今日のテーマはFAIRです。
しかし、英語を筆で書くというのは慣れていないもので、難しいですね。
「FAIR」 yoooen書
スポンサーリンク
最後通牒ゲーム
最後通牒ゲームというゲームを知っていますか?
昨年度の一橋大学の入試試験の英語の問題に取り上げられていて、面白いな~と思ったので紹介します。
どのようなゲームかというと・・・
AとBは1万円をもらいます。
1万円をどう分配するかはAに決定権があります。
BはAの提示額を許諾することを拒否することもできます。
ただし、Bが拒否をした場合、AもBも1円も貰えません。
合理的に考えれば、A:B=9999円:1円だったとしても、
お互いに何も貰えないよりかは貰えた方が得に決まっているので、
Bはその提示額でも許諾して1円でも貰うのが良いに決まっています。
両者とも得をしてハッピー。
しかし、実験ではそうはなりません。
Bの視点から考えてみると、
「Aさんずるくない!?自分ももっと欲しいのに!!こんなの不公平だ!!」
と思い、Bは1円という提示額を突っぱねます。
つまりは、不公平な結果になってしまうのであれば、自分が損をしてでもいいから相手に制裁を加えたい、という思いが強くなるということです。
実験では、Bがどのような人であっても、Bは拒否するということが証明されているようです。
公平でいたい
確かに、私がBでも拒否してしまうでしょう。
損をしてでも公平でいたいんです。
人間は公平でありたい!と強く望む生き物なのかしら・・・と思いました。
しかし、世の中、不公平なことが往々にしてあります。
最後通牒とは話がずれるかもしれませんが、私の不公平エピソードをご紹介します。
不公平エピソード
中学時代、体操服をちょっとだらしなく着こなすのがお洒落~
という風潮がありました。
私も時代の流れに乗ってみんなと同じように少々だらしなく着こなしていました。
そうすると、先生が
「yoooen!服装を整えろ!だらしない!」
と大勢が居る前で私だけを叱ったのです。
確かに、私が悪いのですが、
何故、周りの私と同じような着こなしをしてい人達は叱らずに、私だけを叱るのか。
その時のことがまだ色濃く私の心の中に残っています。
叱るなら公平に叱って欲しかったな~と思います。
でも、どうやら私はそのような星の下に生まれてきたのか、
このような体験が今まで非常に多くありました。
何故か?
結論を言えば、私は人と同じことをしていたとしても目立ってしまうから・・・みたいです。
もちろんそれを逆手にとって、プラスの効果に働くときもありますが、
マイナスに働くことが多々ありました。
しかし、それに反抗したところで、怒ったところで、私には何の得にもならないので、
そのようなシチュエーションになったら諦めています。
やさぐれているわけではないのですが、もう慣れてしまったのでしょうかね・・・
最後通牒の話を読んで、今日は思ったことをつらつら述べてみました。
途中から最後通牒からは話がそれてしまいましたが、
とにかく、人間は公平でいたい生き物のようです(`・ω・´)
スポンサーリンク