「けいおん!」に執着してきたあの頃。あるいは原作という未来。

・はじめに

ちょうどニコ生で一挙放映があったそうなので。

一時期はアニメ版「けいおん」のことボロッカスに批判してた時期もあったのですが、今は大分落ち着いたつもりです。

何言ってんだこいつと言われようとも、一つの主張を叫び続けてきた意味はある。

 

それでも最近のけいおん5周年扱いは疑念ですけどね。あれが始まったのはまんがタイムきらら2007年5月号だよ!

 

まんがタイムきらら 2007年 05月号 [雑誌]
 

 

 

・原作者とはなにか

実の所、結局の所「けいおん!」を取り巻く言説として何が嫌だったのかというと「原作者」という概念を虚ろにしているとしか思えない言説なんでしょう。

当たり前のように「原作はつまらない」「つまらない原作を京アニが面白くした」なんていう一部の信者だろうにしても、そういう言説がまかり通っていた時期というのは悲しかった。

実の所、「AIR」でようやくkeyのアニメ化作品で原作の味を生かしたアニメ作品が出来てくれたというあの感情があるだけに、けいおんから「原作通りにやってくれる」から「つまらない原作を面白くしてくれる」なんていうマーケティングが流れてきたように感じている。

 

原作原理主義ではないのだ。原作者原理主義者なのだ。

「原作と同じにしろ」と言いたいのではない。

原作者の特権というのは「新しい事を押し付けられる事」だと思っている。

結局、二次創作の想像力というのは限界がある。結局の所、同じ概念と同じ関係性をアレンジする事しか出来ない。

律と澪を喧嘩させたり海外へ旅行させる事しか出来ないのがアニメという二次創作であるなら

例えどれだけ薄くても梓に後輩を作ってやれるのは、あの作品ではかきふらいだけしか居なかったのだ。

嘘キャラで居たけれども、結局の所は二次創作として忘れられていくだけである。

 

・原作アンチテーゼの割り切り方

アニメ版は吉田さんの癖か、山田監督の作家性なのか、他に所以があるのかはわからないけれどもウェットな少女マンガ的な作風。

しかし原作版のかきふらい先生はすごくドライ。虚淵玄よりよっぽどハードボイルドですよ。

具体的にかき先生にまどかマギカのなんか書かせたら、ほむらがまどか忘れられるんじゃないかってくらいです。なんで萌え4コマなんか書いてンだかき先生。

 

コメント欄で「カレッジとハイスクールの最終回で納得行かない」とは言うけれども、それも結局の所はアニメと原作の作風の違いに過ぎない。

それだけ新しい仲間の事を考えやすい環境にもあるのだろうし、「今」を大事にし続けるのなら、その「今」は更新され続けるものである。

ただそれは寂しいよねというのが普通の感性である事も間違いないのだし、劇場版での「今」を大切にしたのはそれはそれで。

 

ただ、カレッジとハイスクール自体が「引き伸ばしで無理やり描かされた」のではないかという勘繰りはあながち間違っていない気がするのと

スミーレや奥田さんはもっと早くから出しておくべきだったよねというのは未だに感じる。

最近常に思うのですけれども「ぽっと出」感を軽減しないと受け手からは馴染まないものだし、スミーレなんかムギの身内みたいなもんなので出そうと思えば卒業前から出せたのにしなかった時点で色々勘繰ってしまうものもある。

 

一つだけ今思うのは、唯・澪・律・紬が一緒の大学へ行ったのは結局そうやって一緒に居ないとお互いに忘れちゃう事を悟っていたからなのかもしれない。

一緒に居れば仲良く出来るけど、離れ離れになって労力を裂く前にどんどんお互い忘れ去って「過去」になってしまう。

もしかするとそういう経験談があったから、あの4人は大学へ行ったのだろうし、んじゃ梓がぼっちかというと新しい仲間が出来たっていう。

 

受け手がどう思おうとも日常はどこにだってある。

地獄にも天国にも異能バトルの中にも魔法世界にもSF世界にもある。

日常が例え移り変わったとしても、恩那組となれ合うHTTも、わかばガールズもあれはやはり「日常」でしかない。

 

でも新展開自体が芳文社京アニとポニキャあたりの間で連携が取れてなかったという感想しかない。

例え単品で完成していたとしても原作との連携が全く取れていなかった「劇場版けいおん!」の存在は、やはりそれ自体は悲しいものです。

卒業した後の未来もいつか今になる。例え描写が薄くても恩那組やらわかばガールズやらとの「日常」はそんな違いがあったとも思えないし、少なくとも本人達は楽しかったと思うんですよ。

それを遠い所に行ってしまったと勝手に感じてしまうのは受け手のエゴに過ぎない。

だってあの子達にとっての今は、きっと高校生活から見た未来なんですよ。

 

・それでも帰ってきた唯、梓たちを晶、スミーレや奥田さん達が迎えてほしかった

結局、劇場版に晶たち恩那組やスミーレ・奥田さんといった「梓の後輩」が影も形もなかったのが寂しい。

「出来るわけねーだろ」と何度も言われた。

でもカットの片隅にすら居なかった時点で、やっぱり意思疎通とかしないまま作っちゃってたある種のメディアミックスの完結編だったのかなという事なのだろう。

 

他の作品を引き合いに出すと、劇場版アイドルマスターのスタッフロールにシンデレラガールズ(モバマス)の渋谷凜がちょこっと居て765プロのライブを見てるとかそういう繋がりでいいんですよ。

あの世界にモバマス(346プロ)が存在していて、関わらないにしてもどこかで生きている事を認めてくれてる。実際そういう意図があったそうで。

 

けいおんだと、あの世界にスミーレは居ないのかもしれない。

ただどうしても卒業してからあの世界に産み落とされてしまったキャラだからというのもある。

多分、梓が出る前後くらいにスミーレがHTTメンバーと関わりを持っていたらアニメでも結構出番があった可能性があるし。

 

これも僕のエゴでしかないけれども、あくまで好みの問題としてはメディアミックスで連携が出来て新しい仲間へ続いてほしかった。

それが出来なかったのはやっぱりお互いに終わらせるしかなかったのだろうと思う。

それが悲しくもあるけれども、同時にアニメけいおんスタッフで「たまこシリーズ」を作れるようになったので良かったのかもしれない。

 

特に「たまこラブストーリー」は、もしかすると原作も上からの指示もなく山田尚子監督が伸び伸びと作れた最初のアニメ作品なのではないかとすら思っています。

それはあくまで彼女達のアニメ作品なのだからケチのつけようもない。

止まった時を先へ進められなかったのが「劇場版けいおん

たまこの恋愛感情の自覚という形で時を動かしたのが「たまこラブストーリー

たまこシリーズ自体けいおんの呪いを引きずっていたように感じた。当初の洲崎綾さんは豊崎愛生さんに近い演技を指導されてた気もします。

それを引きずるのか、払拭して新たなものを作っていくのかは分からない。

 

踏み台にされた作品の事とか考えるといたたまれなくなるだけでオリジナルでやって支持されるなら何もいう事はないんです。

 

・それでも未来を作れるのは二次創作じゃない。原作者だけだ。

新しければ楽しいとは限らない。

ただHTTと恩那組の日常、わかばガールズの日常が決して苦しいものだったとは思えない。

日常はどこにでもあるし、異能バトルの中でもなかった。あれは未来に見えた今だから。

 

過去の作品として高校生活を懐かしむという点では、アニメ版けいおんは今でも凄くいいと思います。劇場版もね。

でもあの楽しい時間が終わってしまって、新しい仲間と遊ぶ時間は苦しいものなのか?

いや、そうではない。結局の所、アニメ版では「わかばガールズの4人目(5人目)」を作る事は出来なかった。そういう事である。

 

意外と読んでない人も結構見かけるので改めて勧めておきます。

ってかもう2年前になるのか。

梓がN女子大に行ったかどうかはご想像にお任せしますという事で。

僕は行かずにわかばガールズ続けてるルートがいいです。

 

けいおん!  college (まんがタイムKRコミックス)

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けいおん!  highschool (まんがタイムKRコミックス)

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でもここまで言ってきてなんですけど実の所、新キャラ薄いってのは否定出来ないもんです。

一度けいおんというコンテンツを捨てたアニメ版で続けるとしても良い印象は与えないかもしれませんけど、でもやるとしたらそれはそれで応援して見たい所です。