『銀魂』の一巻にスバラシイお言葉が載っていたけど、今手元にないので覚書ですごめんなさい。
僕の描いた漫画を読んでもらうのは、僕にとって道のど真ん中でケツの穴を公開しているようなものです。だけど、こんな僕を笑いたければ笑ってもらえればいい。
これがビジュアルつきで、ゴリラ自画像の作者が本当に道の真ん中でケツを晒している絵がかなり強烈です。そしてその発言について言及はないかとネットの海に漕ぎ出したけれど、お天気お姉さんについてか、ケツの穴をもぐもぐしている夢小説がわんさか出てきたので逃げ戻ってきました。へたれです。
この発言の何が素晴らしいかって、「自分が生み出したものを公開することに対するスタンス」を表現したものとして非常に端的だということです。文章であれ絵であれ何であれ、自分が生み出したものを不特定多数の目に晒すことはケツの穴を全世界に向けて発信しているのとおんなじだってことです。
はてな女子に対する違和感の続きの話になるけれども、結局「文章を公開することは身を切り売りすること」に鈍感な人が多いかなぁという印象なんですよ。たまに「この人大丈夫かな……」と思うこともある。あまりにも本音だったり私生活だったりを露骨に見せている気がする。「恥ずかしいけど、見て……」という恥じらいではなくオッサンが風呂上りに素っ裸でウロウロしているような印象を受けるのだ。
確かにブログには何を書いてもいい。思ったことや感じたこと、それをそのまま書いても誰も止める権限はない。だけれども、ブログは誰がいつどこで見ているかわからない。自分にとっては何でもないことでも、見ている人にとっては大変な内容かもしれない。でも、ブログで文章を公開することの危険性はそこではない。「無自覚によって本来見せてはいけない部分まで見えてしまっている」ということだ。
嘘をついてはいけないのは自明なのですが、でも全て正直に話すのもダメなのはわかりきったことです。初対面の人に対して「自分嘘つけないんスよ、あ、アンタ不細工ッスね」とか言われたら誰だって嫌になる。でも本人は「これが俺の本音なんだからいいだろ」と開き直る。確かに本音は大切だけれど、それは今言っていいことではない。それに表現次第でいくらでも調整はできる。「目が大きいですね」とか「眉毛に特徴ありますね」とか、「不細工」よりもクッションきいた言葉で対応はいくらでも可能です。単純に「本音」っていうのは恥ずかしいものなんだと思う。だからみんなきれいな言葉とかで飾りをつけてある程度クッションをつけて世に送り出す。
だけれども、そういうクッションがないことを公開し続けるとどうなるかというと、不快な人が出る以上に「面白がる」人が現れる。他の人の隠れている部分をみたい、という根性の人が多い。基本的に「誰々さんのエピソード楽しみです」というコメントは表向きは応援なんだけれど、裏を返せばそういう意味がどうしても入ってくる。一度飾り気のないケツの穴を公開したことでいろんな人に注目をされたのであれば、次は飾ったケツの穴を公開するわけにはいかない。「次はケツの中を見せろ」「内臓はどうだ、中性脂肪つきまくりだな!」「おっぱい!おっぱい!」「ちんこちっちぇええええ」みたいになっていく。飾りは新しく変えればいいけれど、自分の本音に代替品はない。最終的に自分の恥ずかしいエピソードやなんやかんやでどんどん体が切り崩されていく。そして自分の身体はいつかなくなる。血の一滴まで他人の見世物にされて、そこに何があるかと言えば特に何もない。「オワコン」になっておしまいである。
ケツの穴を見せるなら、見せてもいいケツの穴を見せなければいけない。不用意な個人情報や自分の深淵に遡って心身に影響を与えるような黒歴史を漁ることは、本来ならば望ましくない。紙の日記に書くか鍵かけたブログにしておいたほうがいい。不特定多数に見せた時点で、そいつはバカッター現象と何も変わらない。「これはいろんな人に見てもらいたい」という欲求があって、初めてブログは意味を成す。
ネットアイドルになりたいのであれば、本音を不用意に晒すことはまず辞めるべきだ。本音はいつか飽きられる。グラビアアイドルがいつの間にかヌード写真集を出していくように、本音の本音に迫っていくことになる。ビジュアル的には服を脱いでいくように、自分のすべてが丸裸になる。その時「自分は何にもない奴だ」「全部脱いだしオワコン」という事態に直面してもいいのであれば、本音を切り売りすることを誰も止められないけれど、リスクは念頭に置いてもらいたい。
「いや私はケツの穴を見せることは平気です」という人もいるかもしれないけど、自分の大切な人がケツの穴を見せる趣味があって、それでいいのかなと思う。自分のケツの穴を見せるのが平気な人は、他人のケツの穴も平気で晒す可能性があるし、自分はそういう不用意なケツの穴は見ていると不安になる。身なりを整えないで外出している人みたいな印象を受ける。百貨店でパジャマで買い物している人を見ている感じに近いかもしれない。
余計なお世話かもしれないけど、SNSなどで個人情報だだ流しの人に対しても結構同じこと考えている。「結局お前、お前本体を売り出してお前自身の価値がなくなったらどうなるの?」みたいなこと。貴重な経験をしているとか特殊な技能があるとか、そういうのではなく普通の人でも何か特別なことができるんじゃないかって勘違いしちゃうのが怖い。特別な人は特別な代償を払っているし、フィジカルでもメンタルでも何かしらの鍛錬をしている。そしてインターネットに絶望して沈んでいく人を何人も見てきた。過剰な期待に謎の重圧。ネタ切れが来たときに自分はどうするつもりなのか。ただケツの穴を晒して終わりに出来るのか、それとも今度は性器を晒すのか。インターネットは残酷だ。
つーわけで、公開ケツの穴には何を突っ込まれても文句は言えないんですよ。そこで突っ込まれて壊された時にスペアを即準備できるかどうかってところだと思うのね。「もうケツの穴がガバガバで使い物にならないよう……」と泣いているより、「はいこちらがケツの穴2号」とかにこやかにセットできるかどうかが勝負の分かれ目。やっぱりね、インターネットは残酷なんだよ。手斧なんかじゃなくて防弾チョッキとマシンガンでも装備しないとやっていけないよ。