミーを受賞。2012年には内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選ばれた。
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