はっけんの水曜日 2016年12月21日
 

カンボジアの車窓から

バスの車窓から眺めたカンボジアの日常を紹介します
バスの車窓から眺めたカンボジアの日常を紹介します
故あってカンボジアに行ってきた。タイとの国境に位置するクメール王朝の寺院「プレアヴィヒア」を訪れるツアーに同行したのである。

カンボジアといえば、中世にインドシナ半島で多大なる繁栄を極めたクメール王朝の都城「アンコール・トム」やその栄華の象徴である巨大寺院「アンコールワット」などの『アンコール遺跡群』がつとに有名だ。

その観光の拠点であるシェムリアップは世界中からの旅行者で賑わっており、一大観光都市として発展中である。町の中心部には高級ホテルが林立し、世界各国のレストランが軒を連ねている。物価も高い。

一方で、今回訪れたプレアヴィヒアはシェムリアップから遠く離れたカンボジアの北の果てに位置している。その道中で見た村々は、外貨で潤うシェムリアップとは全く違う、まさに等身大のカンボジアというべき光景であった。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。
> 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter

13年前に見たカンボジア

実をいうと、私は2003年の8月にもカンボジアを訪れている。インドシナ半島を一周する旅行の序盤、タイから陸路で国境を越えてカンボジアへと入ったのであった。
タイ側の国境であるアランヤプラテート、ごくごく普通の町である
タイ側の国境であるアランヤプラテート、ごくごく普通の町である
その旅行は私にとって初めての海外個人旅行であり、おっかなびっくりながら見るものすべてが新鮮であった。

それまで海外はアメリカにしか行ったことがなく、東南アジアということもあり少々身構えていたのだが、しかしまず最初に降り立ったタイは想像していたよりもずっと発展しており、特にこれといった問題も生じなかった。交通網も十分に整備されており、アランヤプラテートへのアクセスもバンコクからバスで一本だ。

それだけに、タイに次いでに訪れたカンボジアの交通事情はなかなかに衝撃的であった。
ピックアップトラックの荷台に詰め込まれ、砂埃が立つ赤土の未舗装路を突き進んだ
ピックアップトラックの荷台に詰め込まれ、砂埃が立つ赤土の未舗装路を突き進んだ
カンボジアは90年代までポル・ポト派との内戦が続いていたこともあってか、当時は道路がまったく舗装されておらず、どこまでも赤土の未舗装路が続いていた。それはタイとの国境からシェムリアップを経て首都のプノンペンへと至る主要国道であっても例外ではない。

故に大型バスなどは走ることができず、移動手段はもっぱら四駆のピックアップトラックである。木製の簡素なベンチを取り付けた荷台に、乗れるだけの客を乗せて出発するのだ。しかも私が捕まえたトラックは既にほぼ満員で席が空いておらず、ランブータンの束を抱えたおばあちゃんと共に、荷台の真ん中に置かれたタイヤの端に腰を下すしかなかった。

脳みそが溶けるような炎天下、すし詰め状態の荷台においてデコボコ道路の衝撃に耐え忍ぶ。対向車が通る度に砂埃が盛大に舞い、私たち乗客の頭に降りかかった。シェムリアップに到着した頃には砂埃で顔が真っ赤になっており、特等席である助手席に乗っていた女の子に笑われたものである。
滞在したゲストハウスも実に手作り感あふれる宿であった
滞在したゲストハウスも実に手作り感あふれる宿であった
シェムリアップでは格安のゲストハウスに滞在していたのだが、建材が妙に歪んでいたり切口が合ってなかったりと、まるで素人が築いたかのような建物であった。シャワーから出る水(当然お湯などではない)も土が混じっているのか茶色がかっており、私はできるだけ口に含まないようにシャワーを浴びたことを覚えている。

翌日はバイクタクシーを一日チャーターしてアンコール遺跡群を見にいったのだが、それは想像以上の広大さで、一日で周るにはなかなかにハードな行程を強いられた。
クメール王朝の都城「アンコール・トム」の入口
クメール王朝の都城「アンコール・トム」の入口
ガジュマルの根に覆われていることで知られる「タ・プローム」
ガジュマルの根に覆われていることで知られる「タ・プローム」
夕方に「アンコール・ワット」を見学した頃には38度以上の熱が出ていた
夕方に「アンコール・ワット」を見学した頃には38度以上の熱が出ていた
初の海外個人旅行で疲れが溜まっていた上に、炎天下のピックアップトラックで体力を消耗しすぎてしまったらしい。遺跡巡りの途中から熱が出てしまい、ゲストハウスに戻った頃には意識が朦朧となっていた。それから丸二日間ゲストハウスで寝込み、結局のところシェムリアップ界隈ではほとんど観光ができなかった。

シェムリアップの後には首都のプノンペンへと向かった。未舗装のガタガタ道路を行くピックアップトラックにはもう懲りたので、今度は陸路ではなく航路を利用することにした。カンボジアの中央部にはトンレサップ湖が広がっており、シェムリアップからプノンペンまでボートが出ているのだ。
これが大正解であった。船内には座席もあり、ピックアップトラックより断然快適だ
これが大正解であった。船内には座席もあり、ピックアップトラックより断然快適だ
その途上では水上生活をする人々の家も見られた
その途上では水上生活をする人々の家も見られた
とまぁ、そんなこんなでプノンペンに到着し、その後はベトナム、ラオスと周って再びタイへと戻り、初めての海外個人旅行を無事に終えたのであった。

以降、私にとってカンボジアといえば砂煙が立ち昇る赤土の未舗装路というイメージで固定されていた。それだけに、今回のツアー概要を見た時には驚いたものである。シェムリアップからプレアヴィヒアまで、陸路で行くことになっていたのである。

前述の通り、プレアヴィヒアはタイとの国境に位置している。しかしカンボジアの道路が未整備である上に治安上の問題もあり、かつてはタイ側からアクセスするのが一般的であった。しかし2008年にプレアヴィヒアとその周辺域の領有権を巡って紛争が勃発。国際司法裁判所によってカンボジア領と認められて事態は収拾したものの、タイとの国境が閉ざされたために現在はカンボジア側からしか訪れることができなくなっている。

そのような経緯もあり、非常に行き辛くなっていたかと思われていたプレアヴィヒアであったが、いつの間にやらカンボジア国内の道路が整備され、シェムリアップからでも日帰り観光ができるようになっていたのである。

2016年のカンボジア

というワケで、喜び勇んで13年ぶりのカンボジア訪問である。フライトはベトナム航空を利用したのだが、朝の便で成田を発てばその日のうちにシェムリアップに到着できることに少々驚かされた。アンコールも随分と近くなったものである。
シェムリアップ国際空港は最近建て直されたらしくピカピカだ
シェムリアップ国際空港は最近建て直されたらしくピカピカだ
空港から市内のホテルはもちろん、プレアヴィヒアまで大型バスで行けるようになっている
空港から市内のホテルはもちろん、プレアヴィヒアまで大型バスで行けるようになっている

泊まったホテルはシェムリアップの町はずれに最近できたばかりの大型リゾートホテルである。以前のシェムリアップは割とこじんまりとしたイメージであったが、町はどんどん膨張し続けているようだ。通りに面して建つ建物も皆立派なものに変わっている。

なんでも、シェムリアップの地価はうなぎのぼりに高騰しており、普通の人はもちろん国内の一般的な企業ですらとても手を出せる金額ではないのだそうだ。

町を見回してみると、以前は市内の足として数多く存在したバイクタクシーの姿は見当たらず、その代わりにバイクに客車を取り付けたトゥクトゥク(三輪タクシー)まがいの乗り物が増えていた。懐かしきピックアップトラックの数も少なくなったようだ。
道路は当たり前のように舗装されており、もはや車が通る度に砂埃が立つこともない
道路は当たり前のように舗装されており、もはや車が通る度に砂埃が立つこともない
13年前はシェムリアップからプノンペンの国道でさえも未舗装だったのに、今では辺境の地である北端の国境エリアへと続く道路までもしっかり舗装されている。いやはや、まさかここまで急速に整備されるとは。カンボジア道路事情の進展は目覚ましいものがある。

そのお陰でプレアヴィヒアまで空調が効いたバスで行けるのだが、ただしあまり洗車していないのか窓は汚れまくりの曇りまくりだ。これ以降の写真は大部分が窓越しに撮ったものなので、汚れが写りこんでいたり曇っていたりしますがご了承ください(他のツアー客の迷惑になるので窓を開けることができませんでした)。
シェムリアップを出ると、すぐに水田にヤシの木が連なる景色となった。ガイドさんいわく、カンボジアの原風景なのだそうだ
シェムリアップを出ると、すぐに水田にヤシの木が連なる景色となった。ガイドさんいわく、カンボジアの原風景なのだそうだ
以前の個人旅行とは違い、今回のツアーには日本語ペラペラなガイドさんが付いている。道中では色々お話を聞くことができたのだが、特に印象的だったのは「戦争していた時はカンボジアがここまで発展するとは夢にも思っていなかった」というものだ。

いや、今でさえ隣国のタイやベトナムと比べると圧倒的に後れを取っているのだが、それでもなお“ここまで発展”という言葉が出るとは。常に死と隣り合わせだった、カンボジアの暗黒時代を潜り抜けてきた人だからこその重みを感じられるというものである。

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