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俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

奢る・奢らないは個人の価値観

散文

吉野さんは変わった人だった。


吉野さんは2つ上の部活の先輩で、同級生に友達がいなかったのか、いつも僕に構ってくれた。
飲みに行くたびに、

「うぇーい」

と声を上げて札束を出し、何杯でも酒を奢ってくれた。
その代わり、トイレから出られなくなるくらい馬鹿みたいに酒を飲まされた。

トイレの中で吉野さんの一気コールがエンドレスに耳に残り、飲みに行くたびにもう二度とこの人とは飲みたくないと思っていた。

ある時、吉野さんに尋ねてみた。

「吉野さんはバイトもしてないくせに、なんでそんなに金があるんスか?」

すると、吉野さんは真面目な顔で僕に言った。

「お前に秘密を教えてやる。部活が終わったらうちに来い」


ボロいアパートの2階の角に吉野さんの部屋があった。
女っ気の欠片もない部屋だった。

部屋の奥の方にある、明らかに勉強して無さそうな机をゴソゴソと漁ったかと思うと、そこから札束を出してきた。


「これが、50万だ」


吉野さんは僕に50万を手渡した。
僕は50万の重みに震えた。

大学生の僕にとって、50万はとんでもない大金である。

吉野さんはまっすぐに僕を見て言った。


「金は力だ」


「金というのは、自由の象徴なんだ。金がなければ何もできん」


そういうと、吉野さんは僕から50万を取り上げ、机にしまった。

冷蔵庫からビールを取り出し、僕に手渡した後、吉野さんは真顔でこう言った。


「...力が欲しいか?」


「欲しいです。学食でカレーの他に、迷わずコロッケを頼めるだけの力が欲しいです」

僕は力強く答えた。

吉野さんは頷いた。

「いいだろう」

「これから、俺のそばを離れるな。学食どころじゃない、お前に寿司の味を教えてやる」

そう言うと、吉野さんは僕をパチンコ屋に連れて行ってくれた。
吉野さんの金はスロットで稼いだものだった。

大学1年の冬。

僕は吉野さんに弟子入りし、スロットを教えてもらった。
何度も破産しそうになりながら、スロットの勝ち方を教わった。

多い時はひと月に20万円近く稼いだけれど、ほとんどの金は水の泡のように消えた。
勝った時は友達を呼んで奢りまくっていたからだ。

こんなに奢ったのは平家か僕か、というくらい奢った。

だからといって、全く感謝はされず、負けた時は厳しかった。
一週間、実家から送られてきた米だけを食べて餓えを凌いだこともある。

ギャンブラーに対する世間の風当たりは強い。
負けは自己責任なのだ。


大学の途中でスロットの規制が変わり、それまでのやり方では勝てなくなった。
僕は勉強したいことがあったので、それを機にスッパリとスロットをやめた。

吉野さんは規制が変わってもパチンコ屋で闘い続けていたようだ。

スロットをやめてからも、吉野さんはちょくちょく飲みに連れて行ってくれた。
僕達のような後輩が何人いても、吉野さんは絶対に、後輩には財布を出させなかった。


吉野さんがスロットで勝てなくなったことは知ってる。
金がなくなったのも知っていた。キャバクラに行かなくなったから。

それでも、吉野さんはいつ飲みに行っても、何杯でも酒を奢ってくれた。

ある時さすがに申し訳ないなと思って、財布を出してお金を払おうとした。

すると、吉野さんは僕が取り出したお札を手で遮りながら、こう言った。


「俺は部活の先輩にたくさん奢ってもらってきた。
原田さんも、金子さんも、鈴木さんも、みんな奢ってくれた。

だから、俺がお前に奢るのは当然だ。

俺に奢ってもらった分は、お前が後輩に奢ればいいんだ」


そう言って、シワシワになった1万円札を取り出した吉野さんは、これまで大学で出会った誰よりもカッコよく見えた。

そして、僕もこういう大人になりたいと思った。
カッコいい大人になりたいと思った。



* * * *


社会人になって、色んな飲み会に顔を出した。

ある時、僕を含めた新人3人が、20歳も年上の上司に飲み会に呼ばれた。

社会人の飲み会は、武勇伝を語るおじ様方の接待になることが多い。
ふんふんと話を聞きながら、僕たち新人はキャバ嬢のようにお酒を注ぐ。

ビール瓶のラベルは上に向けて、泡が多くならないように細心の注意を払って。

そして、飲み会が終盤に差し掛かった頃、20歳も年上の上司はこう言った。


「今日は5,000円でいいかな」


そう言って、5,000円を僕達に渡すと、そそくさと帰っていった。

急いで帰る先には、子供が待っているのかもしれない。
奥さんに締め付けられているのかもしれない。

奥さんから渡されるお小遣いが少ないという噂も聞いた。

それでも。
新人を飲みに連れて行って、5,000円を置いて帰る上司を見て、僕はすごくカッコ悪い大人を見てしまった気がした。

吉野さんの顔を思い出した。

吉野さん。
社会には色んな大人がいるよ。


吉野さんと一緒に、汚い居酒屋で飲んだ、あのぬるいビールが懐かしかった。


* * * *


インターネットではたまに、

「デートで奢るか、奢らないか」

が話題になる。

でも、それは他人が「どうするべき」と決めるものではなく、個人の価値観の問題だと思う。

「奢ることで相手に媚びている」

とか、逆にお金を払ってもらえば

「男としての価値を認めてもらっている」

とか、色んなことを言う人がいるけれど、他人の意見は気にしなくてもいい。

自分がどういう大人でありたいか。
そして、カッコいい大人のように振る舞うことができているか。

その価値観に応じて行動を決めていけば、それでいいはずだ。

そして僕はやっぱり、吉野さんみたいに、金が無くてもカッコつけて後輩に奢ってくれる人がカッコいいと思うんだよなぁ。