こんにちはトイトーマスです。
基本的にはふざけ屋のわたくしトイトーマスなのですが数ヶ月に一度のまじめな日。そんな日があってもイイんじゃないかと綴ります。
今日は私の大切な人のお話です。
名前は【ももちゃん】。私の2つ年の離れた姉の事。
できるできない
ももちゃんは生まれつき体が不自由です。
ですから出来ない事がたくさんあります。それは目が見えない事。私たちとお話が出来ない事。歩けない事。
そして逆に出来る事もあります。耳が聞こえる事。母の作ったご飯が食べられる事。排泄が出来る事。笑う事。大きな声や指で音を出して何かを伝える事。寝返りを打つ事。(もちろん他にもたくさんあると思います。)
実はももちゃんは私たち家族の中で一番目鼻立ちが整っていていわゆる美人さんです。お祭りに出かける時にはかならず母は青いバギーに乗ったももちゃんに少しだけ口紅を引き、それから眉毛を整えていたのです。
ももちゃんには特技があって左手の人差し指と中指を口に当ててそれを右手で覆い「ブブー。」と大きな音を鳴らす事です。私も小さい頃何度か真似をしてやってみましたがうまく出来ませんでした。そして朝から晩まで気が向いたらそうやって「ブブー。」とやっているので口の周りがつばだらけになってしまいます。そうすると私たち家族の誰かが時々ももちゃんの口元をタオルで拭いてあげるのです。
でもそれが嫌みたいで「んん〜。」と唸るとまた「ブブー。」が始まります。
おてつだい
ももちゃんは立つ事や歩く事が出来ません。そして「ご飯ちょうだい。」という様な会話も出来ませんから一日中誰かが側に居ることになります。
私も学校が終わると母のお手伝いをしながらももちゃんにご飯を食べさせたり体を持ち上げてゲップをさせたりおむつの交換をしていました。
ももちゃんは私の姉ですが母や父が「ももちゃん。ごはん食べようね。」といつも優しく接しているのを見ていると私もついつい小さなこどもを見る様な目になって「たくさん食べてね。」と真似をしてお湯でやわらかくしたご飯をスプーンにとってももちゃんの口へと運んでいました。食事が終わってしばらくすると排泄がありますのでおむつを交換します。大でも小でも小さな頃から体に染み付いた習慣ですから何も気にする事なく素早く済ませます。排泄の予感はももちゃんが「んん〜。んん〜。」と言いながら寝返りを打ち始めた時で仰向けだとお尻に付いてきっと気持ちが悪いからなのだと思います。
お医者さんにはたとえ目を開いていても視力がないので母の事も私の事も見えていないと言われていましたが母のおむつ交換は私とは違って手際が良くて「きれいにしようね〜。」と動かすその手や声に気持ち良さそうな笑顔を見せてくれるのでやっぱり本当は分かっていたんじゃないかと私は幼いながらにいつも思っていたのでした。どうなんだい?
そうなんだ。
小学生の頃の話なのですが当時の私はももちゃんの事を友達に話していませんでした。それは「からかわれるんじゃないだろうか。」と思っていたからです。
ある日、教室で5人くらいの友達と輪になって話をしていると隣に居たあっちゃんが私の方を向いて「そういえば、家に病気の人いるの?」と思い出した様に聞いてきたのです。病気の人とは当然ももちゃんの事だろうなと思った私は突然の質問に少し驚いてうまく答える事が出来ずに「え?」とか「べつに。」とかボソボソ言っていたのですがこの状況で答えないわけにはいかないのでもういいやと半ば諦めた私は「うん。障がいのあるおねえちゃんがいる。」と答えたのです。あ〜あ言っちゃった。とこれで何かを失ってしまう様な気持ちがしてうつむいていた私にあっちゃんは
「へえー。そうなんだ。大変だね。」
と言い、そしてそのあっちゃんの言葉を聞いたみんなも「ふーん。」という感じ。
私はももちゃんの存在を知った友達から「からかわれるんじゃないだろうか。」と勝手にいつも不安を抱いていたので、このあっちゃんの「へえー。そうなんだ。大変だね。」とみんなの「ふーん。」がなんだかすごくうれしくて「あっそうなんだ。こんなもんなんだ。気にしなくても良いんだ。からかわれるなんて思ってたのは私の勝手な想像なんだ。」と思えた時はあっちゃんのその言葉とみんなの「ふーん。」がその時の私には暖かい人の優しさに見えて少し涙が出そうになり、でもぐっと堪えて何にもなかった様な顔してまたみんなの会話に入っていったのでした。
そしてひとつ気になる事はももちゃんの存在をなぜあっちゃんが知っていたのかと言う事ですがそれはただ親同士が仲が良かったからだという事でした。つーつー。
生きること
小さな頃からももちゃんがいつも側に居てくれたおかげでこんな私にもひとつだけ学べた事があります。それは【生きること】。
父の仕事の都合で3ヶ月や半年で転校を繰り返していた私はなかなか友達も出来ずに教室でひとりで居る事が多かったのです。けれど家に帰るといつもと変わらないももちゃんが待っていてつばだらけになりながら「ブーブー。」と顔が真っ赤になるまでやっています。学校の事で悩んでいた当時の私にはそれがなんだか「フレーフレー!」の声に聞こえる時があって「なんとかなるか。」と少しだけ心が軽くなった事もありました。
それからももちゃんは時々”ひきつけ”を起こします。
小さかった私は人が痙攣を起こしている姿を見た事が無かったのでそれがすごく怖くてひたすらに「おかあさーん!」と母を呼ぶ事しか出来ませんでした。それに気づいた母が手慣れた様子で「はいはい。大丈夫だよ〜。おかあさんここにいるからね〜。ももちゃん♪ももちゃん♪」と鼻歌まじりにももちゃんの胸にそっと手を置き少しさすってあげながら、開ききった瞼を手で覆います。一日に何度もあるこの”ひきつけ”が死に直結する様なものではない事を後に母から教えられるのですが当時の私には人間が痙攣を起こし苦しむ姿に【死】を連想させるものにさえ見えたのです。
「ももちゃんはいつどうなるかわからない。お医者さんに言われてる。だから私たちがしっかりしないとあかん。あんたも色々大変やろうけどがんばるんやで。」
これは母から言われた大切な言葉。
「死なないで。」
緊急手術で運ばれた真夜中の病院の待合室で私は【死】の意味なんて分からなかったけれどそんな風に強く思いました。ももちゃんが居なくなるなんて考えられないし居なくなると家族はいったいどうなるのだろうか。そんな不安もありました。
ももちゃんは産まれた時から入退院を繰り返していました。その度に生と死の間を行ったり来たりするのですが最後には必ず私たち家族の元に帰ってきて「ブーブー。」を披露してくれます。
病院の先生の話ではももちゃんが脳で何かを考えたりする事は出来ないし目でモノを捉える事も出来ない。そして立つ事も歩く事も出来ない。と言われていましたから出来ない事ばかりのももちゃんに対して私は「かわいそうだな。」と小さい頃はそんな風に思っていた事もあるのですが小学校、中学校、高校と進学をしていく中でいつも私のそばにももちゃんが居てくれた事でどれほど私は勇気をもらい前を向いて生きていく事が出来ただろうか、苦しい事も悲しい事も乗り越える事が出来ただろうかと思うとももちゃんはやっぱりちゃんと私に何かを伝えていたのだと思います。
ももちゃんは今も元気です。30歳を超えて体が少し衰えてきたので今は専門の施設で暮らしています。
鼻に管を通して食事中だったももちゃんに初めて3歳の息子が会いに行った時「ももちゃーん。」と呼んだ息子の声に大きく開いた目の焦点は上を向いたままで合っていないのだけれど「良く来たね。」と言ってくれている様な笑顔をニコリと私たちに見せてくれたのでした。
でも実際は「そんな風に見えた。」「そんな風に思えた。」だけーーー
正確に言えばそうなのかもしれません。けれど「そう思わせる。」力こそがももちゃんのすごさだと思います。そして私と同じ様に何かを言葉で伝えたり自分の足で歩いたり走ったりする事は出来ないのだけれどその生きる姿で私に【生きること】を教えてくれていたのだと思います。あまり言えなかったけれど本当にありがとう。ももちゃんが私のおねえちゃんで本当に良かった。いつまでも元気でいて下さい。もうすぐ息子は4歳だよー!ではまたね。
★ ツイッターはじめました!ついこないだね。
昨日近所にクワガタがいたという情報を入手しました。
私の目は光っている。ぎらり
— トイトーマス (@toithomasBlog) 2014, 7月 30
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