「アナウンサーに必要な清廉性」という言葉の謎
一体、清廉性ってなんでしょう?学生の内定取り消しの理由として「ホステスのアルバイトをしていたから」と言った放送局を批判して、「玉の輿狙いの女子アナのどこが清廉なんだ!」と書いている雑誌もあったけれど、より条件のいい男性を求めて計画的に行動することを清廉ではないというのも、女は無垢で無欲であって欲しいという男の勝手な言い分です。
どうやらホステスが問題らしいですね。男に侍(はべ)って酒をつぎ、飲ませて儲けるのがいけない。欲望をやりとりするのは汚らわしい、有名企業の看板娘にはふさわしくないと。
じゃあ、ええと、看板娘はいいんでしょうか?若さと美しさでお客さんを呼び込むことは同じですが?男性の劣情を利用して金儲けするような女は卑しいと言うなら、テレビ画面の中の人物を隅々まで鑑賞して好き勝手なことを言う人びとの視線も、酒場で酌婦のスカートの奥を想像する男と同じように浅ましいとは思いませんか?そんな野次馬の視線を知りながら、無欲で清廉な人物を演じることもまた、あざとい欲望のやりとりだと思うのですが。
それとも処女性?まだどこの男にも侍っていない女を侍らせたいという、生娘願望でしょうか。店で客に酒を注いじゃったら、もう俺(放送局)が最初の客じゃないじゃないか、と。いや侍らせたいなんて思っていない、と彼らは言うでしょう。
でも、女子アナは、タダで使えるみんなの女です。私が会社を辞めるときにある役員にはっきり言われました。「小島にギャラは払えない、女性に値段は付けられない」って。そう、技術ではなく、性別にお金を支払う感覚なんですね。
女優になるほど美人ではないけど目を引く器用な女子大生を、全国ネットの番組に出してアイドルにしたり、ニュースを読ませてキャスターに仕立て上げたりするのは、テレビ局社員の権限。社員アナは、会社が給料を払っているので番組予算から出演料を出さなくてもいい。芸能事務所とのしがらみもない。どの子を人気者にするかは、起用する側の思惑次第です。「有名になりたい」という欲望を満たしてやるから、空気を読んで言う通りにしろよ。これは光を浴びる人間と、光を当てる人間との権力闘争です。起用する側の人間がどんなに公平であろうとしても、その支配欲は抑えがたいものです。