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【国際】

「吉田元首相に平和賞」推薦状 ノーベル賞 政府工作裏付け

外交史料館が保管している吉田茂元首相をノーベル平和賞候補にする推薦状

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 サンフランシスコ講和条約の締結などでアジアの平和に貢献したとして、一九六五年に当時の佐藤栄作首相らが推薦人となり、吉田茂元首相をノーベル平和賞候補にする推薦状がつくられていたことが十三日、明らかになった。外交史料館(東京)が保管する文書の中から推薦状が見つかった。 (共同)

 ノーベル賞の歴史に詳しい高崎経済大の吉武信彦教授によると、当時、政府内で吉田を平和賞に推す動きがあったことは関係者の証言しかなく、史料が見つかったのは初めて。推薦状が実際にノーベル賞委員会に送付されたかは不明だが、七四年に佐藤元首相が受賞する前の六〇年代から、政府ぐるみの受賞工作が行われていたことを裏付ける貴重な史料といえそうだ。

 推薦状は、五〇〜六〇年代のノーベル賞関係の外交文書ファイルに収められていた。六五年一月二十六日付で、ノーベル賞委員会委員長宛て。推薦人には佐藤首相のほか、椎名悦三郎外相、横田喜三郎最高裁長官とオランダ・ハーグの仲裁裁判所裁判官を務めた栗山茂の計四人。

 推薦状は、吉田が太平洋戦争に反対して軍部に投獄されたことや、戦後は外相、首相として日本の復興に努めたことを強調。五一年のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結に触れ、平和と自由、民主主義をもたらした「新しい日本の建国の父」とたたえ、「吉田氏は明らかに平和賞を受け取る資格がある」と結んでいる。

 添付の推薦理由書では、それまでの平和賞受賞者はほぼ欧米に限られていると指摘し「吉田氏が受賞すれば、現在のアジア情勢が世界平和に重要な関係を持っていることから、大きな意義がある」と訴えた。

 六五〜六七年に吉田を推薦する活動が行われていたことは、過去に政府関係者が著書などで明らかにしていた。吉田は六七年の受賞者発表直前の十月二十日に死去し、この年の平和賞は「該当者なし」だった。

◆大きな意義ある

 「ノーベル賞の国際政治学」などの論文がある高崎経済大の吉武信彦教授(国際関係論)の話 吉田茂元首相への受賞工作があったことを確実に裏付ける史料で、大きな意義がある。日本政府は一九五〇年代からノーベル平和賞について情報収集しており、六〇年代の吉田氏の受賞工作の経験があったからこそ、七四年の佐藤栄作元首相の受賞につながったのだと思う。 (共同)

 <吉田茂(よしだ・しげる)> 1878年生まれ。東京帝大卒業。外交官となり、駐英大使などを経て、戦後の1945年に東久邇宮内閣で外相に就任。46年、日本自由党総裁となり、第1次吉田内閣を組織。以後、54年の総辞職まで5次にわたって組閣。51年9月に日本政府を代表してサンフランシスコ講和条約に署名した。63年に政界を引退したが、「元老」として影響力を持ち続けた。67年死去。 (共同)

 

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