■連載一覧
  • トランプ大統領の衝撃 米国と世界はどこに向かう
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第2部 自衛隊配備へ動く石垣島
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第1部 与那国島・陸自駐屯地
  • トランプvsヒラリー 米大統領選まで1カ月
  • オバマのLGBT外交 米国と途上国の「文化戦争」
  • 2016/11/11
  • 2016/10/31
  • 2016/10/12
  • 2016/10/08
  • 2016/9/26
  • 2016 世界はどう動く-識者に聞く
  • 戦後70年 識者は語る
  • 2015 世界はどう動く-識者に聞く
  • 2014 世界はどう動く
  • 2016/1/04
  • 2015/8/09
  • 2015/1/07
  • 2014/1/06
  • 台湾に吹いた蔡英文旋風
  • ルポ・政権交代の攻防 台湾総統選
  • 二極化する香港 識者インタビュー
  • 香港誌「前哨」編集長 劉達文氏に聞く
  • 「雨傘革命」下の香港 揺れる一国二制度の行方
  • 揺れる香港 各派リーダーに聞く
  • 香港の普選運動 親中派民間団体代表の見方
  • 2016/1/18
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  • 2014/11/14
  • 2014/11/06
  • 2014/7/08
  • ドゥテルテ大統領就任から3カ月 どこへ向かう比政権
  • 香港「自治」の行方 識者に聞く
  • 中華圏に浸透する同性婚
  • 中台関係の行方
  • 日米同盟と台湾 海洋安全保障の展望
  • 蔡英文時代の台湾 本土派路線のビジョンと課題
  • ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ
  • 緊張 南シナ海
  • 中央アジア胎動 中国「新シルクロード」と日本の戦略
  • “政熱経熱”の中韓
  • 新QDRと米中軍事バランス
  • 新グレートゲーム・幻想だった中国の平和的台頭
  • 新グレートゲーム・中国南進の海
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  • 2016/8/17
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  • 2013/4/18
  • 多難な年明けのトルコ
  • EUと難民 UNHCRウィーン事務所報道官に聞く
  • ロシアのシリア内戦介入 アルアハラム財団事務局長に聞く
  • 2016/1/30
  • 2015/12/11
  • 2015/11/13
  • 蓮舫民進 疑問の船出
  • 新閣僚に聞く
  • 「立憲主義」について
  • 再改造内閣 始動
  • 安倍政権 新たな挑戦
  • 16参院選 注目区を行く
  • 伊勢志摩サミット
  • 憲法改正 ここが焦点
  • 筆坂元日本共産党ナンバー3と田村自民党政務調査会審議役が対談
  • 第3次安倍改造内閣スタート
  • 詳解 集団的自衛権 安保法制案の合憲性
  • 衆院選 自公圧勝 ~課題と展望~
  • ’14衆院選 注目区を行く
  • 第2次安倍改造内閣スタート
  • 日米首脳会談 成果と課題
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  • 普天間基地移設 経緯の検証と提言
  • 「援護法」に隠された沖縄戦の真実
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  • 2013/7/08
  • どう見る金正恩体制 日韓専門家対談
  • 迎撃ミサイル配備 韓国の決断
  • 3代世襲“完成” 北朝鮮第7回党大会
  • 検証 元料理人 藤本氏の再訪朝
  • 韓国総選挙ショック
  • 日韓国交正常化50年 識者に聞く
  • どうする拉致解決 日朝ストックホルム合意1年
  • 日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて
  • 張成沢氏失脚 北で何が起きたか
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  • 迫る気候変動の脅威 どうする大災害への備え
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  • トランプVSヒラリー 米大統領選まで3カ月
  • オバマ外交と次期米大統領の課題
  • 2016年米大統領選まで1年
  • 再考 オバマの世界観
  • オバマの対宗教戦争・第1部
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  • JAXA宇宙探査計画
  • 2015/12/24
  • 平成の皇室「国民と共に」 皇室の70年(下)

    戦後70年

    床に膝つかれ、被災者と対話

    戦後の節目に「慰霊の旅」

    800

    天皇、皇后両陛下は日本政府の「西太平洋戦没者の碑」に花を供えた後、約10キロ先の激戦地アンガウル島に向かって黙礼された=4月9日、パラオ・ペリリュー島(時事)

     1989年(平成元年)1月、象徴天皇制の下で初めて即位された天皇陛下は、国民と共に歩む皇室を皇后陛下と築き上げられた。避難所の床に座って被災者と同じ目線で話し、太平洋戦争の激戦地で静かに黙とうされる両陛下の姿は、その象徴とも言える。

     ◇災害のさなか現地へ

     91年6月3日、長崎県の雲仙・普賢岳で大火砕流が発生し、43人が犠牲となった。両陛下は7月10日、一般客も乗った定期便で長崎空港到着後、自衛隊ヘリで島原市に入られた。天皇が災害のさなかに被災地を訪れるのは戦後初めてだった。

     ホテルで両陛下は、消防団員らの遺族一人一人に「大変だったですね」などと語り掛けられた。遺族の女性が幼い子供を抱いており、当時の島原市長、鐘ケ江管一さん(84)がふと見ると、皇后陛下は目に涙をためられていた。

     両陛下の希望で、懇談場所は5階特別室から1階の部屋に、昼食はカレーライスになったが、両陛下はほとんど手を付けずに質問を続けられた。その後、陛下は腕まくりのワイシャツ姿で、皇后陛下と仮設住宅を見舞った後、市立総合体育館の床に膝をつき、住民一人一人に声を掛けられた。

     「床にお座りになったのでびっくりしたが、国民と共にというお気持ちの表れと思った。悲観ばかりしていたが、両陛下のおかげで生きる希望が湧いた」。鐘ケ江さんは今も感謝している。

     ◇悲しみ、苦しみ分かち合い

     2011年3月11日の東日本大震災は、戦後最悪の自然災害となった。両陛下は4月27日、自衛隊機とヘリで宮城県南三陸町に入り、津波でがれきの山となった市街地に静かに黙礼された。

     避難所の中学校体育館で皇后陛下は、町長の佐藤仁さん(63)がスリッパを履いていないのに気付くとすぐスリッパを脱ぎ、冷たい床に膝をついた。陛下も脱ごうとされたため、佐藤さんは慌てて止めた。陛下は床に膝をつき、行方不明の3歳の女児を捜す家族に「早く見つかるといいですね」と声を掛けられた。「町は水産で必ず復活します」。佐藤さんは両陛下の前で泣いた。

     佐藤さんは14年4月の園遊会に招かれ、陛下から「随分苦労されたんでしょうね」といたわられた。「おかげさまで、昨年の市場の水揚げが震災前と同じ量と金額になりました」と報告すると、両陛下は喜びの声を上げられ、佐藤さんは「一番厳しいときにお越しいただき、町民が勇気と元気をもらいました」と謝意を伝えた。

     宮内庁長官として同行した羽毛田信吾さん(73)は「人々の悲しみ苦しみをわがこととして受け止め、全身全霊を傾けお務めになった。象徴の地位と活動は一体のものとはっきりおっしゃった陛下の、そのありようを見た思いがした」と語る。

     ◇焼け野原が原体験

     戦後70年の今年4月、両陛下はパラオを御訪問。激戦地ペリリュー島で、日本政府の慰霊碑に続き、約10㌔先のアンガウル島に向かって深々と頭を下げられた。遺族らはその姿を万感の思いで見守った。

     「戦友に代わって御礼申し上げます」。アンガウル戦で生き残り、玉砕した約1200人の仲間の名簿を持ち、両陛下と対面した倉田洋二さん(88)は「いつ来てくれるのかと思っていた。この日をずっと願っていた」と声を絞り出した。

     歴史の風化を懸念する両陛下の意向で、戦後の節目ごと行われてきた「慰霊の旅」。侍従長を07年まで10年半務めた渡辺允さん(79)は「戦没者慰霊は両陛下にとって生涯を懸けた務めだ」と語る。

     陛下の幼なじみで同級生の明石元紹さん(81)は戦時中、沼津や日光で陛下と集団疎開生活を共にした。45年11月、陛下と同じ列車で原宿の皇室専用ホームに降り立ち、一面の焼け野原を見た。「建物が全くなく、どこまでも見渡せた。本当にやられてしまったなと実感した」と回顧する。

     渡辺さんは「陛下にとって大変な衝撃で、原体験として記憶の底にずっと残っておられると思う」と話した。

     明石さんは時代が平成に代わる直前の88年大みそかの夜、同級生らと3人で当時のお住まいの東宮御所に招かれた。昭和天皇の病状は深刻だったが、「(今の陛下は)結構お元気で、既に覚悟を決められていると感じた」と振り返る。

    (時事)

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