3年前の8月、わたしが悩んでいたのは「出生前検査」についてでした。
出生前検査とはおなかの赤ちゃんに、病気や先天的な異常があるかどうかを調べる検査。
方法はいくつかありますが、その当時の検査の流れとして主流だったのは、母体に負担が殆どない「クアトロテスト」を受けて、その結果しだいで絨毛検査、羊水検査を受けるというもの。クアトロテストは母親の腕からちょっとだけ採血をして、21トリソミー(ダウン症候群)、18トリソミー、開放性神経管奇形などの先天的異常の"確率"を調べる。
この"確率"というのが肝というか鍵というか、考えれば考えるほどわからなくなるというか、考えなくてもわかるのですが、"確率"は"確率"で、やっぱり確率でしかないものなのですよね。確率が高かろうが低かろうが、それはやはり確率。最初の子供をなくさなければ、確率を知ろうとか調べようとか、もしかしたら全く考えなかったのかもしれませんが、しかし赤ちゃんという小さくて大事なものですら例外なく、あたりまえに、しんでしまうことがあるという事に、当時のわたしは随分と落ち込んでいたので、藁にもすがりたい気分というか確率でも知りたい気分だったのです。
しかし知ってどうするのか。
というか、出生前検査を検討する殆どのひとが自問自答することになるのだと思うのですが、出生前検査の動機はなんなのだろうか。たぶん、検査をして不安を安心に換えたいのだろうけれども、現実的に、不安が不安のまま膨れ上がっていくことだってあり得る。そして、これも重くのしかかってくる自分への疑問なのだけれども、「検査して、知って、そしてもし異常があったら、どうするのか」ということ。
出生前検査をどうしようかな、と頭によぎった瞬間から、自分たちへの疑問がわいてくる。
そもそも、検査をする必要があるのか。
勝手にこどものからだを覗き見していいのか。
もし、異常がありますということになったら、どうするのか。
そこでもし、堕胎という選択をするとしたら、この赤ちゃんはなぜいま生きていて、わたしは何のために誰のために妊娠したのだろうか。
そわそわと落ち着かず、気付くと本やネットで出生前検査、生命倫理、プライバシーなどの言葉をキーにして、どこかになにか自分の納得できる言葉がないかを探してしまう。
イギリスやフランスでは医療費を削減するという観点から、胎児に異常があった場合期限なしに最後まで中絶が法律で認めらているということ。
積極的な治療により、助からないだろうと思われていた18トリソミーの子が成長し、元気に走り回っている動画。
自分の脳みその中ですら知らないのに、赤ちゃんの脳を除き見てしまうことができるという、ある意味で究極のプライバシーの侵害。
そもそも出生前検査ではわからない病気や異常なんて山盛りにあること。
おなかの中の赤ちゃんは完璧にこちらの都合でつくられた命で、完全にこちらの都合で生まれるので、そんな無承諾でこの世に誕生させられてしまう生命に対しては、ありのままに正々堂々と迎えるのがせめてもの礼儀というか誠意というか筋ってものではないだろうか。たとえ無事に生きておなかから出られなくても、出てすぐに泣くこともなく死んでしまっても、それはもう出たとこ勝負というか、勝手にこの世に登場させるような暴力的な行為のなかでは覚悟しておくことではないだろうか。じゃあ出生前検査なんて一切なしにしていいじゃないか。なにを迷うことがある。落ち込んでいるのは覚悟が足りなかったからではないのか。迷う時点で出産に臨む資格なんてないのではないか。なにを迷うことがあるの。
どれだけの時間悩んで、夫と話し合っただろうか。
ぐるぐると悩んで考えた末に、結局わたしは、出生前検査を受けることにしました。
出生前検査に関して考えれば考えるほど、いつの間にか「異常がある」「無事に生まれない」「生まれてもすぐに死んでしまう」ことが前提になってしまっていて、それをいつ知って、どう準備するかというような決断を迫られ続けているような気分に陥っていた。最初のこどものときは何の準備も覚悟もなかったなという後悔もあるので、とにかく、まず、知ろうと思った。
これは「知ってから考えよう」という後回し的思考による結論だったのだけれども、ともかく「知ってから考える」という言い訳というか大義名分を手にして、検査の方法を具体的に調べていった。そして、わたしたちは、その当時日本で唯一「胎児ドック」をやっていた、大阪にある有名なクリニックを訪ねたのでした。
胎児ドックというのは、簡単にいってしまうと、おなかの赤ちゃんを超音波でものすごくこまかく丁寧にみていくというもので、血管や心臓や脳や鼻の骨の高さや首の後ろのむくみを詳しくみていく。これと母体血清マーカーをセットにすることで、負担なくおなかの赤ちゃんの様子がわかるようになっています(もちろん、確率が高いということですが)。この検査は妊娠13週を越えてしまうとできなくなってしまう妊娠初期のものなのですが、ちょうど仕事の休暇がとれたのと、予約がとれたので、大阪旅行を兼ねてやってきたのです。
クリニックは想像していたよりもずっと可愛らしくて落ち着いた場所で、何組かの男女が寄り添って、備え付けのPCで調べ物をしたり、本を読んだりしながら診察を待っている様子でした。みんなそれぞれに不安や事情のあるひとたちなのでしょうが、穏やかに寄り添う夫婦たちは恐らくみんな出生前検査に関するあの自問自答の末にここにいるのだろうと思うと不思議な気持ちになりました。
案内された部屋には世界の亀山らしき大きなモニタがあり、その前にベッドと、ベッドの隣に椅子が置いてありました。わたしがベッドに寝て待っていると先生が登場。
やってきた先生はポロシャツ姿(白衣の先生が来ると想像していたのに違った)で、明るくてさっぱりとした印象の女性で、おそろいのポロシャツ姿のスタッフのみなさんも優しくてきびきびしていました。
準備をしながらも先生はわたしが気にしている点や、以前主治医から言われていた赤ちゃんの心臓に関する話などを聴いてくれて、わたしの目を見て「それは、不安になっちゃうよね」と言い、超音波用のゼリーをおなかに塗っていった。
腹部の超音波検査の後に、経膣プローブという棒状の超音波発信装置を入れて子宮の様子をみていく。これが全然痛くも怖くもなくてびっくり。赤ちゃんは素直な子なのか、すぐに先生のみたいところをみせてくれて、ベストポジションが見つかり、そしてその途端に大きな画面に飴色のぶわっとした画像が映し出された。それまで見たことのある赤ちゃんの様子というのは、白黒で、ざらざらと粗くて、影絵を古いテレビで眺めたようなものだったのに、この時映された赤ちゃんの世界は飴色で、金色の赤ちゃんがそこにはいた。金色の赤ちゃんには体があって頭があって、足があって手があって、それが全部ちゃんと飴色のおなかの中にいた。かちかちに緊張していたはずのわたしは、それを見た途端に不安よりも心配よりも期待よりも、奇妙に安心したような気持ちになっていました。頭の中ではまだ目の前のものと自分おなかのなかの赤ちゃんがきちんと結びつかずにいて、愛しいとか可愛いとかは思わなかったけれども、その飴色の世界はとにかくとても大切で穏やかなものに感じたのです。
わたしがただ画面を見ている間にも先生は真剣な表情で赤ちゃんを様々な角度からみていき、モニタはピコピコと切り替わっていきました。
検査を終えて待合室で待っていると、また名前を呼ばれて検査結果が伝えられました。
超音波検査の結果は、ほぼ問題ないということでした。血清マーカーのための採血をしたので、その結果と総合的に判断して後日に郵送されるとのこと。わたしたちは新幹線に乗って大阪から東京に行き、そして電車を乗り継いで千葉にもどった。
数日後、速達で封書が届きました。
ぺらりとした紙には英語でいろいろ書かれているようでしたが、まずは先生のサインと共に、検査結果としては低リスクであるということが書かれていました。母体の年齢と血清マーカーの結果と超音波検査による診断で、こういう異常に対して平均的にはこれくらいのリスク確率がありますよ、そしてあなたの確率はこのくらいですよ、ということが書かれていた。その確率がどんなのものなのかということも、少し調べてみたのだけれども、それはもう確率の話なので、不安も安心も首の角度を換えればいくらでも目に入ってくるようなものでした。結局、赤ちゃんが健康であることを願っているけれども、リスクがゼロになることは絶対にないし、生まれてくるこの世界にもどこにも危険な確率0%の場所や時間はない。それは当たり前のことなのですが、検査結果の紙を見て改めて「そうだよね」と思い知ったのです。
「知ってから考えよう」という言い訳を握り締めて検査の臨み、そして知ったことで、結果としてわたしは「あんまり考えなくていい」というところに落ち着きました。それは低リスクという結果が出たからだけれども、もしも、異常がある確率が高いですといわれて、確定診断を受けて、そして異常があるということがわかったら、わたしは一体どうしていたのだろう。いまとなってはもう、わからなくなってしまいました。仮定を積み重ねても、もしかしたら堕胎したかもしれないし、もしかしたらあの飴色の世界から赤ちゃんをそのまま迎えようとしたかもしれない。もしもを組み上げていっても、それはもう、あまり意味のないことなのでしょうが、ときどき考えることがあります。そして考え出すたびに、そんなことはわからないのだなというところに落ち着いてしまうのです。
ただひとつ、わたしは「ありのままで赤ちゃんを受け止める」という態度はとらなかったのだなという事実は残ります。後悔しているのでもなく、後ろめたく思うこともないのですが、それはひとつの事実として、ずっと残り続けるのでしょう。
飴色の世界からきた赤ちゃんは、2歳半になり、やっぱり様々なリスクに晒されているし、これからもそうなのだけれども、ともかくとして、いまこの時には生きていて、そしてわたしはこの子の誕生に対して「ありのままで受け止める」という態度ではなかったのです。
それはずっと、わたしの中に残っている事実です。
(※これは2011年8月の時点での出生前検査に関しての思い出です。現在は新型出生前検査と呼ばれる検査が導入されていますし、それに伴い様々な議論が起こっていますが、それらの未来にあたる部分に関しては記述しておりません。)
出生前検査とはおなかの赤ちゃんに、病気や先天的な異常があるかどうかを調べる検査。
方法はいくつかありますが、その当時の検査の流れとして主流だったのは、母体に負担が殆どない「クアトロテスト」を受けて、その結果しだいで絨毛検査、羊水検査を受けるというもの。クアトロテストは母親の腕からちょっとだけ採血をして、21トリソミー(ダウン症候群)、18トリソミー、開放性神経管奇形などの先天的異常の"確率"を調べる。
この"確率"というのが肝というか鍵というか、考えれば考えるほどわからなくなるというか、考えなくてもわかるのですが、"確率"は"確率"で、やっぱり確率でしかないものなのですよね。確率が高かろうが低かろうが、それはやはり確率。最初の子供をなくさなければ、確率を知ろうとか調べようとか、もしかしたら全く考えなかったのかもしれませんが、しかし赤ちゃんという小さくて大事なものですら例外なく、あたりまえに、しんでしまうことがあるという事に、当時のわたしは随分と落ち込んでいたので、藁にもすがりたい気分というか確率でも知りたい気分だったのです。
しかし知ってどうするのか。
というか、出生前検査を検討する殆どのひとが自問自答することになるのだと思うのですが、出生前検査の動機はなんなのだろうか。たぶん、検査をして不安を安心に換えたいのだろうけれども、現実的に、不安が不安のまま膨れ上がっていくことだってあり得る。そして、これも重くのしかかってくる自分への疑問なのだけれども、「検査して、知って、そしてもし異常があったら、どうするのか」ということ。
出生前検査をどうしようかな、と頭によぎった瞬間から、自分たちへの疑問がわいてくる。
そもそも、検査をする必要があるのか。
勝手にこどものからだを覗き見していいのか。
もし、異常がありますということになったら、どうするのか。
そこでもし、堕胎という選択をするとしたら、この赤ちゃんはなぜいま生きていて、わたしは何のために誰のために妊娠したのだろうか。
そわそわと落ち着かず、気付くと本やネットで出生前検査、生命倫理、プライバシーなどの言葉をキーにして、どこかになにか自分の納得できる言葉がないかを探してしまう。
イギリスやフランスでは医療費を削減するという観点から、胎児に異常があった場合期限なしに最後まで中絶が法律で認めらているということ。
積極的な治療により、助からないだろうと思われていた18トリソミーの子が成長し、元気に走り回っている動画。
自分の脳みその中ですら知らないのに、赤ちゃんの脳を除き見てしまうことができるという、ある意味で究極のプライバシーの侵害。
そもそも出生前検査ではわからない病気や異常なんて山盛りにあること。
おなかの中の赤ちゃんは完璧にこちらの都合でつくられた命で、完全にこちらの都合で生まれるので、そんな無承諾でこの世に誕生させられてしまう生命に対しては、ありのままに正々堂々と迎えるのがせめてもの礼儀というか誠意というか筋ってものではないだろうか。たとえ無事に生きておなかから出られなくても、出てすぐに泣くこともなく死んでしまっても、それはもう出たとこ勝負というか、勝手にこの世に登場させるような暴力的な行為のなかでは覚悟しておくことではないだろうか。じゃあ出生前検査なんて一切なしにしていいじゃないか。なにを迷うことがある。落ち込んでいるのは覚悟が足りなかったからではないのか。迷う時点で出産に臨む資格なんてないのではないか。なにを迷うことがあるの。
どれだけの時間悩んで、夫と話し合っただろうか。
ぐるぐると悩んで考えた末に、結局わたしは、出生前検査を受けることにしました。
出生前検査に関して考えれば考えるほど、いつの間にか「異常がある」「無事に生まれない」「生まれてもすぐに死んでしまう」ことが前提になってしまっていて、それをいつ知って、どう準備するかというような決断を迫られ続けているような気分に陥っていた。最初のこどものときは何の準備も覚悟もなかったなという後悔もあるので、とにかく、まず、知ろうと思った。
これは「知ってから考えよう」という後回し的思考による結論だったのだけれども、ともかく「知ってから考える」という言い訳というか大義名分を手にして、検査の方法を具体的に調べていった。そして、わたしたちは、その当時日本で唯一「胎児ドック」をやっていた、大阪にある有名なクリニックを訪ねたのでした。
胎児ドックというのは、簡単にいってしまうと、おなかの赤ちゃんを超音波でものすごくこまかく丁寧にみていくというもので、血管や心臓や脳や鼻の骨の高さや首の後ろのむくみを詳しくみていく。これと母体血清マーカーをセットにすることで、負担なくおなかの赤ちゃんの様子がわかるようになっています(もちろん、確率が高いということですが)。この検査は妊娠13週を越えてしまうとできなくなってしまう妊娠初期のものなのですが、ちょうど仕事の休暇がとれたのと、予約がとれたので、大阪旅行を兼ねてやってきたのです。
クリニックは想像していたよりもずっと可愛らしくて落ち着いた場所で、何組かの男女が寄り添って、備え付けのPCで調べ物をしたり、本を読んだりしながら診察を待っている様子でした。みんなそれぞれに不安や事情のあるひとたちなのでしょうが、穏やかに寄り添う夫婦たちは恐らくみんな出生前検査に関するあの自問自答の末にここにいるのだろうと思うと不思議な気持ちになりました。
案内された部屋には世界の亀山らしき大きなモニタがあり、その前にベッドと、ベッドの隣に椅子が置いてありました。わたしがベッドに寝て待っていると先生が登場。
やってきた先生はポロシャツ姿(白衣の先生が来ると想像していたのに違った)で、明るくてさっぱりとした印象の女性で、おそろいのポロシャツ姿のスタッフのみなさんも優しくてきびきびしていました。
準備をしながらも先生はわたしが気にしている点や、以前主治医から言われていた赤ちゃんの心臓に関する話などを聴いてくれて、わたしの目を見て「それは、不安になっちゃうよね」と言い、超音波用のゼリーをおなかに塗っていった。
腹部の超音波検査の後に、経膣プローブという棒状の超音波発信装置を入れて子宮の様子をみていく。これが全然痛くも怖くもなくてびっくり。赤ちゃんは素直な子なのか、すぐに先生のみたいところをみせてくれて、ベストポジションが見つかり、そしてその途端に大きな画面に飴色のぶわっとした画像が映し出された。それまで見たことのある赤ちゃんの様子というのは、白黒で、ざらざらと粗くて、影絵を古いテレビで眺めたようなものだったのに、この時映された赤ちゃんの世界は飴色で、金色の赤ちゃんがそこにはいた。金色の赤ちゃんには体があって頭があって、足があって手があって、それが全部ちゃんと飴色のおなかの中にいた。かちかちに緊張していたはずのわたしは、それを見た途端に不安よりも心配よりも期待よりも、奇妙に安心したような気持ちになっていました。頭の中ではまだ目の前のものと自分おなかのなかの赤ちゃんがきちんと結びつかずにいて、愛しいとか可愛いとかは思わなかったけれども、その飴色の世界はとにかくとても大切で穏やかなものに感じたのです。
わたしがただ画面を見ている間にも先生は真剣な表情で赤ちゃんを様々な角度からみていき、モニタはピコピコと切り替わっていきました。
検査を終えて待合室で待っていると、また名前を呼ばれて検査結果が伝えられました。
超音波検査の結果は、ほぼ問題ないということでした。血清マーカーのための採血をしたので、その結果と総合的に判断して後日に郵送されるとのこと。わたしたちは新幹線に乗って大阪から東京に行き、そして電車を乗り継いで千葉にもどった。
数日後、速達で封書が届きました。
ぺらりとした紙には英語でいろいろ書かれているようでしたが、まずは先生のサインと共に、検査結果としては低リスクであるということが書かれていました。母体の年齢と血清マーカーの結果と超音波検査による診断で、こういう異常に対して平均的にはこれくらいのリスク確率がありますよ、そしてあなたの確率はこのくらいですよ、ということが書かれていた。その確率がどんなのものなのかということも、少し調べてみたのだけれども、それはもう確率の話なので、不安も安心も首の角度を換えればいくらでも目に入ってくるようなものでした。結局、赤ちゃんが健康であることを願っているけれども、リスクがゼロになることは絶対にないし、生まれてくるこの世界にもどこにも危険な確率0%の場所や時間はない。それは当たり前のことなのですが、検査結果の紙を見て改めて「そうだよね」と思い知ったのです。
「知ってから考えよう」という言い訳を握り締めて検査の臨み、そして知ったことで、結果としてわたしは「あんまり考えなくていい」というところに落ち着きました。それは低リスクという結果が出たからだけれども、もしも、異常がある確率が高いですといわれて、確定診断を受けて、そして異常があるということがわかったら、わたしは一体どうしていたのだろう。いまとなってはもう、わからなくなってしまいました。仮定を積み重ねても、もしかしたら堕胎したかもしれないし、もしかしたらあの飴色の世界から赤ちゃんをそのまま迎えようとしたかもしれない。もしもを組み上げていっても、それはもう、あまり意味のないことなのでしょうが、ときどき考えることがあります。そして考え出すたびに、そんなことはわからないのだなというところに落ち着いてしまうのです。
ただひとつ、わたしは「ありのままで赤ちゃんを受け止める」という態度はとらなかったのだなという事実は残ります。後悔しているのでもなく、後ろめたく思うこともないのですが、それはひとつの事実として、ずっと残り続けるのでしょう。
飴色の世界からきた赤ちゃんは、2歳半になり、やっぱり様々なリスクに晒されているし、これからもそうなのだけれども、ともかくとして、いまこの時には生きていて、そしてわたしはこの子の誕生に対して「ありのままで受け止める」という態度ではなかったのです。
それはずっと、わたしの中に残っている事実です。
(※これは2011年8月の時点での出生前検査に関しての思い出です。現在は新型出生前検査と呼ばれる検査が導入されていますし、それに伴い様々な議論が起こっていますが、それらの未来にあたる部分に関しては記述しておりません。)