夏休みもラストスパートというか、もう長袖が欲しい天気なんですがみなさんお元気でしょうか。せめて9月になってからこういう天気になってもらいたい。
さてタイトルの「原稿用紙恐怖症」とは何ぞや? ということなのですが文字のとおりです。読書感想文が嫌い、苦手という話がよくありますが、そういう子は生活作文だって苦手だし嫌いです。そもそも「作文」が嫌いです。「作文」が嫌いなのは語彙が少ないからとかうまくまとめられないとか、そういうことであれば勉強の仕方で何とかなります。ところが「作文嫌い」にはこういう学習で補えるパターンでも克服できないものがあります。それは「そもそも字を書くことが嫌だ」ということです。それでは何故「文字を書くことが嫌いになるのか」の典型的な例で考えていきます。
作文って何を書くの?
まず、小学校の授業でほとんどの方は「作文」というものに初めて出会います。自分の考えを文章にするということは未熟な発達段階の子供にとって非常に難しいことです。そのため、最初はあった出来事や思い浮かんだ感情を羅列することしかできません。もちろん書いている本人も何を書いているのか理解できないまま文字を書いています。この時に「好きなことを書きなさい」という指示を受けていると「自分が今何を書いているかわからないこと=好きなこと」と認識されてしまいます。
学年が上がるにつれて「時系列にそろえる」「出来事の詳細な感想を述べる」「抽象的出来事を表現する」ことも可能になります。既に学齢的に具体的に表現する能力が備わっている状態でも、「作文」という課題ではそういった訓練をされないままに「好きなこと」を課題として与えられてきた子は「わけがわからないけれど、この課題はとにかく何か文字を書けばよい」と判断しています。また、先生はどういう作文を望んでいるのかもわからないので、課題として答えようがないのです。多分先生も何がよい作文なのかわかっていない。
要求されていることがよくわからないのに、「さぁ書け」と原稿用紙を渡されると混乱します。しかも原稿用紙のマス目って子供にとっては結構小さいのです。「ああこのマスの中に全部字を小さく書かないといけないんだ」「先生の言う原稿用紙のルールを守らないと怒られるんだ」など、そういった具体的な将来の心配ばかりしてしまって肝心の内容を考えることができなくなるのです。
「これについてどう思う?」ということを口頭で答えることはできますが、原稿用紙を渡されるとパニックになる子はおそらくこういう心理が働いていると思います。つまり作文嫌いを生み出す原因は原稿用紙だったと言ってもいいでしょう。自由にすら書けないのに、最初から形式だけを教えて後は野放しなんて「さあ狩りの道具はたくさんある。これでウサギを捕まえてきなさい」って森の中に放り出すようなものだ。道具だけ渡されても狩りはできない。まずウサギの見つけ方から始まって、気配を消して近づく方法や道具の効果的な使い方を総合的に知らないと成果はあがらない。ただ道具だけ渡している状態ではウサギは見つけられないし、見つかったとしてもうまく道具を使うことはできない。作文に限らず「自由にかきなさい」という主義はそういう状態を作り出している。これは芸術にも言える話だと思う。
そもそも「文字」書くのダルい
更に低学年の子たちは続けて長い文字数を書くことができません。集中力が続かないと言うこともありますが、まず字を書くことに慣れていません。何故子供の字は汚いのかと言えば、力の加減がわからずに力いっぱい鉛筆を押し付けるような書き方になりがちだからです。小学校で理不尽と取り上げられるシャーペン禁止の背景にはこういった細かい筆圧の制御が出来ないからということもあります*1。しかも宿題の場合、与えられる情報は「千字程度で書いてきなさい」という子供にとっては途方もない数を提示されるのですから、尻込みするのも当たり前です*2。
だからまずは原稿用紙に書かせる前に「文字を書くこと」に慣れることが必須になります。特に最近は大人も文字を書く機会が減ってきたので書き方練習帳などを見て「こんなのやらなくていいのにね」などと文字を書くことを面倒くさがる姿勢を見れば見るほど「文字なんて書かなくてもPCでやればいいや」となります。PCで文章を作ることの是非はここで問わないけれど、今は「宿題の読書感想文」という視点で考えていますので基本アウトということにしておきます。
ついでに言うと、自分で文字を書いて文章を作るって言うのは「自分の考えを表に出す」ことと何も変わりません。文字も知らず知らず自分の心模様をあらわしています。丁寧に書きたいときは丁寧で満足のいく字を書けますが、面倒くさいときは面倒くさい字になります。作文を書いた後、読み返してなんとなく嫌な気持ちになった人も多いと思いますが、そりゃ意識しない自分を無意識のままに表現しているのですからいい気分はしないものです。人前で大声で発表するのと大差ない気恥ずかしさだと思ってください。特にシャイな子はそういう「表現すること」の気恥ずかしさに気後れして作文が苦手になっていくようなこともあります。
まずは「苦手意識」の克服から
理想としては、まず原稿用紙を見せずに起こった出来事を順番に表現できるようになればいいと思います。その後ろに自分がどう思ったかを書くだけでとりあえず生活作文はクリアできます。しかし読書感想文は肝心の「本の読み取り」で失敗をすると、とんでもないことになるので総合的な国語の力が必要です。じゃあそういう国語の力はついているのかと言えば、子供は国語の学習で「ごんぎつねの気持ちを読み取ることができた」ではなく「ごんぎつねがかわいそうだった」と認識しているので応用ができない……。もうここから先はこれからの国語教育の是非になりそうなので機会があればまた今度。
とりあえずケースによりけりですが「作文嫌い」のお子様には、まずマス目のない紙に文字を書かせることが特効薬です。思ったことをずらずら好き勝手並べることができたら、後は原稿用紙に書き写させましょう。二度も書くことを嫌がるかもしれませんが、「意外と文字数って埋められる」という実感が出ると苦手意識が薄まると思います。ちなみに、この感覚は自分の実体験です。「千文字とか言うけど大したことない」って思わせることが大事かと思います。
ちなみに今年の課題図書から二例攻略記事を書いているので、焦っている人は参考にしてください。