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農奴から俳優へと人生を変えた3度の逃亡
発信時間: 2009-03-12 | チャイナネット

チベット自治区の現代劇の元団長だった今年77歳になるワン・トイさんは、寺院、農場、内陸へと、旧チベットの地獄のような農奴制度から3度逃げ出した経験がある。

映画『農奴』の主役と同じ経歴

ワン・トイさんがチベットをテーマにした中国初の映画『農奴』に出演したのは、上海戯劇学院を卒業して1年余りが経った30歳の時だ。

1963年に「八一映画制作所」が製作した『農奴』は、旧チベットの農奴の悲惨な生活を描いた作品で、1981年にはマニラ国際映画祭で受賞している。

チベットをテーマにした中国初の映画『農奴』

この映画の李俊監督が、『農奴』の主人公のチャンパ役にワン・トイさんを選んだのは、農奴主を憎む彼の激しい目だった。それにワン・トイさんの経歴は、出家して僧侶になり共産党のおかげで自由に話すことができるようになったチャンパと非常によく似ていた。

搾取されて抑圧を受ける生活

ワン・トイさんの祖先は、ラサのツジャオリン寺院の荘園に属し、ワン・トイさんも生まれながらの農奴だった。今でも子どもの時に、年末になると食糧やウシ、ヒツジなど、ほとんど全ての物が借金のかたに取られ、それでも借金は増えるばかりだったことをよく覚えている。

「借金から逃れるために一家全員で逃げ出しました。しかしどこに行っても搾取、抑圧されて生活は苦しく、仕方なくもとの家に戻りましたが、住んでいたあばら家は農奴主に没収され、家族は分かれて親戚の家に間借りするよりしかたがありませんでした」

荘園でウシやヒツジの放牧をさせられいつも空腹だった13歳の頃、誰かがお正月前に鬼を払うために捨てた供え物を耐え切れず拾って食べたこともあるという。

農場での楽しい日々

ワン・トイさんの家(2009年1月20日撮影)

ワン・トイさんが20歳になった年、荘園の主人は農奴に3日間の休みを与え、ラサで行われる公演に行かせるという、またとないチャンスが訪れた。ワン・トイさんは危険を冒して筏でラサ川を渡りセラ寺に逃げ込んだ。

生活は相変わらず苦しかった。それに当時の僧侶は等級があり、ワン・トイさんは毎日掃除をする一番低いレベルの僧侶で、勉強する機会もなく、厳しい師匠からは懲らしめられいつも殴られてばかりいた。

寺院の生活に失望したワン・トイさんは、袈裟を脱ぎ命をかけて寺院から農場へ。そこでは解放軍の戦士が馬車の走らせ方を手取り足取りワン・トイさんに教えた。「農場にいた時はいじめられることもなく、お腹いっぱい食べられ、着るものも十分にあり、私にとってはとても楽しい日々でした」が、ワン・トイさんには気がかりなことがあった。

チベットが平和解放されたのは1951年。しかし農奴制度はまだ残っており、いつ農奴主が捕まえに来るか分からない。ワン・トイさんの領主がいる寺院は、農場の隣のラサ川のほとりにあった。

新しいチベット

26歳になったワン・トイさんは、1958年に陝西省咸陽市にあるチベット公学(現在のチベット民族学院)で勉強する機会を得る。農奴主が内地まで捕まえに来ることはできないだろうと考えたワン・トイさんの3度目の逃亡だ。

1959年、ラジオからはチベットでは民主改革が行われ、100万人の農奴が解放されたという情報が流れてきた。これからは逃げ出さなくてもいい、再び怖がらなくてもいい…。心の底からホッとしたワン・トイさんはその時29歳。チベットでは天地を覆す大きな変化が起った。

「チャイナネット」2009年3月12日

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