安岡明夫HP(yasuoka.akio@gmail.com)

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=R・フォード問題(3)=
1.前回記事に引き続き、R・W・フォード氏が英国スパイだったかどうかを調べる。

1.まず重要なことは、なぜフォード氏はチベットに来たのか?なぜチベットにとどまったのか?それを彼は、「チベットの魅力のとりこになってしまった」(p.29)ため、チベットとチベット人を愛していたためと書く。特にラル・シャペを愛し尊敬していたと。

ところがこれがうそ臭いのである。なぜなら、肝心のラル・シャペにしても、人相の記述はまったくない。ほとんどチベット人の人相の記述が出てこないのである。ラルの次に東部チベット総督になったヌガボ・シャペが丸顔だったとか、ゲダ・ラマの鼻の形がカンパ人型だったとしか書かれていないのである。わたしの記憶が正しければそれ以外にチベット人の人相の描写は一切ないし、人相の描写のある2人も、まったく単に丸顔であることと鼻の形しか書かれていない。また、チベットの風景の描写も極端におざなりで、到底描写などと言えたものではない。一方、人間の身分・階級や能力の記述は詳しい。

だから、チベットにそもそも愛着を持っていたと言う点から疑ってかかる必要が絶対にある。また、これほどあちこち矛盾だらけで破綻だらけの本も珍しい。本当にフォード氏が書いたのか?数人が手分けして合成されて出来た本ではないのかの疑いもある。つまり、本当に1人で書いた本ならば、これだけ矛盾だらけで嘘がすぐにばればれの本を書かないのではないかという疑いが生じるのである。1人で統一した本でないから誰も矛盾に気付かなかったのではないか?

1.また、フォード氏がチベット人を「愛して」いなかった証拠もある。
彼は釈放後、新聞記者に「拷問も虐待も受けなかった」と答えている。それは、「ラウ・グレンは、まだ獄中にある。この最後のひと事だけでも、自由に新聞相手に話すわけに」いかなかったからだと言う(p.338)。

ところが「一九五五年の九月、ラウ・グレンと他のアメリカ人が釈放されたことが分かった。これで自由に話すことができるようになった」(p.340)。

しかし、彼の部下であった放送局員の印度人、ソナム・ドリエとソナム・プンツォの様子はまったく分からない」状態は続いていた(p.338)。

「やっとソナム・ドリエとソナム・プンツォが無事でシッキムにいることが分かった」(p.340)が、それはフォードが「自由に話す」事を始めた後だった。

つまり、フォード氏の言い分を信じると、白人の命が危険だから自分が自由に話すことはできない、しかし、ほとんどチベット人のチベット系印度人の命が危険であっても自分は自由に話してよいのだと言うのである。これがチベット人を「愛する」と言うことなのだろうか?

1.つまり、チベットにあこがれて風来坊としてチベットに着たとか、チベットとチベット人を愛していたから残ったのだと言った彼の言い分はまったく信用できない。つまり、彼は英国政府によって送り込まれたスパイであることを否定して自分をヒッピーのように言っているが、何処までも彼の主張は崩れていく。

1.さらに重大なことがある。彼の言葉を拾っていこう。

「僧院はまた、この(チャムド)地方最大の地主でもある。しかもチベットでは、小作人は土地所有者の農奴だ」。「わたしがボーイのテンネを雇うときにも、まず彼の生まれた土地の地主から、正式の解放証明書を手に入れなければならなかったほどだ」。「僧院には二〇〇〇人の僧侶が暮らしている。そして、チャムドの三〇〇〇人の住民が、これを養っている。僧侶は何の労働もせず、およそ何一つ仕事らしい仕事はしない」(p.27)。

チベットの職業的な医者は僧侶の医者である。そして彼らが最も珍重する良薬は、ダライ・ラマ(14世)の尿であった」(p.53-54)。

「チベットの役人は、政府から俸給を受けるのではなく、そのかわり租税収入のなかから、できるだけの利益をしぼり出すことを許されている。
税の徴収法は・・まずカムの総督が、全カム地方から徴収すべき税額を、政府から通達される。彼はこの額に、適当と思うだけ自分の配分金をつけ加えて、その全額を各地方の長官に割当てる。長官はまた、適当な配分金を加えた上で、下僚にそれぞれの責任額を言い渡す。下僚は、人民からしぼれるだけの金を取り上げて、余分は自分の懐に入れるのである。これが全チベットにわたって行なわれる普通のシステムであり、本当の意味で政府から俸給を受けている役人は、フォックスとわたしだけだ」(p.66)。

なぜチベット密教は平等や民主主義を認めないのか?
「すべての人間の平等という観念自体が、(タントラ)仏教徒の目から見れば異端邪説である・・」。
「わたしたちは共産主義の話をしていたのではなく、西欧流のデモクラシーの考えが、何故チベットでは採用できないか、という問題だった」。
「因果応報のおきて・・信心深い生活を送った人は、来世では、もっと高い身分に生まれ変わります。悪人は、低い身分に生まれ変わるという、罰を受けるのです」(p.111)

「僧侶たちはたいてい、身体を洗うこともしない」(p.153)。

以上がダライ14世の支配するチベットであった。これが果たしてまともな人間の「愛せる」ものだろうか?そして彼の愛すると言っているのはラル・シャペなどの支配者である。これはまともなことだろうか?可能なことだろうか?だからうそ臭いのである。また本当にこんなチベットを現状維持することをフォード氏が「愛して」いたとしたら、まともな神経と言うよりは「スパイ的」性格と言えるだろう。

1.実は、もっと根深い嘘が存在しているのではないかの疑いもある。そもそも何のためにこの本が書かれたのかの目的である。1つの仮説としては、彼はチベットで悪逆非道を繰り返し、にもかかわらず中国政府に命を助けられた。その感謝の念から「共産主義者」に転向したのである。だが釈放とほとんど同時に彼は、それまでは命が助かりたいとか、牢獄から出たいの一本の気持ちだったが、このままでは英国社会に帰ってから惨めな生活しか残されていないことを強く意識するようになったのではないか?再びチベットでの様な王侯生活はできない。そこで転向したことを隠し、身の潔白を証明する必要が有って書かれた本ではないか。以上のような仮説を主張する人が出たとしてもわたしは驚かない。

彼は神を信じていたし信じていると述べている。
「わたしを支えてくれた力はもうひとつあった。・・その力とは、わたしがキリスト教を信じていたことだ。・・わたしはメソジストとして育てられたが、R.A.Fにいる間に、英国国教会に改宗したのだ。・・わたしは神に祈ることを忘れていなかった」(p.325)。

だったら死を恐れる必要はなかったはずだ。
「わたしが祖国に対して犯した不実は、このほか数え上げればきりがないのだが、これ以上筆にする気にはなれない」(p.321)。

神を信じ、天国と地獄を信じるならば、「祖国に不実を犯す」ことは死よりも避けるべきことではないのか?だから英国国教会を信じると言うのも本気で言ってるのでは有るまい。逆にキリスト教を信じていたと言うならば、中国内で「祖国に不実を犯す」ことも正しいと思ってやっていたのだろう。転向していたと言うことである。

彼は自分がスパイであり、ゲダ・ラマを殺すことに深くかかわっていたことを認めていた。それは彼がこの本でものべているとおり、拷問による自白ではなかった。日本の警察でも、殺人犯に対し、「素直に自白しないとあんた死刑になるよ」と言うことは言われていると言われている。それが法律的に合法的かどうかは勉強不足で承知していないが、常識的に考えてこれ位は言うのが当たり前だ。米国では自白しないと従来も田舎の警察や大都市でも肉体的拷問は当たり前だった。今でもアルカイダ容疑者に対し行なわれている。

そうした先進国の対応に比べ、中国政府の尋問方法は後進国としては実に人道的といえるだろう。つまり、彼が釈放後、新聞記者に「拷問も虐待も受けなかった」と答えたことは真実を語っており、これこそ彼が転向していた有力な1つの証拠なのである。「ラウ・グレンは、まだ獄中にある。この最後のひと事だけでも、自由に新聞相手に話すわけに」いかなかったと言う。だが、彼が「自由に新聞相手に話」し始めた時まだ彼の印度人の部下は生存が不明だった。彼が「自由に」本を書いたとき、中国内では彼に関係する多くのチベット人が獄中にあった。だから彼が釈放された直後に「自由に」発言してもよかったし、その自由な発言こそ「拷問も虐待も受けなかった」ではないのか?そして「拷問も虐待も受けず」正直に話した結果が、自分はスパイでした、殺人に加担しましたと言うことではなかったか?

参考文献:
「赤いチベット」(R・W・フォード/1970/芙蓉書房)

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