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2014-09-03 良い子、悪い子、普通の子

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この間、草津へ行ったときに、小学3年生ぐらいの男の子で、すごくいい子がいた。親子3人で歩いていたんだけど、その様子がすごくいい感じだった。

しばらくして、その親子が視界から消えた時、いっしょに歩いていた娘に

「いい子がいたね」

と声をかけた。

「あぁ、あの子、ホントにいい子だったね」

「わかる?」

「だって、あんな目がキラキラしてるんだもん」

「やっぱり、そうだよね、素直そうだよね」

「大人に向けて、ケッとか言わないんだろうね。将来、なにになりたいのかな?」

「なんだろうね、きっと大きな夢がありそうだよな」

ふたりで「あの子は、いい子だ」とうなずきあっていたんだが。

娘とふたりで「いい子だな」と意見が一致した子は、目をキラキラさせながら、父親に話しかけていた。それを受けて父親が一生懸命説明をすると、目を見開いて驚いて、うなずいているのを見て……なんて、いい子なんだろうと。親を信じて、親にこれだけ受け止められている。ここまでいい子なら、将来が楽しみだろうなと。


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「この子の将来は期待できなさそうだな」とか本気で余計なお世話だと思う。

ってブコメもらったけれど、すーげーわかってないなーと思ったので。

あのぉ、「将来は期待できる」とは思うけど、「期待できない」とは思わないのが、子どもと付き合っている大人の考え方なんだが。子ども相手にはそういう悪い評価はしない。「この子はいい子だな」とか、「将来、楽しみだな」とかは、目に見える事実が現れた時にそう判断しただけで。

ブコメした方は、

「あなたは、それ以外、ダメって判断しているでしょ」

って論理でそう思ったのかもしれないが、私に言えるのは、

「期待できなさそうとかは、判断できないから、わかりません」

ってことだけだ。

子どもと暮らしていると、目の前にある事実は受け止めて、判断するけれど。目の前にない事実や未来のことについて、ダメ出しはしないっていうかな。子どもは特に変化していくし、それもいい方にしか変わらないものだしね。

いい子だなと思う子は、いい子。でも、悪い子やダメな子ってのは、誰かにそう扱われていても、私はそうは思わない。

「悪い子」や「ダメな子」って扱われている子たちも、よく状況を聞いてみると、「今はできない」や「今はわからない」ということが原因で、失敗したり、迷惑をかけたり、怒られたりしているだけで、無理もないってことが多い。今は確かに無理でも、何年後かにはできるようになって、大した問題にはなっていないだろうと思うから。発達上の問題がある子でも、ゆるやかに成長して、問題は縮小する。


その辺、ズレがあるよねっと。


追記

「この家の子は背伸びさせられているな」というのは、例えば、「うちの子には、小学校入学前に英検2級をとらせたい」と親が夢を語っていたら、“日本語もおぼつかない内に、それは無理させ過ぎじゃないのか”とか。早期教育を熱心にやる家の話を聞くと、「背伸びさせ過ぎじゃないか」と心配になるから。子どもの体力や知力は、時期が来ないと到達できない地点があるものなので。

「あまり子どもに関心がないんだな」というのは、まんまだけどw 子どもが好きじゃない人の中には、親になっても変わらない人もいると思う。だから、外注に出すなりすればいいんだけどね。

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