夫や、欧州時代にお世話になった息子の日本語補習校の先生(彼女も帰国子女だった)が証言するのだが、バイリンガルは自分の中で英語が勝っている時代や日本語が勝っている時代をいろいろ経験し、やがて重心がどちらかに着地するのだそうだ。
自身も帰国子女でバイリンガルである大妻女子大学教授 服部孝彦氏(言語学)の著書『私たちはいかにして英語を失うか』(アルク)によれば、大人になってある程度安定した割合になったとき、2言語のどちらも母語レベルで使いこなせるのを均衡バイリンガル、どちらかの能力のほうが高いのを偏重バイリンガルといい、均衡バイリンガルはまずいないと考えて良いのだという。
いろいろな言語的バランスの時代を経て、バイリンガルの重心が2言語のどちらかに着地したとき。そのときに、たぶんその人のアイデンティティも着地するのではないかと、私は思う。言語にはずっと携わってきたので、大学時代から今まで、いろいろな帰国子女やバイリンガルやマルチリンガル(多言語話者)の人に出会ってきた。
私は「バイリンガルってカッコいい!」と浅薄な知恵で憧れたことがあったけれど、彼らを見ていると本気のバイリンガルになるには、結構な覚悟が要る。それは、習得がタイヘンとか受験や就職に有利とか不利とか、そんな上っ面の話じゃない。言語イコール文化であり、暮らしであり、社会であり、所属意識であり、つまりその人自身のアイデンティティだからだ。
夏休み、渋谷を歩いていたら男の子とお母さんが日本語と英語チャンポンで会話しながら歩いていた。「あのお店のアレがよかった!」「そんなの今言ったって遅いわよ!」みたいな言い合いだったけれど、彼らの家庭でも、きっとそんな2言語あるのが自然な状態なんだろう。2言語教育に関わる人や親や子は、みんなセミリンガルではなく、バイリンガルになろう、しようと頑張っている。
セミリンガルは、アイデンティティもセミ(半端)になってしまうからだ。でも言語習得の構造的には、セミリンガルを通らないとバイリンガルにもなれないわけで。英語もハイレベルのプロになるには今一歩、かといって母語の日本語もいい加減に誤字脱字満載で脱稿しちゃうような私は、ハンパな日本人になってしまわないように気を付けようっと。
2014年09月04日