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 この画像は上空から撮影した、かの有名なカリブ海のベリーズ近海にある水中洞窟、「ブルーホール」である。ブルーホールから採取された鉱物を調査した結果、西暦800年から900年ごろに大規模な干ばつが発生していた事が判明した。

 この時期はちょうどマヤ文明がバラバラに散ったとされる時期である。その後、干ばつは解消されたようだが、そこからまた数百年後に起きた大規模な干ばつによりマヤ文明は完全に滅んだと考えられている。

 「マヤ文明が干ばつによって滅んだと言う研究結果は決して新しい物という訳ではないが、今回の発見はこの説を大きく裏付けるものである」と研究論文の共著者である米テキサス州、ライス大学地球科学者アンドレ・ドロクセルは語る。
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マヤ文明の滅亡

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 西暦300年から700年頃、マヤ文明はユカタン半島をその手中に収めていた。この時代のメソアメリカ人たちは驚くべき程高度な技術力でピラミッドを作り、現代でも通用する程の天文学的知識を身に着け、ヒエログリフやカレンダーの作成にも精通していた。

 ところが西暦700年頃、その栄光を忘れるかのように文明技術は衰退し、戦争と無政府状態が続いた。近代の歴史学者はこの時代の衰退を木々の減少によって作物が失われた結果であり、かつてマヤ文明の主食となっていたティカルディアという食料が確保できない事によって引き起こされた恐怖の渦によって引き起こされた物だと考えている。

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 近代に入りこの当時の衰退は干ばつによって引き起こされた事が主張され始めた。その新説の先駆者たちである科学者たちは、1995年から干ばつが地球に及ぼす影響を徹底調査した。

 2012年にサイエンス誌で掲載されたベリーズ近辺の洞窟の過去の発見によると、約2000年の時を得て出来上がった石筍(鍾乳洞等で見かける下から上へと延びる岩の事)に長い干ばつの記憶が残されていたそうだ。しかし、ドロクセル氏によると「この研究はたった一つの洞窟から導き出された物であり、その段階ではまだ地域全体に影響を及ぼした、という説を立てる為には根拠が薄かった」という。

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 この当時発表された干ばつの記憶の説明について、科学者たちは「 ”熱帯収束体”の変動によるものではないか」と仮説をたてた。

 熱帯収束体は地球に存在する気候システムで、大量の雨を熱帯地帯に与え、その代り他の地域から水分を吸収するという気候を引き起こす。夏になるとこの熱帯収束体はユカタン半島に雨をもたらすが、冬になると熱帯収束体はユカタン半島を越え、より北へと移動する。

 科学者たちは「熱帯収束体がマヤ文明衰退と強く関係しており、文明の衰退は熱帯収束体が夏の時期にマヤ文明上空に留まらず、完全に外れてしまった事によって引き起こされたのではないか」と考えた。


ブルーホール調査による新たなる発見

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 干ばつの証拠を見つける為、研究チームはブルーホールのライトハウス・ラグーンで採掘を行った。このラグーンは周囲が完全にサンゴ礁で囲まれているが、雨期になると、周囲の川から流れ込む水によって鉱石が拾い上げられラグーンの底へと沈殿するそうだ。その結果、ラグーンの底には過去の気候記録が鉱石という形で残っているのだ。

 ドロクセル氏はこのラグーンを、「沈殿物を閉じ込める、罠のような穴だ」と語る。研究チームは、沈殿物の科学的構造に注目し、チタンとアルミニウムの量を測定した。雨が降ると、その地域に存在していた溶岩に存在するチタンがはぎ取られ、ラグーンの底へと沈殿するからだという。

 「つまりチタンとアルミニウムが少ない層こそが干ばつの記録という事になるのです」とドロクセル氏は語る。

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 今回の発表でわかった事は、西暦800年から1000年ごろに干ばつが起きていたと言う科学的事実である。さらに、20年に通常5,6回起こるはずの台風が、この時期には1回か2回程しか起こらなかったという事実も判明した。

 その頃マヤ文明は衰退し、彼らは現在「メキシコ」として知られるチチェン・イッツァへと移住していった。更に新たなる事実として、西暦1000年から1100年ごろ(小氷河期の時代)に大規模な干ばつが起こったこともわかった。これはチチェン・イッツァが滅んだ要因の一つではないかと言われている。


Mayan History - Droughts, riots and exile (Teaser)
via:livescience・原文翻訳:riki7119

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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 09:51
  • ID:9JF1jL..0 #

ブルーホールに封じられている怪物がマヤ文明を滅ぼしたという説を提唱したい

2

2. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 10:43
  • ID:X7MxB7R30 #

え・・・?(・□・)

あの画像がWWWW(−▽−)

3

3. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 10:45
  • ID:K3vsAFNt0 #

王族の滅亡とか、亡国の予言の様な宗教的な一因か
貿易に不向きな地だった事からの自然衰退じゃないのかな

4

4. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 11:07
  • ID:In6ICYym0 #

文化のなんたるかを理解しないコンキスタドールがその痕跡すらぶち壊したのが、現在でも滅亡した理由が分からない原因だろ。

5

5. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 11:11
  • ID:xF3a8.hy0 #

考古学の人って細菌学にも詳しくないと厳しいらしく
化石化した細菌からも年数測定したりする
本当に好きでないとこの学問ってできないだろうな

6

6. 匿名処理班

  • 2015年01月04日 11:17
  • ID:yg41guOf0 #

『「メキシコ」として知られるチチェン・イッツァへと移住』、ここがよく解らない
「メキシコ」がメキシコシティを指すなら元アステカの首都でチチェン・イッツァからは非常に遠い。
ユカタン半島全土はメキシコの物でマヤ文明はユカタン半島内で成立していたのだから全部メキシコ。
なのに、なんでその内部での移動で、チチェン・イッツァだけ別物扱いされてるんだろ?

でも、謎と言われてたけど結局は自然要因だった、ってのは非常に良く納得できる

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