セミの声を聞くたびに
(今頃どうしてるかな…)
なんて10年以上昔に付き合っていた元カノを思い出します。
名前をナオちゃんと言います。
結論から言いますとナオちゃんは憑依されまして。
これは今から約10年前の話。
僕が山形から東京に上京して2度目の夏。19歳。
ナオちゃんとは付き合いはじめて約1年でした。
ある日、湿っぽい高円寺のボロアパートで昼寝してたらナオちゃんが部屋に突然やってきました。
正確には、起きたら、いた。
わずかに夕日が差し込むほの暗い部屋で、正座してこっち見てた。
フローリングの上で、正座。
親しき仲にも礼儀あり。
いや、必要以上の礼儀正しさ。
「うおっ!びっくりした。どした?いつ来たの?起こしてくれればよかっ……」
ここまで言って、異変に気付いた。
何かがおかしい。
何て言うか、本能が(おいヤバイぞ!気をつけろ!)と。
何がどうヤバイのか具体的には何も分からないんですけど(とにかくっ!今っ!この空間はっ!日常では無いっっ!)と。
「…ナオ…ちゃん?」
呼びかけてみる。
返事が無い。
あれ?ただのしかばね?
なんて思いながら顔をよく見たら、動いてるんですよ。
眼球が。
左右に。
ありえないスピードで。
目尻から目頭まで右往左往してる。
振れ幅もスピードも桁違い。
あきらかに故意では不可能なスピード。
直感で感じました。
(あぁ、これは完全にこれは右から左に受け流せないパターンのやつ来ちゃった)と。
世界中の時間が完全に止まって、僕の心臓とナオちゃんの眼球だけが動いてるみたいな錯覚に陥った時、
ナオちゃん、言ったんです。
「わらわは……」
新しい。
一気に非日常の世界に引きずり込まれる一言。
「あ…ありのまま…今起こったことを話すぜ…」と一瞬のポルナレフ状態から必死に体勢を立て直し
「新しい。わらわって。新しいよナオちゃん。新キャラ。誰の真似?」
なんてこっちもつっこんでみたものの、ナオちゃん超本気。
ギリギリ聞き取れないボリュームでゴニョゴニョなんか言ってる。
そして、何よりさっきから目の動きが人間界のソレでは無い。
全体的な雰囲気もナオちゃんなんですけど、何かが違う。
何が違うかなんて分かんないんですけど、どこかが決定的に違う。
言葉で表現するのは困難。
ナオちゃんに似ているけど、ナオちゃんでは無い。
時折目の動きが止まりこっちを見てる時も、僕を通りこして僕の後ろ側を見ているような目線。
発する言葉も全体的に漢文。万葉集。
「ぬし」とか「~にたりて」「~しておる」とか20歳そこらの女子が使う言葉では無い。
当時、ナオちゃん好きなバンド、ハイスタとかスネイルランプだった。
もう「わらわ」とか「そなた」とかから一番遠い世界。
ふざけてるんだろと思って折りたたみ式の白い携帯(ガラケー)をサッと股間に当てて
「ウィスパー」
と言う当時ナオちゃん爆笑確実の超鉄板ギャグをぶちかましたけど、無視。
「わらわ、わらわ」言ってる。
僕が超すべってる感じになってる。
猛烈に暑い高円寺のアパート。
差し込む夕日。
流れる汗。
股間の携帯。
眼球を左右に振る女。
「ウィスパー、ウィスパー」
「わらわ、わらわ」
シュール。
全盛期のふかわりょう以上にシュール。
言葉忘れし女人此処にありて我混乱せり。意思疎通不可。
僕、超困った。
そこで、電話した。
何かとかわいがってもらってた当時のバイト先の店長さん。
店長さんすぐ来た。光の速さで来た。小太りなのに早かった。
(光の速さで来た理由は僕がとうとうドラッグに手を出したと思ったとのこと)
無論、店長ドン引き。
普段超笑顔で接客を心がけ「人様の悪口は絶対に言うな」がポリシーの店長から
「この意思の疎通のできなさ、うちの犬以下だな」
という暴言まで飛び出す始末。
この状況、とんでもなく非日常的なはずなのに、人間ってやつはとてもよくできていて、何か「わらわ」にも慣れてきたと言うか、だんだんイライラしてきた。
したら店長「病院行こう。これは、病院に行ってみよう」って。
確かに。
正直に言いますとね、もう僕の頭の中ではずいぶん前から「お・は・ら・い」の四文字が幅をきかせていたんですけど、様子がおかしい人を病院に連れて行くのは当然の行為です。
「すいません、先生、この子、さっきから言葉使いが古今和歌集なんです」と。
「看護婦さん、この子夕方から眼球が左右に猛スピードで反復横飛びなんです」と。
行った。
夜だったけど新宿区の立派な病院に。
検査中、ナオちゃんは心ここにあらず。
一時期のGLAY以上にここではないどこかへ行ってた。
そして、数時間に及ぶ検査終えて、お医者様、言ったんです。
「ビタミン不足ですね」って。
その時の僕らときたら多分、いや絶対にハニワみたいな顔してました。
「ビタミン不足だと思うんですけどね、うん」って。
2回言った。先生、間違いなく自分に言い聞かせてた。
日本の医療は世界と比較してもかなり特殊な構造になっています。
人口に対する医師の数は先進国トップクラスです。しかし、同時に病院の数が多すぎるのです。結果、医師は沢山いるのに病院数も多くて人手不足という状況が生まれました。特に夜間。夜間病棟には研修医がバイトで診察をしているのがもう当たり前になっています。しかもその多くの研修医が専門外の科の診察まで行うというのです。
でもね、それにしてもね、「ビタミン不足」って。
店長言った。しぼり出すような声で言った。
「……ビタミン不足で…こんなんなるんだったら…日本中こんなんですよ」って。
確かに。
僕も独り暮らしでレモンとかオレンジとかビタミンなんかほとんど食べて無かったけど、一人称はわらわにも拙者にも吾輩にもなんなかったし、眼球も左右に揺れなかった。
シフトの組み方とか、休憩の回し方とか、納得できないことが多々あったけど、この時ばかりは店長の言うことに超納得。
それこそポロリと取れるんじゃないかっていうくらい首を縦に振った。
店長「先生、じゃあ質問を変えます。こんな子が外来で来たらこの後はどうするんですか?」
ここからは大人の話し合い。先生と店長が別室で話し合った結果…
店長「…なんか渋谷の方にいけば…治るらしい…」
僕「…病院ですか?」
店長「…いや…はっきりとは言わなかったけど…言えないんだろうけど…なんかもっと、こう、霊的な感じのところ…多分…」
もうどこでも良かった。おはらいでも心療内科でも。
疲れてたし、正直、この非現実的な時間に少し飽きてた。
病院の先生だって大変だ。
「ああ、これは憑依ですね。悪霊かな?」なんて言えるわけないし「現在医療ではよく分かりません」なんて言えるわけがない。
彼らは何かしらの病名を付ける義務があるのだ。
それで、おはらい行った。
渋谷方面のとある神社?(ほぼ民家)に。
それで、なんか「え?終わりすか?」みたいにあっけなく終わった。
でも、効果てきめん。
ナオちゃんはナオちゃんに戻って、キョトンとしてる。
お祓いした人いわく「ヘビだね、こりゃ」とのこと。
少し笑った。
意識の戻ったナオちゃんにこれまでの出来事を説明したけど、記憶に無いらしく
「テレビみたいだね」なんて言ってケタケタ笑ってた。
そんなところが好きだった。
でも、僕のもとに一人称が「あたし」のナオちゃんが戻ってきたのは束の間でした。
だってナオちゃん19歳。
今回の件は後日店長から親御さんへも連絡が入ってました。
親御さん超心配。
心配なんでしばらく新潟の実家に帰省することになりました。
しばらく、なんて言っても分かってた。
多分もう一人暮らしはできないんじゃないかって。
東京には戻ってこないんじゃないかって。
当然の結論。
僕らだけでは決めれない。
19歳だったけど、それぐらいは充分理解できていた。
それで、新幹線に乗って実家に帰るナオちゃんを見送りに行ったんです。
忘れもしない。7月23日。僕の20歳の誕生日。
狂ったようにセミが鳴く日。
「たまには会いに行くよ」なんて言ったりして。
たぶん最後のお別れになるのに。
ドアの向こうで照れ笑いするナオちゃん。
響く無機質な発車のメロディ。
東京駅北陸新幹線ホーム。
「じゃあ元気でね、本当に会いにいくから。なんか、こんなことになって…
閉まるドアに途切れる言葉。
その時
見たんです。
新幹線のドアの窓越しに。
夏の日差しを浴びて。
左右に激しく動くナオちゃんの眼球を。