なぜオタクにバカが増えたのか、という話 - chaoran’s diary
んー、この言質って随分とこぼれ落ちてて。
そりゃあ炎上狙いに見える。
増田卒→はてなブログ、みたいな。
コメントを見ると
tuya ちょっとなにをいってるのかわからない
これでブコメ的にはQEDなんだけども、海燕氏とかみたくそれなりに近々のことを語れるとそれっぽくも理解されたりもする。
なんかすげーぞ、みたいな。
実際は、すごくないんだけど。
akihiko810 マジレス。オタク第一世代(岡田斗司夫ら)は、ウンチクを競ってた(詳しい奴が偉い)が、90年頃から「アニメをネタに会話を楽しむ」薄いオタクが主流になった(以前のオタクは「痛い奴」扱い)(宮台)
この辺のコメントがマジレス。
記事は、akihiko810氏の挙げた岡田斗司夫の「オタクはすでに死んでいる」発言に(一面的に)通じる気がする。
そこで、ちょっと何度目かわからない話題ですが改めて振り返り(既視感満載)。
近代おたくのターニングポイントを時系列で並べる。
おたくはすでに死んでいる
岡田斗司夫の「オタク・イズ・デッド」~オタクはすでに死んでいる」が2006~08年。
その時点で既に岡田氏の見解は、周回遅れって言われてた。
2006年の「オタク・イズ・デッド」イベントでの岡田氏の発言内容を当時の記事から引用すると、
・自分が好きなものを自分で決めて,社会からのどんな圧力にも屈しないのが,かつてのオタクの姿であった。(つまりオタクがオタクであるためには精神力と知識・知性が要求された)
・かつてのオタクは,オタクになることで,"人間",あるいは,"一般人"という括り(限界)を越えようとした。つまりオタクは超人思想(ウルトラマン)の持ち主であり,それと同時に本当に超人でもあった
(体育会系オタクという発想)・かつてのオタクは思想が体育会系(男根主義的)であり,沢山本を読んで,映像を目にしているやつが偉かった。そして物欲が異常に強かった。
・当時の意識として,作品をどん欲に求めていくことが自分を高めるための修行としてとらえられていた。あるいはその姿勢が重要視された。
電源を入れてください~都市ノォト~ オタクイズデッド ? オタク・イズ・デッド ? オタク is dead ? otaku is dead ? オタクは死んだ? 岡田斗司夫へのレスポンス編 その1
これが岡田斗司夫のいう旧来的なオタク像。
スタンドアロン、データベース、ストック型。
岡田斗司夫はこれが「死んだ」といった。
1980年代
1979年。
ガンダムの初回放送があり、続けて再放送、そしてガンプラブーム。
うる星やつらが1981~86年。
葦プロの魔法のプリンセス ミンキーモモが1982年。
魔法の天使クリィミーマミ、スチュワーデス物語、宇宙戦艦ヤマト 完結編も1983年公開。
中森明夫説での「おたく」というワードの起源も同1983年。
関西では、ラジオ「MAKOTOのサイキック青年団」開始が1988年。
そして1989年の連続幼女誘拐殺人事件。
いわゆる近代おたくの起源~隆盛~そして弾圧の開始が80~90年代初頭。
ここで宅八郎がメディアに登場しカリカチュアライズされたおたく像をお茶の間に広める。
1990年代
1990年、衆議院議員選挙に真理党代表として麻原 彰晃が出馬。
松本サリン事件が1994年に発生。
翌95年、地下鉄サリン事件。
エヴァンゲリオンは1995年に放送。
ガンダムと同じく初回放送が振るわず、再放送で盛り上がった。
少女革命ウテナが97年。
カウボーイビバップが98年。カードキャプターさくらのアニメも同年。
2000年代
仮面ライダーアギトが2001年。
ここでイケメンライダーブームが始まり奥さま層をライダーが取り込む。
電車男が2004年に盛り上がることで、それまでのスタンドアロンとは異なる「繋がった」世代が表舞台に登場するわけだが、データベース・スタンドアロン型のおたくがコミケでコミュニケーションをとり、インターネットの普及と2ちゃんねらーの登場が始まる。
岡田発言は、電車男以前~宮崎事件以前/以降のおたくらの変化を指したと思われる。
再び「オタク・イズ・デッド」から
・オタク選民思想(ユダヤ教)から,みんなのオタク(キリスト教)へ,移行(軟化)。
・最近のオタクは否定を良く口にする。それは"差異"ばかり気になるため。全体を捉える能力が欠如し始めている,というか必要されなくなってきている。
・萌えを最重要論点として捉える,アカデミズム出身の論客の主張・論調は局所的すぎるため,論としての体裁をなし得ていない。
・萌えを必要としていないオタクは沢山いる
・しだいにアニメ・ゲームが逃避・避難のよりどころになり,『私の問題』(アイデンティティ)として扱われるようになる。
・"萌え"という概念がオタクのジェンダーやセクシャリズムに深く介入し始めたために,オタク趣味が個人の自己同一性にとって,より重要度を増すことになる。それ故に,幅広い知識よりも特定作品・人物に対する深い愛が重要視される時代が到来することとなる。
(オタク=2次元コンプレックス という認識の固定化)
(形容詞で作品を語る時代の到来)
※良い・悪い,好き・嫌いだけで作品を語るオタクの増加。・だからといってオタク第一世代(貴族主義者)のように自信満々とオタク趣味を誇ることも出来ず,第二世代のようにアカデミズムに逃げる(アカデミズムでオタクを肯定する)ことも出来ない。出来ることといったら,社会に適応できない自分をひたすら卑下するか,周りにオタク趣味を隠し通すことぐらい。或いはネットで友達(会話相手)を捜すか。その程度。
(中略)
・オタクは死んだ あるいは もうすぐ死ぬ・そして終盤20分に渡る,よく分からない岡田斗司夫の"男泣き"
電源を入れてください~都市ノォト~ オタクイズデッド ? オタク・イズ・デッド ? オタク is dead ? otaku is dead ? オタクは死んだ? 岡田斗司夫へのレスポンス編 その1
そして泣いた後、涙目でレコーディングダイエット→FreeEXを立ち上げ、評価経済社会を今の若者に啓蒙するなう。
「萌え」という言葉の広まりは90年代と言われてる。
時期的にも2ch及び、繋がったおたくの間で広まったと思われる。
2003年に「涼宮ハルヒの憂鬱」が刊行。アニメが2006年。
ニコニコ動画開始。
宇野常寛「ゼロ年代の想像力」が2008年。
...。
エヴァかヱヴァか、賢いかバカか
こんな感じでざっくりと、80年代以降の近代おたく史を語るならターニングポイントになる
という特徴的な分岐点、ワードがある。
しかし元記事を見ると
さて、そもそもちょっと前(10年くらい)までの「オタク」というのは、多少なりと頭のいい人の娯楽だったわけですよ。
なぜなら、オタクをやるには作者の脳内世界を文章なり絵なりで読んで、「理解して」、自分の「想像で補う」、という作業が必要なわけで、これは脳みそ縛りプレイしてたら出来ないわけです。(この辺を掘り下げるとオタクが理解されない理由とかにも行き着くけど今回は保留します)
(中略)
そんな中でエヴァンゲリオンが出てきて、オタク界隈にそれまで子供向け扱いだった「ローファンタジー(現実世界をベースにしたファンタジー、とここではします)」とセカイ系がジャンルとして浸透します。(それまでにもそういう作品はあったでしょうが、エヴァブームによってこの手の創作の勢いがハイファンタジーを超え始めるに至りました。)
キーワードとしても近代というより近々のここ10年の話らしい。
しかも10年前……2004年?
エヴァは95~96年ですので、この「エヴァ」はテレビ放送ではない。
では2000年代のエヴァは何かというと
2007年 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
2009年 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
2012年 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
これですかね。
テレビシリーズではなく劇場版ヱヴァを起点として考えると年号はハマる。
だったら「エヴァ」じゃなく「ヱヴァ」と書きましょう。
ただ劇場版ヱヴァが何かしらのターニングポイントになってるって話は知らない。
セカイ系というカテゴリ自体は、2003年ごろにワードが生成されあずまんだの前島賢氏辺りがポストエヴァだなんだ言ってたのが流れ。
そんな近場で「かしこい/バカ」を区切ったもんだから、よくわからないただの煽り・炎上狙いに見える、と。
せめて宮崎~電車男なら岡田論と合致したのに。
1990年代の「20年前」と10年前を勘違いしたのかもしれないですが。
まぁ、中身からして若いひとっぽい。
ロートルが「おたくがー」と語るより、今熱量のあるひとらが現状を語るのはよいことかと思いますが。
ただ過去を語るにはデータ無さすぎよね、と。
おたくいう名前でカテゴライズされる以前のオタクはただの「マニア」や「ネクラ」「気持ち悪い」で片づけられていた。
スタンドアロンだったおたくは、コミケやアニメ雑誌の投稿欄(ペンパル)などにより繋がりあったが、宮崎の事件で「キモおた」というテンプレにされてしまう。
インターネットの拡大、2ちゃんねらー、電車男のブームやエヴァ、コミケ・ワンフェス、コスプレの盛り上がりによって再びおたくという概念が再び見直され.....という感じですが95年ごろが「賢い/バカ」の分岐点かどうかは知らないし、岡田論の瑕疵も知らん。
唐沢俊一にでも聞いてくれば?(しれっ
というネタにマジレスでした。
【参考記事】
▲共同体としてのオタクの過去の議論 - ARTIFACT@ハテナ系