この短編を見たときのわたしの気持ちをもう少し詳しく書くと『動物に人間の食べ物、しかもジャンクフードを与えたら、あっという間にブクブク太って死んでしまうよ! これ、子供が見たら真似するk……あれ? わたしのこの考え方は、ちょっとマズい方向へ行きかけているから、今は考えるのやめよう』でした。
見終わったら、そもそも話がさっぱり面白くないのがよろしくないなあ、と、思いつつ「ベイマックス」が超面白かったので、忘れてたんですね。でもちょっとモヤモヤが残ってしまったので、考えたことを書き留めておこうと思いました。
『わたしのこの考え方は、ちょっとマズい方向へ行きかけている』というのは、『子供が真似するかもしれないから、よくない』というところに行き着きそうになったからです。
「愛犬とごちそう」に登場する犬は、「わんわん物語」「ボルト」「101匹わんちゃん」などに登場する犬ほどには擬人化されていません。完全にペットとして扱われている。わたしはそこに引っかかり、『動物にあんなことをしては絶対にいけません!!』という感想を書きました。子供が「愛犬とごちそう」を見て、『あれはよくないよ』と思うのであれば、それももちろん、その子の感想であるので、なんの問題もありません。子供が『犬はピザやベーコンが好きなんだ!』って言ったら『ピザやベーコンが好きなのはアメリカ人だよ!』って答えちゃうとは思います。
しかし、『子供に見せたら真似するかもしれないから、この短編の内容はけしからん』というところのみを切り取って考えてしまうと、表現は規制するべきである、という方へ向かっていく可能性がある。わたしがそこへ向かいそうになり、ギリギリで踏みとどまったのは、『わたしが感じた不快感を「子供に対する悪影響」という言葉に責任転嫁しているに過ぎないのではないか』と思ったからです。子供に限らず、大人でも同じですね。大人だから影響を受けない、なんてことはありませんから。
パリのテロ事件も、セス・ローゲンとジェームズ・フランコの「ザ・インタビュー」の件も、表現の自由を奪おうとする力が働いてしまった。ケンカ売る相手がヤバすぎたとか、存命人物の暗殺というストーリーの倫理観については、攻めこみすぎたのかなあとは思います。だからといって、現実的な攻撃をするのが許されるわけでは当然、ありません。
さまざまな表現の自由が奪われてしまったら、ディストピア化が進んでしまう。映画ならいいですよ、ディストピア映画、好きです。でも「華氏451」みたいな世界はイヤでしょう。
わたしは、ある程度のゾーニングは必要であると思いますが、ショッキングな創作物を生活から遠ざけよう、見えないようにしよう、というのは、あまり好ましいことではないと思っています。フィクションである限り、過激な性描写も暴力描写も、あっていいと思います。そこから影響を受けて現実に行動を移してしまうことについては、受け手の問題であって、創作物や創作者に責任があるわけではない。
超えてはならない一線は、フィクションと現実のはざまに居る人間の心の中にあるのではないでしょうか。
見終わったら、そもそも話がさっぱり面白くないのがよろしくないなあ、と、思いつつ「ベイマックス」が超面白かったので、忘れてたんですね。でもちょっとモヤモヤが残ってしまったので、考えたことを書き留めておこうと思いました。
『わたしのこの考え方は、ちょっとマズい方向へ行きかけている』というのは、『子供が真似するかもしれないから、よくない』というところに行き着きそうになったからです。
「愛犬とごちそう」に登場する犬は、「わんわん物語」「ボルト」「101匹わんちゃん」などに登場する犬ほどには擬人化されていません。完全にペットとして扱われている。わたしはそこに引っかかり、『動物にあんなことをしては絶対にいけません!!』という感想を書きました。子供が「愛犬とごちそう」を見て、『あれはよくないよ』と思うのであれば、それももちろん、その子の感想であるので、なんの問題もありません。子供が『犬はピザやベーコンが好きなんだ!』って言ったら『ピザやベーコンが好きなのはアメリカ人だよ!』って答えちゃうとは思います。
しかし、『子供に見せたら真似するかもしれないから、この短編の内容はけしからん』というところのみを切り取って考えてしまうと、表現は規制するべきである、という方へ向かっていく可能性がある。わたしがそこへ向かいそうになり、ギリギリで踏みとどまったのは、『わたしが感じた不快感を「子供に対する悪影響」という言葉に責任転嫁しているに過ぎないのではないか』と思ったからです。子供に限らず、大人でも同じですね。大人だから影響を受けない、なんてことはありませんから。
パリのテロ事件も、セス・ローゲンとジェームズ・フランコの「ザ・インタビュー」の件も、表現の自由を奪おうとする力が働いてしまった。ケンカ売る相手がヤバすぎたとか、存命人物の暗殺というストーリーの倫理観については、攻めこみすぎたのかなあとは思います。だからといって、現実的な攻撃をするのが許されるわけでは当然、ありません。
さまざまな表現の自由が奪われてしまったら、ディストピア化が進んでしまう。映画ならいいですよ、ディストピア映画、好きです。でも「華氏451」みたいな世界はイヤでしょう。
わたしは、ある程度のゾーニングは必要であると思いますが、ショッキングな創作物を生活から遠ざけよう、見えないようにしよう、というのは、あまり好ましいことではないと思っています。フィクションである限り、過激な性描写も暴力描写も、あっていいと思います。そこから影響を受けて現実に行動を移してしまうことについては、受け手の問題であって、創作物や創作者に責任があるわけではない。
超えてはならない一線は、フィクションと現実のはざまに居る人間の心の中にあるのではないでしょうか。
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