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Danas je lep dan.

2014-09-05 怒涛の連続更新(なお燃え尽きた模様)

[]チセに住んでないとアイヌ民族じゃないと言うなら背広を着ているあなたはいったい何民族?

 タイトルに尽きますが,一応。

こうやって考えていくと、アイヌ民族の定義があいまいなまま、政策的資源をここに

無理矢理投入しようとすることがやはり混乱の原因だと思えてなりません。

長い歴史の間でアイヌとそれ以外の人々の混血が進み、いま先祖代々純粋アイヌという

方は数少ないはずです。

茅葺きのチセで漁労採集生活を送っている人もいまはいません。

アイヌ文化の担い手は、本当にアイヌ民族なのか?: 札幌市議会 金子やすゆき ホームページ

 つまり金子やすゆき札幌市議は現在も日常的にフンドシを着用して和服を着て電気も水道もない木造家屋に暮らしていらっしゃるわけなんですね! まさかアスファルト舗装された道を自動車を使って移動したり電車に乗ったりスーツなどの洋服を着用していたり洋間のある住宅に住んでなんかいませんよね!*1

 この辺のことは,過去に書いたので引用して済ませたい。

 (……)日本人が洋服を着てiPodを使って大量の借用語を混ぜながら会話し,お祭りの時だけ法被を纏うのは許しても,アイヌが同様のことをすると「文化を失っているじゃないか」と言う,このダブルスタンダードこそが差別である。

学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって - Danas je lep dan.

 僕も普段は洋服を着て朝食にはパンを食べて暮らしているが,神社に行けばそこに神を感じるし,実家に帰れば仏壇を拝む。そしてまるで伝統とは無縁の音楽を聴きながら,自分を「日本人」と定義する。そういうものだ,現代の民族文化とは。

(……)

 アイヌにだけ,和人にも要求されていない「純粋な文化」を求めるような言説は,差別的である。いくら「アイヌを差別する意図はない」などと言おうが,変わりない。このことは,繰り返し強調しておきたい。

学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって - Danas je lep dan.

 かつて中国を訪問したオーストラリア人記者は,次のように語った。

また、彼は北京で開かれた全国人民大会議を取材したとき、中国メディアから「他の大多数を占める漢族の代表たちがビジネススーツとドレスを着ている中で、このようなカラフルな中国の55の少数民族を見て外国人としてどう思うか?」と聞かれた時、「彼らを動物園で飼っているようなものだ。あなたたちも昔の中国服を着たらどうかね?」と答えたが、この話しが放映されることはなかったという。

チベットNOW@ルンタ:チベットを訪問したオーストラリア人記者が中国当局発表の記事は真っ赤な嘘と

 そう。少数民族にだけ「民族文化」を体現することが求められる状況こそが問題なのである。

 参照:

 「単一民族国家」の多数派は,ふだん自分が何民族であるかを意識しないでいられる - Danas je lep dan.

 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

 近代化された「標準的な日本人」と,民族文化を体現することを求められる「アイヌ民族」。「アイヌ民族」がスーツを着て朝食にトーストを焼きiPodでポップ音楽を聴くことで「文化を失っている」と言われるなら,なおさら「日本人の文化も失われている」と言うべきであるのだし,にもかかわらず「アイヌ文化」のみをあげつらい「日本文化」の内実を問わぬのであれば,それは暗に「日本人は近代化できる人びとだが,アイヌはそうではない」という差別的な主張をしているに他ならないのだ。

アイヌ文化に補助を与えるのも良いけれど、それ以外の文化と同列に扱うべきで、

片方だけ特別扱いするから矛盾が起きる。

本当に良いものは特権を与えなくとも人々に評価され、後世に残るはずです。

不透明な特権は矛盾を拡大させるだけで、差別の再生産に他なりません。

アイヌ文化の担い手は、本当にアイヌ民族なのか?: 札幌市議会 金子やすゆき ホームページ

 ではまずアイヌ文化を日本文化と同列に扱うところから始めてはどうだろうか。北海道においては,小学校の授業は算数や理科もすべてアイヌ語で行い,アイヌ史とアイヌ文学が教えられ,道議会裁判所も町役場もアイヌ語で運営され,書類はもちろんアイヌ語で書かねばならず,政治家の皆さんも当然アイヌ語で所信表明や街頭演説を行う。道庁にはアイヌ民族旗を掲げよう。そんなのはおかしいって? でも,これらはすべて,今,選択の余地などなく日本語で行われていることですよ。

*1:というか,前近代的な「先祖代々の暮らし」を送ってないとダメだと主張するのなら,開拓民の子孫が彼らの本来の故郷である内地に引き揚げることを同時に主張しないと筋が通らない。だって,開拓民は明治になってはじめて北海道に入植した人びとなのだから。彼らが北海道で暮らしていることが先祖代々の営みであるはずがない。なぜアイヌにだけ「先祖代々の暮らし」を送ることを求めるのに,和人に対してはそうしないの?

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