やほー! 久しぶりやね。
ブログのネタがなくて干からびてしまいそうやわ。
しっかりしてくださいよー。
少し前に話題になった記事ですが、「どうしてブログは書けるのに小説は書けないのだろう」といった内容のエントリーがはてブでバズってました。
なぜそれなりの文字数が書ける人でも小説だけは書けないのか? - 言いたくないけど、僕が青二才です
まきちゃんって、もともとは小説畑の人ですよね。
この件についてはどう思いますか。
せやな……、小説を書けない理由は大きくわけて二つある。
一、ストーリーが思いつかない
ニ、描写が書けない
ただし、ストーリーについてはシナリオ論のハウツーを勉強すれば誰でもそれなりのものは書けるようになる。
ゆえに小説を書くときに一番厄介なのが後者の描写が書けないなんやね。
描写だけは、レトリックの技法書を読もうが、文法書を読もうが、ハウツー本を読もうが、一朝一夕には身につかへん。
これは断言するけども、多くの人が挫折するのは描写やで!
ブログには特別な描写が必要ないから、誰にでも書きやすいんやね。
小説はそうはいかん。
不思議なのは、「漫画家になろう!」と思う人は、面白い物語の作り方やコマ割りの仕方、それになにより画力向上の練習をするのにやね――、
「小説家になろう!」とする人は、面白い物語作りを勉強するのは良いものの描写技術を身に付けることを疎かにし過ぎる傾向がある。画力なしでは思い通りの漫画が書けないように、筆力なしではまず長篇小説を完結させることさえ叶わんちゅうのに。
たとえば「朝、女の子が食パンをくわえて通学路を走っていたら、曲がり角で誰かとぶつかって転んでしまう」という展開を思いついて、それを書こうとする。
ストーリーはありきたりやし、いかにも書きやすそうやけども、実際に描写しようとすると次のような壁に衝突する。
- 女の子が目覚まし時計の音に起こされて、遅刻の可能性を認識するに至る心理描写をどうするのか。
- 女の子がベッドから飛び起きて二階の自室から一階のリビングに降りるまでの行動描写をどうするのか。
- 慌てて制服に着替えるようすをどう描くのか。
- 母親の作った朝食を断り、食パン一枚を口にくわえるようすをどう描くのか。
- 部屋のドア、玄関のドアをどう開けてどう閉めるのか。自室→リビング→台所→居間→廊下→玄関→外などの場所の転換を文章でどうやって示すのか。
- 走るすがたはどのように書けばいいのか。
- 曲がり角に差し掛かるまでの描写と、ぶつかる瞬間の光景はどのように書くのか。
- 一瞬頭に星が散り意識が飛び、そしてアスファルトに尻もちをつくまでの過程をどう表現するのか。
- 転んだあと食パンはどこに消えたのか。
- 女の子が身に感じた痛みと遅刻への焦りをどう書くのか。
もちろん、ひとつひとつを考えていたら気が遠のいてしまうけれども、言いたいことはつまり。
小説を書くのはすごく面倒である。
ってことや。面倒で済めばええけども、書くこと(正確には原稿に向かい合っているのに書けないこと) には相応の苦痛が伴う。
物書きさんはよく「書くのが楽しい!」とか「書くのが好きなんです!」とか言うてはるけども、その楽しさや好きの背景には圧倒的なつらぽよ成分が含まれとるんやね。
まあ、なんというか身も蓋もない話ですよね……。
描写が書けないという苦しみを克服する方法はあるんですか?
たとえば、ブログを書くときには「書けないことは書かない」やろ?
「書けないことは書かない」
何を当たり前なこと言うてるねんと思うかもしれへんけど、これは重要なことや。
なぜならば、小説を書くことに挫折する人の多くは「書けないことを書こう」とするからや。
小説が書けない苦しみの大部分は、「書けない、でも書かなくちゃ!!」という強迫観念的な葛藤というか、理想と現実のギャップにより生まれる認知的不協和によって構成される。
なんで書けないことを書く必要があるのかというと、それはプロット・キャラ設定等の縛りが事前にあるからや。
- 書きたいストーリー
- 書きたいテーマ
- 書きたいシーン
- 書きたいキャラ
- 書きたい世界観
そういった、予め思い描いているプロット・設定に対して、筆力(描写技術)が追いつかへんから書けない苦しみが生じるんやね。
あくまで「苦しみを回避する」という目的そのものを最優先させるのであれば、理想のプロットは一度ゴミ箱に放り込む必要がある。どんなに素晴らしいシーンが頭のなかにあったとしても、書けないものはどうしようもないからな。
その代わり、「書ける描写」に注力して、初稿段階では頭のなかの理想はひとまず無視して、まずは原稿を書き切ることを優先させるんやね。
そして初稿を上げたあとに、妥協案というたらアレやけども、エンタメとして一定水準以上になるように、書き加えたり削ったり、あるいは並び替えたりしていくんや。
初稿を勢いで書き切ってから、改稿にリソースを割く戦略なんやけども、これは比較的挫折しにくい。最初から完璧を目指さずに、ある程度妥協するんや。
もしも書けないシーンにぶつかったら、カットしてでもまずは原稿を書き切ることを優先させる。
数学の試験問題で「分からん問題あったら飛ばせ!」という原則があるけども、小説もおんなじやとうちは思うで。どれだけ悩んだところで、書けないもんはどうしようもない。
もちろん「書けない→書ける」に変えていくには日頃の鍛錬が大切やけども、それと原稿を〆切に間に合わすこととはまた別問題や。とにかく初稿は気持ちが熱いうちに書いてしまいたいもんや。
なるほど「とにかく無理して立ち止まるよりかは、できることをして先に進んだほうが良い」といった感じでしょうか。
描写力を上げる方法はなにかあるんですか?
とりあえず3つ挙げてみよかー。
- 辞書に頼る
- 良い作品を模写する
- 「ふっ、これなら俺の書いたほうがうまい」と思った駄作を、もう一度よく読んでみる。
1.辞書に頼る
これはそのままの意味で、分からない単語、分かっている単語についてもとにかく辞書を引いてみること。
例えば、
心が熱い恋の炎でとけてしまいそうだった。
と書くときに、妥当な漢字はどれだろうか。
「溶ける」「融ける」「解ける」「熔ける」「鎔ける」
あるいは、
この命にかえてもあなたをお守りします!
命にかえるの漢字はどれが適しているか。
「変える」「替える」「代える」「換える」「易える」
自分で書いといてあれやけど、これってなかなか絶妙な問題やろ?
このあたりのセンスは辞書を引くことでどんどん磨かれるんやね。
「国語辞典」「類語辞典」「シソーラス辞典」「百科事典」「コロケーション辞典」「レトリック辞典」「比喩辞典」
いろいろあるけども、こういった辞書にはばんばん頼ったらええと思うで。
2.良い作品を模写する
模写は、漫画家志望の人がよく画力向上のためにやっとるけども、小説でやっても効果はある。もちろん、長篇小説すべてを書き写すんは苦行やから、好きなシーンだけ書き写してみればいい。
例えば、「人物を形容する描写」だとか「場面転換の描き方」だとか、自分の苦手分野を集中的に、意識して読みこめば目からウロコやと思う。
3.「ふっ、これなら俺の書いたほうがうまい」と思った駄作を、もう一度よく読んでみる。
描写力を身に付けるうえでは「やらない方が良いこと」を学ぶのもけっこう重要になってくる。描写が致命的に下手な作品を見つけて「ふっ、これなら俺の書いたほうがうまい」と思ったならば、むしろ意識して文体を読み込んでみることが大切や。
その描写の何がマズイのかを明確に言語化できるように、あるいは自分がそれをリライトするならどうするかを考えてみる。
良作から学べることも多いけども、それと同等に、駄作から学べることも多いんやで。
今回も長文になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。
最後に書けない悩みを解決するのに役立ちそうな書籍を紹介します。
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ずばり小説作法の本です。
著者の自伝的なエピソードや、英語特有の書き方の話もあるため、すべてがハウツー本のように使えるわけではありませんが「小説を書くとはなんたるや」の根幹的な考えの部分においては参考になるところが多く、また創作で悩んでいるときには勇気づけられる本でした。
では今日はこれにて失礼します。(おわり)