ここに注目! 「おたかさんが遺したものは」2014年09月30日 (火) 

安達 宜正  解説委員

女性初の衆議院議長をつとめた、土井たか子元社民党党首が今月、亡くなりました。安達宜正解説委員です。

アナ)安達さんは土井さんを担当していたそうですね。

安達)ずいぶんと長く。政治記者のふり出しが平成5年。当時の社会党を担当し、それ以降、土井さんが療養に入るまで、担当が変わっても20年、取材しました。
 
アナ)女性を代表する政治家というイメージがあります。

安達)それが政治家・おたかさんの代名詞です。みずからも、そして、女性政治家、いわゆる市民派政治家の誕生にも道を開きました。社民党の福島前党首や保坂展人世田谷区長などが代表的です。寺門さん、覚えているかどうか、関西弁で、「やるっきゃない」、「ダメなものはダメ」とか名言がありますが、僕が印象に残るのは、「ここで逃げたら、女がすたる」。土井さんが役職を要請されたときの言葉です。
 
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昭和61年の衆参同時選惨敗後の社会党委員長に就任したとき、また社民党分裂、村山さんに党首にと求められたとき。いずれも党は危機的状況でした。「男の後始末で貧乏くじばかり」と笑っていたのを思い出します。
 
アナ)議長就任のときはどうでしたか?

安達)細川政権入りするかどうかで、社会党内が割れ、反対派が土井さんを担ぐことを防ぐために、議長に推された面もあります。ずいぶん迷っていましたが、三権の長に女性がつくチャンス、その先鞭をつけたい思いもあったようです。もちろん、この時だけでなく、政治家としての評価はいろいろありますが。
 
アナ)どういうことですか?

安達)社民党も小さくなったのに妥協を嫌うので、現実政治でなかなか力を発揮できなかったとか。ただ、それが功をそうしたときもあって、これあまり知られていない・秘話ですが、環境省ができたとき。当時は自社さの橋本政権。当時のさきがけ・武村代表と極秘に会談して、橋本総理に要求、環境庁の省格上げを飲ませました。
 
アナ)実績も遺したと。

安達)そうです。一方で律義なとこもあって、鄧小平さんが亡くなったときに中国訪問をとりやめたこともあります。世界中の政治家で初めて、江沢民主席と会うチャンスなのに。
それに口が固くて、記者泣かせなところもありました。ただ、政治状況を見ると、安倍内閣は憲法解釈を見直し、集団的自衛権行使を容認しましたよね。ある意味で安倍さんと土井さんはまさに正反対の存在だと思います。安倍さんは保守政治家で改憲論者、戦後世代。一方、土井さんはリベラルな護憲派。戦争を体験しています。2人の正面からの論争を聞いてみたかったように思います。