2013年12月08日

1941年、日本の支配下である満州の地下に大油田『大慶油田群』が存在した!

今日は、12月8日。

日本が真珠湾攻撃により、あの巨大なアメリカと
戦争を始めた日だ。

話は変わるが、中村哲治前参議院議員の
「中村てつじと話す会」に参加したときに、
以下の本を2冊紹介してくれた。 

http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20131105#p1

その一つが
「エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う (NHK出版新書)」。

今読んでいるが、なかなか面白い。
反論したいところもあるが、客観的な視点から、
今後の日本のエネルギー問題について書かれている。

その中で一番心に衝撃が走ったのがこれ左斜め下

「1941年、日本軍は石油確保の為に一か八かの太平洋戦争を開始した。
しかしその時点では、すでに日本の支配下である満州の地下に、実は
当時の日本の年間石油消費量の何倍もの潜在年間生産能力を持つ大油田、
『大慶油田群』が存在するとは夢にも思っていなかった。現在中国最大の
大慶油田は太平洋戦争後の1959年に、社会主義中国の手によって発見
されたいる。これを日本側が1941年までに発見されていれば、
太平洋戦争はなかっただろう」

と、、、。

当時、「石油の一滴は、血の一滴」と、言われた時代。

さらにその本の中でこんなことが書かれている左斜め下

「第二次世界大戦前の段階で、中東での石油発見はまだ本格化していなかった
為、石油生産の7割は米国が占めていた。輸出可能な産出国も10指に満たず、
その国際貿易は米英蘭のエクソンモービルやシェルなどのメジャー石油会社、
すなわち、戦争後にいわゆる「セブン・シスターズ」といわれるようになる
国際闇カルテルに完全支配されていた。
 そのため、1941年に中国占領とインドシナ進駐への制裁として、
米国の石油禁輸措置といわれるABCD(米英中蘭)包囲網にさらされた
日本は、軍艦・軍用機用の石油を確保できなくなり、追いつけられ、
一発大逆転を狙って、真珠湾奇襲と石油確保の為のスマトラ島奇襲で
太平洋戦争を開始したのである」
と、、、。

もし、あの時日本に自前のエネルギー資源があれば、まったく別の
選択脈があったはず、、、。

105-0512_IMG.JPG

日本人は、真剣に自らのエネルギー問題に向き合う必要がある。

今から100年の戦争を振り返れば、そのほとんどがエネルギー資源の奪い合い。

実際、今も「戦争」と「オイル」と「お金」というのは、
密接な関係がある。

ほんの一握りの人が、エネルギー資源を独占することにより、
「支配」という構造が出来上がる。

その支配の維持のために、謀略・戦争が繰り返され、多くの人の
悲劇が生み出される現実。

石油から天然ガス、天然ガスから自然エネルギー、
その技術的ブレークするの鍵を握っているのが、
我々日本人ではなかろうか。

亡くなられた多くの英霊達が、エネルギーの問題をどうするのか
問いかけられている。

さらに莫大な核のゴミを未来の子供達に残すことになる以上、
エネルギー問題というのは、どうしても我々の世代が
何とか道筋をつけなくてはならないのではなかろうか。

「今だけ、自分だけ、お金だけ」もしくは、
「見ザル、聞かザル、言わザル」で、本当にいいのであろうか。

勇気を持って、自分の意志を持つこと、それが今日本人には
必要であるように思う。

他人を思いやる気持ちと言うのが、今の日本人には
必要であると思う。

このまま行けば、引きづられように、もしくは
意志をもたないまま、日本が戦争に向かう日が
来るであろう。

posted by hide at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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