2014年11月29日
タマビとムサビはなぜ仲が悪いのか。
昨日は1日米山対応だった手羽です。
タマビの米山さんと伊藤さんという方がムサビにいらっしゃってまして。
多摩美術大学は、来年2015年が80周年。
■多摩美術大学 創立80周年記念事業
↑こちらが80周年サイト。
80年史編集を担当してるのが伊藤さんで、そのデータ集め・確認をしにムサビ大学史史料室を訪問することになり、米山さんがついてきた、と(笑)
帝国美術学校・・・現在の武蔵野美術大学が1929年にできて、その6年後1935年に分裂してできたのが多摩帝国美術学校、現在の多摩美術大学です。
美大関係者でも知らない人が意外と多いんですが、タマビとムサビは同じ学校だったんですよ。
・・・さっきは「ムサビから分裂してできたのがタマビ」とさらっと書きました。
ムサビは「出て行ったのがタマビ。本家はムサビ」という歴史解釈だけど、タマビからすれば「帝国美術学校の理念を受け継いでるのがタマビ。ムサビは新帝国美術学校」なんですね。約10年裁判で戦ってました。
こんな小さな学校の分裂に関する歴史認識が違うんだから、そりゃ国どうしは揉めるわな、と。
ただ現在わかってるのは、「ずっと別々の道を進んでいくんだ!!お前なんか潰れてしまえ!!」とお互いが思ってたわけじゃなく、元通りになることを当時のムサビ側もタマビ側も本当は願っていたことです。
その証拠にすぐに戻れるよう「多摩帝国」という名前をあえてつけてたり、分かれていく同志のことを想う歌がムサビに残ってたりします。
手羽の推測がかなり入りますが、「美術学校だぜ?実技やらないでどうすんの?そして、研究者でも美術家でもないおまえらが何わかるんだよ!」(タマビ)と「何を!!実技バカじゃこれからはダメなんだよ!!」(ムサビ)とお互いが興奮し、「ごめんちゃいちゃい」と言えるタイミングを逃して長期化しちゃったんじゃないかと。
個人ではよくあることですよね。
ずーーといがみ合ってるわけでなく、いわゆる「気まずい」関係なんだけど、雰囲気から周りもそんな感じになって「なんかあの二人、仲悪いらしいよ」と言い出して、自分もそんな気になっちゃう・・的な。
ムサビとタマビは裁判を10年やってたけど、仲が悪かったのではなく、仲が悪い感じになった・・じゃないかと。
ま、今「じゃ一緒になればいいじゃん」と言われても、「多摩武蔵野美術大学」にするのか「武蔵野多摩美術大学」にするのか確実にもめるでしょうけど。
「首都大学東京」さんっぽく「武蔵野美術大学多摩」とかわけわかんないところで手を打ちますか。
で、1935年に上野毛にできたタマビですが、1945年、焼夷弾によって建物が図案科1棟を残して焼失します。
(軍技術研究所として使われてたので、ピンポイントで狙われたらしい)
なので、タマビには1945年以前の原本史料が残ってないんですよ。
タマビにはなくてムサビにはある現物史料ってことだと、例えば、
多摩帝国美術学校の第1期生募集広告。
この判型から「みづゑ」に掲載されたものじゃないかと。
ただ、この手のものは国会図書館とかでも保管されてるので、もっと貴重なものだと
多摩帝国美術学校の開校式案内と記念品引換券(記念品は手拭いかな?)、
絶対にムサビにしかないものだと、
多摩帝国美術学校へ出ていく学生さんが帝国美術学校に送ってきた絶縁状がそうです。
これは他に存在しえないので(笑)
写真から外してるけど、学生さんのサインと拇印がズラっとこのあと続きます。
絶縁状から「何月何日に誰が何人が」というのが分析できるので、これ、すごく貴重な史料なの。
また、帝国美術学校の創立中心メンバーである金原省吾さんという方が、当時のことを日記に事細かにメモってて。
通称「金原日記」と呼ばれ、ここからその時の出来事や「気持ち」を発見できるんです。これもムサビにしかないもの。
「手羽ブログ」も「ムサビ日記・美大日記」も数10年後には確実に当時の美大生・教職員・ムサビ・美大の活動や「気持ち」がわかる貴重な歴史的資料になってるはずで、そのつもりで手羽はやってます(笑)
なので誰か保存しといて。
おっと話を戻して。
ムサビ60年史を作る時にタマビは非協力的だったけど、うちは研究のためなら、いいものを作ってもらうためならいくらでもウェルカム(こっそり嫌み)。
1日この作業を二人でやってました。
いっそムサビの大学史史料室に通ってもらって、ずっと調べてもらっていいんだけど。
・・・あ、米山さんがいたらうるさいから、伊藤さんだけでお願いします・・・。
でも、いわゆる同盟休校事件のことを両大学が協力して研究してみたいですね。
手羽は公開講座の日だからそろそろ六本木に行かなくちゃいけない。
「じゃ、僕も六本木に行くよ」と一緒にデザイン・ラウンジへ行くことに。
米山さんはあいかわらず自由人だ・・・。
中央道の渋滞に巻き込まれ、ミッドタウンに着いたのが公開講座20分前。
米山対応に渋滞に昨日はほんと疲れた・・。
昨日は富山市長によるトップデザインセミナーで、これが予想以上に面白く。
「市をデザインする」話。
聴講者の満足度は今年のトップデザインセミナーの中でトップクラスじゃないかしら。
ほんと面白かった。米山さんもすんごく満足してたのがその証拠です。
今回のようにデザイナーではないリーダーに「広義なデザイン」について話してもらう講座ってアリ・・・だけど、人集めに苦労しそう・・・難しいなあ。