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内田修さん死去、87歳 岡崎の「ドクター・ジャズ」

 「ドクター・ジャズ」の愛称で知られ、戦後日本のジャズ文化の発展に尽くした内田修(うちだ・おさむ)氏が11日、肺炎のため死去した。87歳だった。愛知県岡崎市出身。通夜は12日午後7時から、葬儀・告別式は13日午後1時から、同県長久手市熊田209の平安会館東名斎場で。喪主は長男裕(ひろし)氏。1カ月ほど前から体調を崩し、自宅がある長久手市の病院に入院していた。

 名古屋大の医学生だったころ、名古屋・広小路通のレコード店前で同世代の進駐軍兵士が熱狂する姿に驚き、ジャズの魅力にはまった。自ら演奏することはなかったが、1961(昭和36)年、岡崎市で外科病院を開業した後、ジャズ奏者の支援や演奏会の開催に力を入れた。

 64年には名古屋市の音楽ホールを拠点に「ヤマハジャズクラブ」を結成、33年間で150回のコンサートを企画した。60年代にはまだ珍しかったテープレコーダーを担いで東京に通い、ミュージシャンの即興演奏を録音。ジャズ・レコードの名盤「銀巴里セッション」を生み出した。

 ミュージシャンとの交流も広く、サックス奏者の渡辺貞夫さんらは内田さんの病院の地下にあったスタジオで練習。同県半田市出身の歌手ケイコ・リーさんは内田さんがレコード会社に売り込んだ。

 岡崎市にはレコード1万2000枚、生演奏の録音テープ850本が寄贈され、市図書館交流プラザ・りぶらに「内田修ジャズコレクション展示室」が設けられている。

(中日新聞)

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