8歳になる甥が、先日、父親に一枚のリストを手渡した。聞くと、彼のオールタイムベスト映画だという。その知らせを聞き、「ついにきたか」とおもう。甥は8歳にしてリスト作成者となった。彼が未熟な、たとえアルファベットのEを書こうとしても片仮名のヨになってしまう少年であろうと、リストを作る者である以上、もはや子ども扱いすることはできない。
リストを作り始めることは、文化受容において──あるいは、今後の全人生において──きわめて大きな前進であり、彼は「こちら側」へと足を踏み入れたためである。果てしなきリストの世界へようこそ。今後、甥はおそらく、数え切れないリストを作成し、さまざまな経験をランキング化していくはずである。ゆえに今後は、彼をひとりの鑑賞者、批評者として認め、対等に接していく必要があるだろう。
文化愛好者とは、すなわちリスト作成者のことではないか。ある者が、文学や音楽、映画などの表現にどれだけ耽溺しているかはすぐに判別できる。基準はひとつだ。リストを作る習性があるかどうか。個人的には、リストに興味のない文化愛好者がうまく想像できない。ある文化ジャンルに耽溺しながら、リストを作らずにいられるなどということがあるだろうか。リストはつねにわれわれを刺激し、新たな作品鑑賞の切り口と視点を与え、インデックスを充実させる。そうしてジャンルの文化史を総体としてとらえ、その全体図をより精緻に組み立てていくことこそがよろこびなのだ。ゆえに、たいていの文化愛好者は、誰に頼まれるわけでもなく、猛然とリストを作り始めることとなる。2014年に見た映画ベストテン、2000年以降に出版されたアメリカ文学ベストテン、1980年代にリリースされたイギリスのニューウェーブアルバムベストテン、文学作品の映画化のうちでもっとも成功したものベストテン……。
映画『ハイ・フィデリティ』(’00)は、音楽好きが高じてレコード店を経営している主人公の三十代男性を通じて、先述した「リスト的思考」が人生にどのような影響を及ぼすかをたんねんに探っている。一般的には「文化系男性の生態を描く作品」という言い方をされ、むろんそれは非常に正しいのだが、本作でもっとも重要なのは、大半のものごとをリストとしてとらえる、という文化系特有の傾向に言及した点だろう。真の意味で文化に耽溺し、自分にとって心地いい文化的な世界を追求していった先には、いったい何が待っているのかが本作のテーマである。
ストーリーは、主人公が同棲していた恋人と破局したところから始まる。彼は失意のなか過去の記憶を探り、「過去の記念すべき失恋トップ5」(all time top five most memorable breakups)と名づけられたリストを作成する。リストに基づいて、かつて失恋した5人の女性を訪ね、失敗の原因を確認し、ひいては自分にどのような問題があるのかをつきとめようとする主人公。こうした、あきらかに自己中心的でみっともない行動を通して、文化系と呼ばれる男性がどのような思考を持つかがアイロニカルに描かれることとなる(つけくわえれば、リスト作成を好むのは決して男性だけではない。インターネットを通じて、その年の年間ベスト映画を決めるアンケートを10年つづけた経験からいうと、女性もまた、リストを作ることを大いに好む。性別に関係なく、文化に耽溺する者は同時にリスト作成者となる)。
物語において、「リスト的思考」とはどのように表現されるか。主人公の経営するレコード店に勤務する、あるロックマニアの男性従業員(劇中ではジャック・ブラックが演じている)を、原作小説はこのよう描写する。「バリーの会話は、名前の羅列でしかない。いい映画を見ても、プロットを説明するわけでもなければ、どんな気持ちになったかを述べるわけでもない。ただ、今年のベストのどのあたりに位置するか、すべての映画のベストのどのあたりに位置するか、そして、この十年のベストのどのあたりに位置するかを発表するだけだ。彼は、トップ・テンとかトップ・ファイブとかいう基準でしかものを考えない。だからそのうち、ディックと僕もそうなってしまった」*1。
登場人物たちは、万事がこの調子である。音楽マニアの彼らは、レコード店で働きながら、「A面1曲目のトップ5」「月曜の朝に聴きたい曲トップ5」「死について歌った曲トップ5」というようにテーマを決めては、飽くことなくリスト作成をつづけていく。こうした思考の方法は、現実のコミュニケーションにも影響を及ぼしていくこととなる。
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