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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

親になったらわかること

 親になったらわかるって、言われるんですけど。若い部下が言う。彼は名を山田といい、たいへん優秀であって、しかしかなり繊細であり、私はよく彼の悩みごとなどを聞く。夜の、人のすくなくなったオフィスで、なんとなく開始した休憩の途中、複雑な家庭の事情を話して、そうして、山田さんは言う。親になったらわかるって、でも、今、わからないし、わかりたくないんです。

 職場の上司に言ってどうなるものでもないと、山田さんだってきっとわかっている。けれども言わないよりは言うほうがいい。たとえ聞いている私がぼんくらで、そのうえ親になったことがなく、総じてたいしたことが言えないにしても。

 私はぼそぼそとこたえる。親になるならないという問題ではないと思います。山田さんのご両親のおっしゃっていることは理不尽だと私は思います。そのようなご家庭は出て差し支えないのです。私はそう思います。山田さんがご両親に申し訳ないと思う必要はないと思います。

 「私はそう思います」が頻出するのは、私がこの種の問題に対して「立場が弱い」と感じているからだ。私は、親になったことがない。おそらく死ぬまでならない。二十代のうちに人生のもろもろを勘案し、子を持つのは自分には無理だなと思って、その選択肢を捨てた。その選択に後悔はない。ないけれども、子を持つ親である人が「親でなければわからない」といったとき、それがたとえ理不尽な内容だとしても、他の問題より反論する声が小さくなってしまう。

 子を産み育てることについて意見を持つことは誰でもしてよい。それに対して、内容に反論するのではなく、「産んでもいないくせに」「育ててもいないくせに」と非難して口を塞ぐ、この行為にはなんの正当性もない。出産も子育ても個別具体的なことで、経験しなければわからないこともあるだろうけれども、経験した者がみな同じことを感じるのでもない。まして「親になってもいないのだから○○をしろ」という物言いには一グラムの妥当性もない。言うなれば「働いたこともないくせに」と同じくらいむちゃくちゃな物言いだ。働いたことのない人間が労働について考えそれを口にして何が悪いのか。私は大学生の時分、たとえばアルバイト先のタイムカードの不正について指摘し、「アルバイトしかしたことのない、社会経験のない学生のくせに」と返ってきたら、平気で反論していた。

 そのような私であるのに、こと「産んだことがない」「育てたことがない」については、同じようにできない。この話題についてばかりは、世間という茫漠としたお化けの発する重苦しい諸々が、私のようなのんきでずうずうしい人間にもそれなりの効力をおよぼしているようだった。「親になってもいないくせに」と言われると、ほかのことでいつもそうしているように理屈を振りかざして応戦する元気が、どうにも湧いて出てこない。

 親になったらわかることはひとつですよ。すこし離れた席から声がして、私たちはそちらを見る。フルタイム復帰を果たした、三歳の子の母親だ。彼女は自分のコーヒーをいれ、それから私と若い部下の双方の肩を、ぽんとたたいた。彼女は私より年若く、私の部下であるけれど、ときどき保護者のようにふるまう。私はそれを、好きだ。彼女は言った。

 親になったらわかったの。わたしの親はわたしに感謝するといい、って。わたしの子じゃないですよ、わたしの親が、わたしに感謝すべきだなって。わたし、こんなに大きくなって、生きてて、元気で、だから、わたしの親は、わたしに感謝しているはずだ、って。孫の顔?それはね、両親とも、孫の顔を見られて、もちろんよろこんでますけど、湯水のようによろこんでますけど、それにわたしの仕事の成果も褒めちぎってくれますけど、そんなのは、おまけですよ、おまけ。

 ねえ、山田さん、マキノさん、わたし、親になったらよくわかりました。まっとうな親なら子が生まれてきただけで完全に報われるのだし、生きて大きくなってくれたら、あとはもう、なんだって、かまわないの。幸せでいてくれたら、毎日毎日、うれしくて楽しくてしかたないの。だからわたしは親孝行なの。わたしの子も。

 彼女は私の顔を見て、ついでのように言いそえた。あのね、わたしは、親になったから、誰にも非難されずに、こんな主張ができます。でもそれはほんとうはおかしいの。子がなくたって、子は生まれてくるだけでOKなんだって言えなければおかしいでしょう。でも今はとやかく言ううるさいやつらがいる。だからわたし、なるべく積極的に、あっちこっちで、そう言って回りますね。マキノさんのぶんまで。