聞き手・福田直之
2015年1月23日05時20分
■金融政策 私の視点
――翁さんは現在の日本銀行の大規模な金融緩和に批判的です。
「日銀の大規模な金融緩和は、ものやサービスを買う側、つまり総需要を押し上げようという政策だが、日本の成長率の天井はものやサービスを提供する供給側の要因で下がってきている。総需要を増やしていけば、成長率の天井が上げられるかどうかが問題だ」
「団塊の世代が定年を迎え、労働力人口が減るなかで、さらに介護などに人手がとられ成長率が下がっていくのに対して、物価を上げて、実質的な金利を下げる、という処方箋(せん)はあまり効果が無い。これから必要なのは、供給側から見て、経済の実力が落ちるのを防ぐことだ」
――ただ、今のところは大きな問題はないように見えます。
「大規模な金融緩和の問題点は、緩和を拡大している間は表面化してこない。うまくいったのかどうかは、金融政策の転換が必要になった時、巻き戻しがどうなったかを見て評価する必要がある」
「したがって、中間評価は難しい。とりあえず、日銀が言う2年で2%というインフレ目標は達成が難しいだろうし、人々に物価が上がるという期待を急激に起こすこともできなかった。その意味で日銀にとっては想定外の展開だ」
「しかし、それは必ずしも悪いことではない。そもそも目標どおり2年で2%物価だけが先行して上がっても、賃金が追いついて上がるのは困難だし、日本経済にとって望ましいシナリオではなかった。現在は、徐々に経済の体温に合った物価上昇を目指す方向に修正しつつあるようにみえる。むしろ望ましい変化ではないか」
――そうだとすると、なぜ日銀の想定どおりにいっていないのでしょうか。
「市場にお金を流し込む量的緩和と物価が上がることの間に、理論上の結びつきはない。日銀が国債を買った結果、金融機関が受け取ったお金が、そのまま株や外国の債券に置き換えて運用されるというイメージがあるが、日銀にある金融機関専用の預金口座から外に出ることはない。絶対にあふれ出ることのない貯金箱の中にお金を積み上げているようなものだ」
「日銀が供給するお金を増やすというイメージを持たせることで、インフレになると思ってくれるかも知れない、という偽薬のような効果はある。ただ、偽薬は無害だが、日銀の量的緩和は膨大な量の国債を買って、結果的に大規模に財政の穴埋めをしてしまっている。それに慣れてしまえば、大きな副作用がありうる。そう言う意味では偽薬として劇薬を使っているようなものだ」
――ただ、「偽薬」にしては、金融緩和に反応して円安は進み、株価も上がっているようです。
「量的緩和の効果で株価が上がっているように見えるが、本質的には円安の効果だ。その円安も量的緩和が効いた、というより、自民党の安倍晋三総裁が政権を取る前の2012年秋、円安誘導をすると言っていたことが効き、株価も上がった。ちょうどその頃、欧州債務危機も後退して、貿易収支も赤字が定着すると思われ始めており絶好のタイミングだった。それでいったん大きく円安に振れた。量的緩和はその数カ月後に始まった」
「もっとも、昨年さらに円安に振れたのは、日米の金融政策の効果が大きい。米国は量的緩和を終え、ゼロ金利解除を展望する一方、日銀は追加の金融緩和で緩和の長期化を強く印象づけたからだ。米国の金利は上がっていき、日本は金利が低いまま、という予想で円が売られやすい状態を作った」
「ただ、円安の一番の懸念は、止めたいときに止められないことだ。円安で輸出が増えて、輸出主導で経済が回復する、という効果は非常に限定的だ。また、大企業の製造業で働いている人や株を持っている人にはプラスだが、そうではない人にはマイナス、という分配効果だけが目立ち、不満が高まりかねない」
――日銀は昨年、原油価格の下落が人々に物価が上がるという期待をもたらすのが遅れる恐れがあるとして追加緩和をしました。
「筋が悪かった。原油価格下落にあわせて緩和してしまうと、原油が下がれば追加緩和をするはず、という期待ができてしまう。原油価格が下がれば、目先は物価上昇率を押し下げるが、長い目で見ると日本経済と物価を押し上げる効果が強いのだから、静観する、というのが本来あるべきスタンスだ。唐突な追加緩和の前の説明はそうだったし、最近はむしろそういう説明に回帰している。誰が見ても消費増税を促すようなタイミングで緩和し、説明のつじつまもあわなくなった」
――消費増税の延期は必要だったのでしょうか。
「延期しない方が良かった。原油安がフルに経済に効いて、経済情勢が良くなっている頃が当初増税する予定だった15年10月である可能性が高い。延期された17年4月になると、かなり先のことで不確実性が高く、景気が下降局面である可能性も十分ある。その時点で景気が良くないといけないというのは、金融政策を制約する可能性がある」
「物価だけで経済を見るのは良くない。物価上昇率も常に2%がいいわけではない。経済に加わるショックにより、あるときは上ぶれても認めて、下ぶれても静観する、というのが、長い目で見た安定のためには望ましい。あまり細かい動きに反応すると、経済の不安定要因になる」
――20年前、翁さんは岩田規久男さんとマネーサプライ論争を繰り広げました。当時、中央銀行家だった翁さんと、学者だった岩田さんですが、現在は立場が逆転しているものの、今も見方は大きく違います。
「岩田さんは正直な方だから、自分がかつて主張したことのある部分は内心反省されているのではないか。日銀の中に入れば物価目標の達成が思ったほど単純な話ではないという気づきもあるだろう」
「在野の時は、2%の物価目標を2年で達成できなかったら、日銀総裁は解任されるべきだ、としていたし、就任時の発言もそのようなもので、中央銀行は原油安やリーマン・ショックなどの大きなショックがあっても、金融政策が適切なら物価目標は達成できる、という立場だった。当初の発言通りなら、就任2年でやめなければならないことになるが、最近は『電車の時刻表のようにはいかない』と言っている。メンツや過去の発言にこだわらず柔軟に現実を見て欲しい、と思う」
――今、日本経済には、どんな政策が必要なのでしょうか。
「急いで取り組むべきは労働市場と超高齢化対策の問題だと思う。人口が多い団塊の世代の退場はすでに労働市場に大きな影響を与えているが、この人々はあと10年で75歳以上の後期高齢者になり、このあたりから要支援・要介護の比率が急激に上昇し始める。厚労省は在宅介護の方針だが、介護には膨大な人手が必要で、労働市場から現役世代がさらに抜けざるをえなくなり、経済の実力は低下する。高齢者が健康で過ごせる時間を延ばすことに全力で取り組むことが経済と社会の安定のための喫緊の課題だ」
「これと関連して移民受け入れの検討も必要だ。移民問題は抽象的に議論できない。無国籍ではなく、出身国の人口構成や社会、文化と切り離せない。どの国からどの程度来てもらえるのか、どの程度が許容範囲なのか、そろそろ国民的なコンセンサスが必要なのではないか」
◇
おきな・くにお 1951年生まれ。東大経卒。日銀に入り、シカゴ大博士号取得、日銀金融研究所長等を経て、2009年から京大公共政策大学院教授。(聞き手・福田直之)
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