戦争の発端
湾岸戦争は1990年8月2日にイラク軍のクウェート侵攻により勃発。
イラクは1961年にクウェートがイギリス領から独立して以来、クウェートの領有権を主張してきており、イラクにとって豊富な油田のあるクウェートの併合は経済的にも望まれる物であった。
背景にあったのは石油価格の値下がり
クウェートはOPECというアラブ石油輸出機構で決められた約束を破って大量に石油を増産。
石油の価格は値下りこれ以上、石油の価格が下がってしまったら国の復興どころか破綻しかねない状態にまでイラクは追い込まれます。
そこにクウェートがイラクとの国境をまたがるルメイラ油田の発掘を行いイラクの怒りは頂点へと達します。
イラクの油田にも手を付け始めた可能性が高まったのです。
そして、イラクのフセイン大統領はついに経済復興のためクウェート侵攻を決意するのです。
イラク軍がクウェートに侵攻し、政府の情報省のビルを占領して内部を捜索すると、1989年11月中旬にクウェートの情報省がアメリカCIAと会議をした議事録が出てきた。そこには「クウェートは、フセイン政権を転覆させるCIAの作戦に協力し、イラクに圧力をかける」という計画が書かれていた。
介入の口実
アメリカ軍が介入するに当たり、アメリカではナイラ証言というものがTVで大々的に報じられました。
ナイラ証言(ナイラしょうげん、Nayirah testimony)とは、「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会(英語版)にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。
政府が認めたナイラ証言の嘘
クウェート解放以後、マスコミが同国内に入り取材が許された結果、虚偽であった事が発覚。また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字がアッ=サバーハ(al-Ṣabaḥ、アラビア語:الصباح)であり、当時クウェート駐米大使であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハの娘との事実が明らかになった。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた、ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための市民運動(英語版)広報キャンペーンの一環であったことが判明した。
戦争の結果
紛争が減っていたことからオイルマネー循環システムの効率悪化、ロックフェラー系銀行が巨額のオイルマネーの利息が払えず破綻寸前(資産凍結と没収)だったものが全て解消された。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA2F/a2f1002.html
http://www.happycampus.co.jp/docs/983431448301@hc05/5635/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%A9%E8%A8%BC%E8%A8%80
http://www12.plala.or.jp/rekisi/wangann.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112052556