最悪、金がなくなって暮らせなくなったら、あなたたちが汗水垂らして納めた税金で暮らして行きたいなと思っている
人が泣きながら働いた金で食べる飯はうまい。これは世の中の心理である。
コンビニの弁当を美味しく完食出来るのは、「バイトだりぃ~」という不平不満を漏らしている人、渋滞にイライラして舌打ちをする配送員、安い給料でもたくましく生きている店長などがいて、彼らがそれぞれ力を振り絞ってくれているからだ。
人の魂がいくつも注入された料理は、素材の味を引き立たせる。
僕は二十代前半の頃引きこもりニートであった。
父さんと母さんからの仕送りで狂ったように食べた牛ヒレ肉は、生きる意味を教えてくれた。父さんと母さんの想いが籠もる一万円札は、最高のふりかけだった。
間違いなく、あの頃の飯は美しかった。
母さんのへそくりで購入したスケートボードを乗りこなし、辿り着いた寿司屋でサーモンをたらふく食い、父さんの小遣いで支払う。
雨の音が素敵だった。世界が優しかった。今日も明日も笑いが止まらなかった。
地球上の窓が開いたような開放感が、僕を夢の世界へ連れて行ってくれた。
現実から目を背ける度に、飯がうまくなった。
社会人になった僕が、これからの若者に伝えたい事は一つだ。
「働かないで食う飯より旨いものは存在しない」
経営者の周年パーティーで食べたフォアグラも、引きこもりニートの時代に食い散らかした和牛に負ける。
だから、あなたたちが神経を張り詰めながら働いたお金で生活が出来るようになれば、宇宙の本質をつかめるぐらい素敵な喜びを感じられると思うのだ。
無職飯の素晴らしさは、美女と付き合う事で学べる
美人を彼女にする最大のメリットは、優越感を得られる事だ。
僕は彼女が出来たら真っ先に行う事がある。それは、厚生労働省が出す交際率を確認する事だ。
「へえ~半分近くが彼女いないんだね~」と笑う。これが僕の幸せなのだ。
2chまとめサイトの検索窓に、『童貞』『彼女いない歴』などと打ち込んで、恋愛的弱者の情報を調べ上げ、スマホのメモ帳を用いてまとめる事もある。
彼女とデート中、頻繁に読み返して幸福感を倍増させる為だ。
つまり、大勢の人が手に入れられていないものを、我が物にした喜びの再確認を行っている。
これぞ、無職飯に通ずる人間心理だ。
人が馬車馬のように働いている時に、昼間の太陽に微笑みながら焼き肉屋を目指す。
これほどの幸福が他に存在するだろうか?
だから僕は、他人の税金で命を継続させたい
これらが僕の、正真正銘の本音なのだ。
どうして、そこまで非道徳な事をしてしまうのは分からない。
頭の中で、ジャックラカンや、メラニークライン、アルフレッドアドラーなど、人間精神のスペシャリストに相談するのだが、未だ答えは出ず。
空が曇りだから、出かけられなくて涙を流している友達に、「僕は遊園地で楽しんでくるね。ひゃひゃ」と伝えるのが、小学生時代唯一の楽しみだった。
カラスに襲われるクラスメイトを見て、笑い転んで怪我をした事もある。そんな僕を心配してくれたお母さんが、買ってくれたモナカの味を今でも思い出す。
この記事を読んで、近寄ってはいけない人なのだと思ってしまう方もいるだろうが、致し方ない事だ。
フランスの諺に、『変われば変わるほど変わらない』というものがある。
僕を支配する腐りきった根性は、今もなお健在なのだ。
意地汚い僕は、もしかしたら天国にいけないのではないかと思い悩んで、地獄行きの条件を必死に調べた事もある。
そしたら、蟻一匹殺してもゲームオーバーだという事が分かり、「それなら僕以外もみんな地獄行きだからいいや」と開き直った。
人格が崩壊しているのか。
化粧を落とすクレンジング剤の質は向上しているが、人の心の汚れを落とす薬は期待出来ない。
だから、僕は他人の頑張りが生み出したおにぎりに食らいつく。
おはようからおやすみまで、僕はその程度の人間なのだ。
他人の筋肉痛が、他人の肉離れが、他人の疲労が、僕を照らす光である。
人様の税金が、姿を変えて胃に落ちる時、僕は世界に神の存在を感じるのだ。
会社が倒産しても、収入源が絶たれても、貯金が尽きても、僕は生き延びたい
夢に満ちた少年の瞳が、金の色に変わってしまった。
ビジネスに魂を預け、見栄に命を傾け、札束に笑顔を捧げる。
こうした暮らしの中で、投げキッスから始まった、幼少期の片思いのような夢が石化してしまった。
金がなければ、褒められなければ、知的でなければいけないと、脅迫的に思い込む物語がスタートした。
いつまでもダークな演奏は終わらないのか?
もう聴き飽きた。
他人の納めた税金を味わいたくて仕方ない。
こんな事をいうと、「精神年齢が低すぎだろ。本当に27歳かよ」と罵倒されてしまう。
だが、たとえば歌手を目指す人間と、他人の税金で飯を食う事を目指す人間のどこに違いがあるのだろうか?
アーティストが恋愛ソングを歌えば、童貞の中には自殺を考えてしまう人が出てくる可能性だってあるのだ。
人を元気づけたい熱い想いから出発したのに、気づけば死体の山が出来上がっているかもしれない。
人は、働こうと働かなかろうと、必ず誰かに迷惑を掛けるものだ。
そう考えれば、他人の税金をシャワーのように浴びたい願望を持つ僕も、売れっ子ミュージシャンも、同様に光り輝いているのではないだろうか?
僕は明日笑えたらなんでもいいんだ
以前、「父親の会社が潰れて金がなくなったらどうするんだ? 最悪のパターンは考えないのか?」というコメントを頂いた。
そうなれば、僕は田舎で新興宗教を始める。
情報弱者の若者を集め、エクセルやパワーポイントを駆使して演説し、信者を少しずつ増やす計画だ。
ネットリテラシーなどまるでない人たちと、原始的な夢を共有して、裸で踊り合いたい。
明日の空に、野生の祈りを捧げ、語彙の少ないあの子に、哲学を教え込むんだ。
僕のばあちゃんは広大な土地を持っているから、畑でたくさんの食べ物を生み出せる。
大きな社会に認められなくても、小さな街の王様になりたい。
可愛い信者たちに王冠を作らせ、僕の言葉を涙ながらに受け取らせるのだ。
感情的で支離滅裂さのある僕は、街を混乱と絶望に落とし込んでしまう事もあるかもしれない。
けれど、そうした失敗をみんなで共有する事が幸せなのだ。
呂布カルマというラッパーが、『わざと一緒に道間違える。それが愛だろ』と歌っていた。
その通りだ。僕たちは、みんなで森の迷子になるのだ。
ニート、フリーター、派遣社員。誰だって笑える世界を作りたい。
理論破綻しても構わない。雨なのに花火をする。
そうした、豪快な崩壊と、膨大な迷いの中に愛が生まれるんじゃないか?
他人の税金で、キャバ嬢を本指名したいさ。
他人の税金で、宇宙旅行に飛び立ちたいさ。
他人の税金で、永遠の命を手に入れたいさ。
地球全体がパニックに陥ろうとも、ラリった人々と、天まで届きそうなキャンプファイヤーをしたい。
計画通りの世界にあるのは、現実だ。
僕が欲しいのは、真実の愛だけなんだ。
他人の税金と、愛。
これだけで良い。
職を失っても、遺産がなくても、賞賛を得られなくたってノープロブレムだ。
田舎の味を、田舎の愛を、田舎から発信して、世界を征服する第二の人生を始めるまでさ。
なにが正社員だ。なにが経営者だ。なにがリアリズムだ。
クソ食らえなんだよ。
この僕が欲しいのは、ごめんなさいの消えた世界なんだ。
愛が地球から零れて、宇宙をピンクにする。
僕はその為に生まれてきた。
だから、「最悪のパターンを考えないのか?」という質問はナンセンスだ。
僕のばあちゃんが住む街には、反社会的ではない暴走族がいる。
彼らは、潰れた学校のグラウンド内などに手作りのジャンプ台を作って、バイクでぶっ飛んだりする。
そういった人たちと仲良くなり、女の子を紹介してもらい、毎晩新鮮な野菜とフルーツのパーティーをしたいんだ。
都会の奴らがツイッターでぽちぽちと電子的攻撃をしてきたって、へっちゃらさ。
みんな神経質になり過ぎだよ
家族と、あの子と、笑いと、踊りと、祈り、そして愛があれば、いつだって空は晴れのようなものじゃないか。
どうして、そんなに嫉妬するんだい?
どうして、そんなに激怒するんだい?
どうして、そんなに説教するんだい?
子猿が動物園で叫んでも、笑顔で写真撮影する人は多い。
それなのに、なぜ地球という檻の中で、「他人の税金を寄越せ」と訴える僕のような人を、貶すのだろうか。
子猿も歌手も僕もあなたたちも、根っこの部分は同じなんだよ。
火を浴びれば焼けるじゃないか。綺麗な星空を見ればスッキリするじゃないか。人を愛する事だってあるじゃないか。
みんなで他人の税金を求め合う社会を目指そうよ。
ニートだろうとフリーターだろうと、派遣社員だろうと、鬱病患者だろうと笑い転げれば良いんだ。
生きるなんて、そんなもんだ。
そして、僕はこんなんだ。